見出し画像

V・ファーレン長崎 助っ人外国人列伝(2013~2015)

歴史の浅いV・ファーレン長崎ですが、これだけキャラクターが立った選手が在籍していたんだ。ということで懐かしんだりしていただければ幸いです。

チョミヌ(韓国 2013、2015-2016)

2013年 J2昇格初年度の長崎に期限付移籍で加入したCB
2014年は韓国に戻るものの2015年に再度期限付移籍で加入し、2016年までプレー
計3シーズンで53試合0得点

2013年のJ2初年度躍進の立役者の1人。3バックの左右が主戦場。右利きで決して左足が上手いわけではないが、左CBでもマルチにこなした。
大人しく心優しく礼儀正しい青年で、外国人籍にしては珍しく結構な頻度で選手達のランチ写真に登場して、弟分的な存在としてかわいがられていた。プレースタイルは、球際にハードで強く、静かだが闘志溢れる守備。2013年の長崎は異常なほど「走る・ハードワーク」が代名詞で、夏場はふらふらになっても気力で最後までよく走っていた。
アウェイ千葉で、ケンペスに顔面を蹴られて負傷してもプレーを続けた姿は、足りない技術を走力と気力で補う2013長崎を象徴するものであった。

2015年再び長崎に加入。2014年の主力選手が続々と移籍していき、サポーターがショックと不安にさいまなれる中、ミヌの復帰はビッグイシュー。希望の光であった。
2015年も見事に主力として活躍し、2度目のPO進出に貢献。
2016年も主力として活躍するも、シーズン終了後に韓国へ。
韓国人選手との別れは、兵役がつきまとうので寂しいね。個人的に歴代外国人選手で最も長崎に溶け込んだと個人的に思う選手

オチャンヒョン(韓国 2013)

J2昇格初年度、福岡から長崎に加入。
記念すべき、長崎Jリーグ最初の外国人補強選手である。
長崎には、珍しい(当時唯一?)の左利きのサイドプレーヤー。左WBは序盤固定されていなかったのでチャンスはあったが、途中から山田晃(現奈良)が台頭して2試合の出場に留まった。
1年間の期限付移籍であったが、8月アビスパ福岡戦の2日前に突然、福岡への復帰が発表され、「福岡、スパイさせるつもりや!汚い!さすが盟主汚い!」という長崎サポーターと、「こんなタイミングで復帰させなくても・・・」という福岡サポーター。両サポーターにとって複雑な電撃復帰劇となった。試合は、長崎が1-2で敗れ、当のオチャンヒョンはベンチ入りすらしなかった。


③チョンフンソン(韓国 2013-2015)

2013年の夏。シーズン途中に加入。小柄で左利き。19歳で加入。
小さいが馬力があり、ドリブルもスピードがあり、90分走れるスタミナもあるという何とも才能の塊のような存在で、ひとたびボールを持てば、「なんだこのキレキレドリブラーは・・・」というプレーを見せる。人なつっこい笑顔とかわいい弟系のルックスで親近感があり、サポーターからも好かれていた。
そのフットボールの才能は全く手つかずの原石で、「こいつは島を出たばかりのパスも知らない坂本徹平か・・・」というほど組織プレーを知らない野生児。特に守備。異なる言語でのコミュニケーションということもあって、なかなか身につかなかったが、この野生児にこじんまりと組織プレーを仕込むのか、のびのびと長所を伸ばすのか、高木監督も頭も悩ませつつも楽しい選手だったであろう。
攻撃力はあるが、そもそも試合に入っていけるかどうか分からない。
彼の投入は、呪文パルプンテのようなもので、彼の投入で勝った試合もある。高木監督は結構ベンチに切り札として残していたので、全く勝算の無いパルプンテでは無かったようだ。

投入するタイミングとしては、この試合展開を変えるには劇薬を投入するしか無い!という手詰まり状態の時によく投入されていた。
小松塁とのコンビが妙にハマっていた印象が強く、記録よりも記憶に残る選手。現在は、元気に韓国でプレーしているようである。いつか親のような気持ちで成長した姿を見たい。


④クネズ(セルビア 2014-2015)

セルビア出身のCB。「永遠の秘密兵器」長崎サポーターは彼のことをこう呼ぶ。
長崎クラブ史上初の欧州外国人助っ人、CL出場経験あり、名門クラブ在籍経験と、加入当初は、「Jリーグクラブともなれば、こんな凄い(肩書きの)選手も来るのか!」と長崎サポーターの心をワクワクさせた。
しかし、1年半在籍し試合でプレーする姿は1度も見ることが出来ず、2015年6月に契約満了。

期待されながらもなかなか出場機会が無いクネズに対して、サポーターの心境は
「守備は連携が大事だから。言語の壁。長崎の夏の暑さは、厳しいよね。・・・」など、クネズを、諦めない姿勢を貫くサポーターが多かった。
CBに怪我が続出し「いよいよクネズの出番か・・・!?」と期待されたものの、高木監督は、ボランチをCB起用する采配をみせ、クネズの起用はかたくなにしなかった。
その起用方針は、クネズに対してサポーターが抱いていた淡い期待を打ち砕いた。
サポーターからは「クネズは秘密兵器」。とまるで、ベンチにいる桜木花道を説得するが如き意味の「秘密兵器」の称号がクネズに与えられた。
秘密兵器の称号を得て、ここまで来るとどんな状況に陥れば、出場チャンスが与えられるのか。興味は尽きなかったが、期待もむなしく、彼は1度も出場することは無かった。むしろ出場しなかったことで「永遠の秘密兵器」としてサポーターの心に刻まれているともいえる。


⑤スティッペ(クロアチア 2014-2015)

FW。2014年夏に岐阜を退団し、長崎に加入
これまでの外国人籍選手と大きく違ったのは、日本での実績がある点。前所属の岐阜でもそこそこ活躍しており、長身で足元も巧かったが、長崎のロングボール主体のチームスタイルには合わず、思ったほどの活躍は出来ないまま1年で退団してしまった。その後は、タイやシンガポールで活躍しており、SNSの更新頻度も高いので未だに高い頻度で思い出す選手。
本人は、医学部?を出ており、風貌も実物も非常にインテリで爽やか。

⑥イヨンジェ(韓国 2014-2015)

韓国ではアンダー世代から相当に期待されていたエリートFW
10代でフランスに渡るも、伸び悩み、2014年夏に練習参加を経て長崎に加入。
当時の長崎にイヨンジェのような選手が来るのは、相当驚きだったが、長崎が声をかけた際、「アジア大会を優先」というアジア大会に参加して兵役免除されたかったイヨンジェ希望を汲んだことが加入の決め手だったそうな。実際に2014年アジア大会で韓国代表として参加し、兵役免除を勝ち取っている。
187cmの長身と鋼の肉体、スピードを武器に、スペースにロングボールを蹴ってイヨンジェが追いかける「戦術ヨンジェ」はJ2で脅威となった。
W杯2次予選でゴールを決めており、長崎所属で初、唯一のA代表に選出された選手&ゴールを決めた選手である。
その後、尊敬するパクチソンの古巣である京都サンガに移籍。
現在は、岡山に所属し、現在J2得点王とその才能が開花している。
ゴールした際にハートマークを作るパフォーマンスをするが、トラスタのメインスタンドにいる彼女(フィアンセ?)に送られていたのが発祥。当時はよく長崎駅前のスタバで仲睦まじい姿を目撃した。

まとめ
2013~2015までの助っ人外伝を纏めましたが、韓国人選手が目立ちますね。
当時はJ2でもお金が無い部類でしたので、未知数な選手が多いですが、その中でもスティッペ、イヨンジェなどよく獲得できたなと。
意外と戦力になった選手が多くて驚きです。

2016以降も重要があれば町田戦の後、ゆっくり書いていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?