FACE

こんにちは、Yusonです。
今日は「顔」について、まじまじと考えてみたいと思います。

「顔認証」という機能が多く普及されています。
スマホやパソコンのみならず、電子決済や家のドア一つ開けるまで、「顔」一つで事足りる場面が増えています。
つまり、個々人が持つ「顔」は暗に「パスポート」のような役割を果たしています。
自分の顔を外界に登録・提示することによって、社会や集団における「居場所」の権利を得ている、ということでもあるのでしょう。

そもそも、「人相」研究の始まりは、「都市化」と密接に関わっています。
産業革命が一早く花開いたイギリスでは、多くの若者たちが職と夢を求めて、大都市ロンドンにやって来ました。人口集中の結果、見ず知らずの他人と働いたり、異なる「文化」を持つ他者が隣人になったり。不可解な他者と接する機会が増えていきました。
他者との「距離」が近くなった結果、彼女彼らがどういった人物であるかを「解明」するため、「人相」というものが判断材料の一つになりました。
顔の輪郭、目の大きさ、鼻の高さ、耳の形…。各パーツの特徴とそれらのバランスを分析、分類し、それぞれの「顔」からその人の性格や人格までをも推測しようとしたそうです。

現代の私たちにも同じことが言えそうです。
初対面のコミュニケーションにおいて、やはり顔からの情報量は少なくありません。
なんとなく「優しそうな顔」、「可愛らしい顔」、「欲深かそうな顔」、「昔やんちゃしてた顔」…。無意識のうちに、その人が自分にとってどれだけ「安心できる存在」なのか、を分析していることが多々あります。

ちなみに、私は「笑顔」という表情がかなり氣になります。
その人がどのように笑うのか、からは多くの情報を得ることが出来ます。少しお話なんかもすれば、その人が人生において何を大切にしているのか、も大体想像がつきます。(笑)

また、顔は変わります。
経験や学びによって、その人の顔が「作られていく」ということもあるのです。様々な人と出会い、経験と葛藤を自分の糧にしてきた人の顔には、なんとも言えない「味」があります。単に「美しい顔」という以上に、「なんだか心惹かれてしまう顔」。
自分の生き様が、誤魔化しようもなく表れてしまう「自分の顔」に責任を持ちたいと思います。


*補足メモ*
安部公房『他人の顔』という小説が好きです。
納得のいく「顔」についての表現が沢山あります。
例えば、顔の表情とは「人間同士の通路」である、とか。
顔の喪失は「生きながらの埋葬」でしかない、とか。
顔と精神の関わりについても、かなり鋭い視点からメスを入れています。
美容整形や外見の変化がもたらす、内面の変化を見くびることは出来ないなぁと。ファッションとかも含めて。
安部公房の作品は、「薄暗い眼科で丸裸にされ、脳の手術を受けるような感覚」です。(笑)
そして術後の爽快感が病みつきになります。(笑)
秋の夜長によろしければ。

*次回の更新は10/13です。よろしくお願いします!


憂鬱な月曜日が始まる前に、私の記事を読んで「あ、水曜日くらいまでなら、なんとか息出来る気がしてきた」と思っていただけたら満足です。サポートしていただいたら、大満足です。(笑)