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サロン活動を始めたら、小さな声が聞こえてきた話 〜一人ひとりに合わせたサロンに〜

介護サービスのなかった地域で、足がかりとして、サロン活動を始めた。週に1回の体操とお茶のみ。色んな声が聞こえてきた。

「畑仕事が忙しいから、参加できない。」「お茶のみや体操もいいけど、やっぱり畑をしたい。」「売店が開く時間まで、サロンをしてくれたら、買い物して帰れるのに。」「週に2、3回集まりがあったら良いのになぁ。」サロンと訪問を重ねるにつれて、参加者や参加者の家族からの声も聞こえるようになってきた。実は、それに対して、スタッフの方に反発もあった。

それはそうだ。事業が始まる前はご近所さんだった。それがこの事業が始まるということで、提供する側と受ける側の構図になってしまった。お互いにそんなつもりはないのだろうけど。僕はそのように捉えていた。そもそも、役場や僕たちに頼まれて働いてくれている」スタッフの方たちだ。

ミーティンのたびに、僕が外からの視点で、島に暮らし続けたいという高齢者の生活を支えるために必要だと思ったことを、問題提起した。当時はスタッフさんにも、それがどのようなものなのか映らなかったのが現実だ。もしくは、頭では理想は描けていたかもしれないけど、身体介護を中心とした介助の姿のイメージが強かったし、何かを提供しなくちゃいけない!と肩に力が入っていたように感じる。

僕も経験した頑張るところの間違い。僕が経験したときと違うところは、研修中の僕のそばには、教えてくれる人、感じさせてくれる場面がたくさんあったことだ。その経験から、環境は違えども、高齢者の姿を通して見てもらうしかないのだろうと感じていた。介護の経験すらない若造の言葉では、まだまだ力不足だった。サロンの回数を増やすことや、時間の延長を打診したり、プランターでの野菜作りを提案したり、そうめん流しを企画したり、何か起爆剤にならないか、試行錯誤の連続だった。

そんなサロン活動に、利用者のご家族に、「今日はどうだった?」と聞かれ、「皆さんはどうかわからないけど、僕は楽しかったですよ。」と答えると、「あんたが楽しければ、みんな楽しかったのよ。」僕も弱気になりながら、ご家族の言葉が有難かった。その言葉をかけてくれたのが、後日、悲しい表情をしていてちさ子さんだった。その話は、また今度。

うまくいくことばかりでもなかったけど、笑いは絶えない日々だった。移住して数週間がすぎた頃だろうか。充実した生活ができていた。周りも自分も驚くほど、馴染んでた気がする。定例のミーティングでも、「あんた、ずっと島にいた人みたいだね、なんか。」「早く嫁さんを連れておいで。」目は笑ってない話で、大笑いする。

ゆっくりな生活の中で、

自分の今、やるべき事を問う。 マニュアルなし。そういうのが好きなのかもしれない。お互いに感情を揺さぶりながら、優しさに包まれながら、人に向き合う。これまであった関係性に寄り添って、少し視点を変えて、高齢者の姿を見てもらう。そんなことを考えながら、サロン活動は充実して行った。意識していたのは、スタートは僕ではなく、高齢者だけでもなく、一緒に働いてくれていたスタッフさんの声ということだった。

「得な性格だね」 

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