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宝島での散髪の思い出

この年、スミ子さんと恵子さん、一緒に誕生日をお祝いした。

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亡くなったスミ子さんのご主人との思い出も語り合う。地域ぐるみ、家族ぐるみでのお付き合いがあったから、思い出話は止まらない。

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宝島の夏

夕涼み会は風物詩になっていた。

準備にも積極的に関わってもらえていた。

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小さなつながりがイベントを盛り上げる。

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祭りはさることながら、イベントまでのプロセスが、楽しかったりする。

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参加してくれる人も増えてきて、賑やかだった。

いつもの場所で

シマさんは、思い出の写真や手紙を眺められるのが好きだった。いつもの椅子に横になり、眺める。昔書いていたという、「覚え書き」を読み返される。そして、返答に困ってしまうようなディープな昔話もしてくれてた😅

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宝島の美容師たち

宝島に美容室や理髪店はない。だから、元美容師で、今は牛飼いの和代さんがカットしてくれる。

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シマさんは、美容師のお孫さんが帰省した時には、散髪をしてもらう。

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お孫さんたちはみんな、帰省したときに立ち寄って、ゆっくりと家族の時間を過ごしてくれた。事業所への泊まりが長くなっていたけど、シマさんが宝島にいることで、シマさんと家族の時間の過ごし方があった。

そして、高齢者の散髪は、僕がバリカン一本で(^○^)

思いの外ほか好評で、ご自宅や事業所、色んなところで、たくさんの爺様や婆様の散髪をさせてもらった。散髪をしながら語り合う時間が、僕は好きだった。

「ちょっとだけど。」と、茶封筒に入れた駄賃を握らされた。断ると、自宅の玄関にビールや野菜、魚。たまには伊勢海老が下がっていた。

ソノさんと

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いつも、庭のガジュマルの木の下で散髪をさせてもらっていたソノさんは、

「あんたがおらんくなったら、寂しくなるね。」

僕が島を立つことを伝えたとき、そんな話をしてくれた。

「また、会いに来るから。」

そう伝えた。

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でも、僕が島を離れてから、数ヶ月後、亡くなったと聞く。ガジュマルの木の下での思い出が、愛おしくなった。

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なかなか鹿児島に行けないときは、僕の散髪は、妻がしてくれていた。



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