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突然63歳の父が死んだ。

5月23日の18時過ぎの出来事。

家にいたら、兄から電話がかかってきた。兄からメッセじゃなく電話で連絡が来るときにいい内容はないので、いつも背筋が凍る。

これまでには、父が肝硬変・十二指腸癌やった時など。また何かあったのかと思い電話に出たら、まさか突然すぎる死の連絡だった。そこからの記憶はかなり曖昧だが、しばらく受け入れることができなかった。

父とは毎年墓参りに行く。そこには父の弟・私の兄もいる。ここ1-2年では私の妻や兄の子供も来るようになっている。今年も3月に行ったばかりだ。その後にNHKの逆転人生やNONSTYLE井上さんとのラジオ「#バズらない話をしようか」の出演が決まった時にも電話が掛かってきていた。そりゃ、突然すぎて頭が追いつく訳もない。


5月30日・31日に葬儀を終え、特に何が言いたい訳でもないのだが、打ち込んでいるのが今。


少し父の思い出話をしよう。父は1974-75年はアンデルセンというグループでアイドルとしてデビューしている。誰もが知っている井上陽水さんが作詞作曲した曲「ロンドン急行」を歌っている。井上陽水さんがその後歌ってそっちのが売れているが。

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1986年に私が生まれ幼い時に離婚をしているので、正直一緒に暮らした記憶は全くと言っていいほどない。ただ習い事のサッカーや水泳の時見に来てくれたり、食事に行ったりと交流はあったので、一緒に住んでいないとは言え私にとっては唯一の父であった。

サッカーで中学の時スペイン遠征や高校の時韓国遠征などの時は、快くお金も満額ではないが払ってくれた。

社会人になり、祖母祖父が先に他界し親というものもいつかはいなくなると頭では理解していたはずだったかが、本当に親孝行をできたのかできてないのかは、もう父の口から聞くことはできないのでわからない。

ただ5年ほど前に二人で箱根温泉に行ったりと、限られた時間で一緒に楽しむことはできた気はしている。

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その時の写真だが、浴衣を表裏逆に着ているので伝えたが、もうこれでいいと直さないような父。そして旅館のスナック的なお店では大人気。そりゃ売れてないとは言え昔のアイドルであり、歌はめっちゃうまい。

自分の自慢話しが大好きだった父。そして葬儀の時このご時世にも関わらず親戚一同・親しい友達が集まってくれ、みんな笑顔で父のことを話ししていた。どうやら、私がテレビやラジオに出る時何度も電話が来ていたのは、周りのみんなに電話で説明していたようだ。いなくなってから知るとは思ってもなかったが、私のことも自慢してくれていて嬉しかった。

他界してからの10日間、心身共にダメになっていたが、いつまでもクヨクヨしてたら父に怒られそうだ。「悠太、いつまでもそんなでいるな。」父は生前からお酒をやめてまで長生きしたくないと言っていた。それはそばにいる私もわかっていたので、一緒の時には浴びるように飲んでいた。

そうだ、父が望んだ最後だったんだな、と今なら思える。そして、天国では体のことを気にせず楽しんでいることであろう。

もっと父と話しがしたかった、笑いたかった、もっともっと歌声を聴かせて欲しかったが、もうそれは叶わない。

最後に父に伝えたのは「まだだいぶ先にはなるが、今を必死に生き、そして楽しんでからそっちに行くから、それまで楽しんで待っててね。そしてそっちの世界があるなら、たまにはこっちを覗きに来てね」という言葉だった。


参列してくれた方々
このような時期に集まってくださり、ありがとうございました。父も喜んでいるでしょう。たまには、父の思い出話をし、お酒を飲んでくれたら嬉しいです。

会社のメンバー・関係者の方々
先週より、ご迷惑をかけてしまったこともありますが、しっかりと見送ることができました。感謝しております。

このnoteを読んでくれた方々
人の死・そして死後どうなるかは誰にもわからない。だからこそ、今できることを家族だけでなく、お世話になっている人にやり続けることは、とても大事なんじゃないかなと。私自身ちゃんとはできてないから偉そうには言えないが、父の死に直面し感じました。

最後に父へ
オヤジからしたら、なんでもできる兄の弟でポンコツな俺。普通の家族より過ごす時間は短かったけど、一緒に過ごした時間は宝物だったよ。これまでもこれからも、カッコいいオヤジは俺の自慢だよ。
オヤジ、さようなら、そして安らかにお眠りください。

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