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語れる思い出とのビールの味は、どこで呑んでも最高だった話

僕は、宝島に移住する前、カンボジアで暮らしていた経験がある。青年海外協力隊として、2年間暮らした。その体験や経験を話す機会を頂くこともあった。

そして、宝島に暮らして4年目。宝島での取り組みを人前で話す機会も増えていた。人前で話すたびに、今の自分を振り返り、自分自身に決意表明しているような感覚だった。

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5年ぶりのカンボジアへ

2014年、夏。僕はカンボジアを訪れた。「また戻ってくる。」という約束から、すでに5年が過ぎていた。その間、僕が柔道を教えていた彼らは、共感し応援してくれている方たちの協力を得ながら、成長を続けていた。

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僕にできたことは、種を蒔くことだけだった。「中途半端な形になってしまっていないか。」帰国してからも、当時のことを思い出し、時には自責の念にかられた。

でも、その後の彼らの様子は、「これで良かったんだ」と、言い聞かせるには十分だった。内側から出てくるものを信じて、見守る。僕がいても、いなくても、彼らはやっていただろう。カンボジアは僕にとって、帰る場所ではない。でも、僕の原点でもあり、戻る場所だ。久しぶりの再会に、当時の教え子と酌み交わす、ビールの味は、最高だった。

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付け加えると

帰国すると、稲刈りが待っていた。みんな仕事の合間にするから、その時期は忙しい。夜勤の合間も使ってた。体力的にもキツかったけど、泥のように眠る瞬間には、生きてる実感があった。

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稲刈りの後に、みんなで飲むビールも。

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老人会の旅行で飲むビールも。

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やはり、ビールの味は最高だった。

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この時は、美江子さんの娘さんも小宝島から参加。親娘揃って、賑やかな場所が好きな人たちだ。

「限りなくアマチュアに近いプロ」

僕のこの頃から変わらないことの一つに、「限りなくアマチュアに近いプロ」というスタンスがある。お金をもらっている以上、プロなのだろうけど、宝島で暮らす生活者としての視点を大事にしてきた。

専門用語で「その人」を分かった気になるのが嫌だった。というより、どっぷり浸かった暮らしの中で、仕事とプライベートを分けられなかった部分もある。それを肯定しているだけかもしれない。

思い返してみれば、中学生の頃から変わらないところかもしれない。レッテルを貼るのも、貼られるのも嫌いだった。人は変わり続ける前提だと、考え続ける必要があって悩むことも多いけど、この感覚は大事にしたい。

美江子さんのヤキモチを商品化

美江子さんのヤキモチを商品化できないか、Iターンの協力を貰いながら、模索していた頃だった。モノを売るんではなく、美江子さんのストーリーを売りたい。

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結局、販売には行きつかなったけど、贈り物としては、とても喜ばれた。美江子さんのキャラクターとストーリーがあってのことだ。

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