小説 「酸化」 #2

 コタツを囲う本棚の奥はキッチンになっている。キッチンはガスコンロとシンク、備え付けの食器乾燥機からなるL字のシステムキッチンで、そのL字にはめ込むように、腰ほどの高さで畳1畳ほどの大きさのテーブルが置いてある。

 僕が5歳くらいの頃の写真を見返すとそのテーブルを囲んで誕生パーティーのようなものが開かれていたようなので、以前は食事に使用していたんだと思う。けれど今は、弁当箱や封の開いていない濃口醤油のボトルや粗品と書かれて透明なビニールに入ったタオル、使っていない食器や祖母からもらった梅干しが入った瓶なんかが何の法則性もなく置かれている。もちろんテーブルの下のスペースも同じような感じで、ダイエット用品のおそらく腹筋を鍛えるような機器やしなびた箱に入ったコーヒーメーカーなんかがビッシリと詰まっている。

 これが僕の脳みその中の知識の量であれば迷うことなく知識の断捨離を行い、大切なものを忘れないように努めるだろう。しかしこのテーブルの上の油と埃をかぶった不用品は僕が覚えた知識ではないし、まして僕の所有する物でもない。これまでに幾度となく母親を説得し、整頓や片付けを行おうとしてきた。が、その度に母親は深い悲しみの感情を表に出して、粗品のタオルは急に必要になる時があるし、空のなにも入っていない瓶や壊れているコーヒーメーカーなんかも購入にお金がかかっていると訴えかけてくる。しまいには泣き崩れ、誰に対してなのか謝罪を繰り返す。

 僕は近頃、家の中で不要なものを見るたびに心を金属バットでミートされている感覚になっていた。これらのゴミは、野球選手ならば確実にアベレージヒッターになって世間に評価されていると楽観的な考えに至ることもあり、自分で自分の感情がコントロール出来ていないことを再確認した。