2002年 僕は初めてカンボジアに来た①

スースダイ、浅野です。

2002年。

成人式直前に家業の倒産が決まりました。

その前後の記憶はあまりにも曖昧で、先の記事に書いたように家族8人で弁当2箱を分ける食事が今でも鮮明に脳裏に焼きついています。

この飽食の時代に、そんなひもじい思いをするとは。

これを境に、それまで僕を慕ってくれていた親戚のおじちゃんが会社を相手に訴えてきたりと、大人の汚さ、怖さを知ることにもなりました。
でもそのおかげで、裏切るよりは裏切られる側、騙すより騙される側でいたい、と思うようになりました。

結果、後々になりますがカンボジアで2回ほど詐欺に遭うのですw

まだスマホもなく、インターネットで得られる情報も限られていたような時代だったと思います。

もしもYouTubeがすでに存在していたのなら、押しかけた銀行さんや、いきなりやって来たよくわからない方々をインタビュー形式で撮影できたのに。

さてさて、話を戻します!

平成生まれのみなさんには分からない世界観かもしれないけれど、携帯にはアンテナがついていて、電波が3本表示されているとバリサンと読んで、電波が悪くなってくると携帯を天にかざして電波を集めようとした時代。

SNSって何があったのだろう。
Facebookはもちろん、Twitterもなかったし、日本の元祖SNS的存在のmixiもなかったはずだ。

そんな時代に、僕は初めて自我的なものに目覚め、と言うより人生に対して焦りを抱き、その焦りを和らげたくていろいろと本を読み始めた。

それまでズッコケ三人組や宗田理しか読んだことなかったのですが、なぜだかトルストイやサリンジャーも読んでみたり、今まで読んだことなかった分野も背伸びして読もうとしている中で出会ったのが沢木耕太郎著「深夜特急」です。
※「深夜特急」を知らない人はググって頂ければすぐ出てくると思います!今でもオススメです!!

それまで"バックパック旅"に漠然とした羨望はあったけれど、自分とは別の世界だと思っていたと思います。
が、会社の倒産と言う僕にとっては予想外の出来事によって、何かを自分から起こさないことに対する不安を覚え、その不安解消方法の一つの矛先がバックバッカーへと向かっていきました。

ただ一人で行く勇気は無い。

仮に今の旅を、情報が溢れている中から探し選び訪ね、泊まり、食べる、それを"確認の旅"だと仮定すると、
その当時の旅は情報も地球の歩き方主体で、あとは現地で歩いて探す"探検"に似ていたかもしれないと思います。

そんな冒険に似た大それた行動はチキンな大学生だった僕はひとりで起こせるわけもなく。

大学生時代を通して4人の友達が出来たのですが、そのうちの一人である荻にまず「深夜特急」を勧めました。

そして荻も「深夜特急」に興奮し、そして僕らは目を合わせ「よっし!バックパッカーしよう!」と意気投合。

僕らは20歳最初の春休みにタイへの3週間バックパックカーをすることを心に決め、そしてアルバイトにめっちゃがんばってお金を捻出したのでした。

と同時に、それは僕のある種の心の拠り所であり、現実逃避でもあったと思います。

家に帰れば、なにかに怯え、そして近い将来生まれ育ったこの家を出ていかなければない。

加えて父親は早朝には新聞配達をこなし、その後パン屋さんでアルバイトを始めました。

母親は箱入り娘として育ち、今まで外で働いたことがなかったのですが、家族を支えるためにパートタイムで外へ働きに出ました。

今まで、僕が帰宅したら母親が必ず庭か台所にいて出迎えてくれていたのですが、もうその光景はなくなってしまい、物事は変わり続けることを実感したのでした。

<最後まで読んでいただきありがとうございます!>

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