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人っぽい

2019年3月30日午後22時55分ごろ、JWAVE放送BOOKBARが11年の間の放送を持って終了した。

夜中に本好きが集まるラジオとして放送されて以来、たくさんの人に愛されてきたラジオでした。ボクも一昨年ぐらいから聴き始めた。毎週かならず聴いていたわけではないけれど、何か落ち込んだり元気がない時、ちょっと人の話し声が聴きたくなった時によく聴いていた。

ラジオ自体はボクが大学を卒業して1年ぐらい経ってから聴きはじめた。聴きはじめたきっかけは就職に悩んで周りに追いついていけず、自分だけがどこかにポツンと取り残されたような感覚に陥ったからだ。

もしかしたら自分は不良品なのだろうか。何がいけないのか。どこがダメなんだ。答えはどこだ。こんなことを考えてしまうループにはまってしまった。いつまでたっても出口が見えない。いつしか家に閉じこもった。ニートになった。社会の嫌われ者になった。

人の気配

1ヶ月ぐらい家に閉じこもる生活を続けた。さすがに体が拒否反応を出し始め、体を動かしたりもした。それでもポッカリ空いた心の溝は埋まらない。テレビは飽きた、情報番組しか流れない。携帯はよそう。なにか人の気配を感じられる何かが欲しい.....。そうだ、ラジオがいい。ラジオならリアルな情報と生に近い声が聴ける。

今の時代は便利だ。スマホでラジオが聴けるのだから。おかげでradikoには今も感謝している。

で、だ。誰のラジオ聞く?そもそも誰がラジオやってんだ?とりあえず元気が欲しい、元気...元気...、アイドル...アイドル...、AKB...AKB、高橋みなみ...いた。ようやく見つけた第1発目のラジオを聴きはじめてから徐々に変わっていった。


それからは思いつく芸能人や著名人でラジオを探した。今はもう終了した「渋谷龍太のオールナイトニッポン」、下ネタ連発のリスナーしか集まらない「菅田将暉のオールナイトニッポン」、ついさっき11年間つづいた本好きが集まる「BOOKBAR」、関西地方の日替わりでパーソナリティーが変わる「あっぱれやってます!」。どれも面白い。

そして最近になってふと気づいた。ラジオに助けられてたな、と。

ラジオには個性がある。お堅い内容で哲学な話をしたり、毎週2時間ちかく身にならないようなおばかトークで終わるラジオだってある。だから飽きない。だって人が話してるから。

ボクは昔っからテレビっ子だった。生まれた時から母子家庭で育ってきた。学校から帰ってくれば話し相手はテレビだけ。もしくはゲーム。いつもテレビが相手をしてくれた。でもテレビは一方通行で刺激が強すぎると最近きづいた。

それとは逆にラジオはイイ。聴きながら何か作業ができる。情報が耳だけで入ってくるから話の場面だったりを頭で想像する。なによりも生に近い編集なしの情報が聴ける。だからどこかあったかい気持ちになる。

もうすぐ、というかもう目の前までに迫っている新年号。その新年号が迫っているせいなのか、これまでお世話になってきたラジオたちがいくつも卒業をしていく。聴き慣れた声とトークのリズムがもう聞けなくなると思うと、自分の生活もどこか変形してしまう気がする。

けれど終わるということは始まるということで。また新しい芸能人たちがラジオをスタートさせるということ。そう考えるとワクワクする。

考えれば、目と耳で楽しんでいるテレビの方が楽しいはずなのに、ただスマホで音声を聴いているラジオの方が心地いいなんて。

今思えばなんだかおかしい気もする。きっと、出来上がってしまったモノをただただ一方通行に与えられているよりも、自分で選んで、聴いて、少ない情報で想像することの方が人間的なのかもしれない。



参考人物

菅田将暉

高橋みなみ

渋谷龍太


参考ラジオ

菅田将暉のオールナイトニッポン 

渋谷龍太のオールナイトニッポン0 

BOOKBAR

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