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僕が移住する前の宝島の介護の現状

2000年から始まった介護保険制度。2010年までの10年間、介護サービスのなかった宝島。だから、介護保険料を支払いながらも、受けられる介護サービスはなく、介護が必要になれば、「引っ越す」島外に出て行くことが当たり前だった。島内の島民に研修する機会を作り、ヘルパーを要請する。そして、島内の人材で介護の仕組みを作る試みも行われていた。でもそれは、狭い地域の難しい部分があって、定着しなかった。

僕は、介護サービスを始めるためのアドバイザーという位置付けで、宝島にきていた。役場や事業者が僕を通して、宝島での介護サービスを模索すると言った方がイメージしやすいかも知れない。
「具体的に何をすればいいんですか? 」
モデル事業に関わる行政の担当者に尋ねると、
「誰もした事がないことだから、県側としても手探りだ。」
それを聞いて、僕は不安もあった。でも、成功するにしても失敗するにしても、関わりたいと思った。僕は、始まったばかり事業が、宝島のための、トカラのための、離島で生きる人々のための大きな一歩になるか否かと、意気込んでいた。

ボランティアじゃない

そんな時、ある関係者は言った。「そんなに力まないで、自分の経験のためと思ってやったらいいんだよ。」
僕は、違うと思った。それは、カンボジアで生活していた頃に良く言われる事だった。「ボランティアなんだから・・」
カンボジアにいた頃の僕も本気だったけど、その言葉に甘えていた部分もあった。でも、それは違う気がする。自分だけのためなら、他ですれば良い。一緒により良いものを創り出したい。それが経験と言えるなら、本望。そこに暮らす人、文化を自分のための教材にしちゃいけない。そのスタンスは、どこにいても変わらない。今回はそもそも、ボランティアではく、仕事だということ。

何から始めようか

僕は、移住当初から、あんまり家にいることはなかった。右も左も分からないから、島の人に顔を覚えてもらうために、田畑や牧場、海、島中のいたるところに顔を出していた。体操とお茶のみをしていたサロンに顔を出したり、当番でもないの資源ごみ回収には一番乗りで行っていたり、コミセンでラジコンヘリを飛ばしたりもしていた。

もちろん、思うところがあっての行動だ。青年団、老人会、婦人会。各種団体の活動に顔を出すのが僕の仕事だった。婦人会の集まり…数回しか顔を出さなかったけど、今思うと、すごいところに顔を突っ込んでいたもんだ…知らないって、強みだ。笑。そんな中で、島の噂話に驚いた。
「今度、アメリカ帰りのイケメンの介護のプロが来るらしい。って聞いてたよ。」
多分僕のことだけど、かなり、間違ってる。笑。カンボジア帰りだし、イケメンでもない。さらに、介護未経験という…

印象的だった島民スタッフとの顔合わせ

船が入港した土曜日の午後だったか、役場の担当者も参加する中で、島で一緒に働いてくれる方たちとの顔合わせがあった。島内の雇用の創出という目的もあり、役場から声をかけられて、集まってくれた方たちだった。集まったのはコミニティーセンターの和室。当時は物置のように使われている状態だった。


「あれ?ウェルカムな雰囲気ではない?」正直な僕の第一印象だ。まずは話を聞いてから。という方もいたかも知れないけど、
「今度、アメリカ帰りのイケメンの介護のプロが来るらしい。って聞いてたよ。」先走っていた噂話が頭によぎった。「大丈夫か、俺?」島に雇用を創りたいっていう役場のスタンスとこの現場の温度感…
「畑仕事が忙しいから、毎回は手伝えないよ。」
「旦那が家の仕事があるから、やめとけって。」

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