お前と会話するとムカつく原因

どうも、カッパです。

 このごろどうも、会話というものが難しい。まあカッパが人間界に暮らしている時点で生きるだけで難易度が高いのは承知なのだが。ただ、カッパとの会話も人間との会話も、言語を用いてコミニュケーションをとるという点は同じである。私は考えた。どうして会話が難しいのか。

 その日考えても答えは出ず、結局相手がわるいんじゃないかなという安易な結論にいたったわけだ。だがしかし、どうやらそうではなかった。結論からいうと、相手を尊重する気持ちが欠けていたから。

 それに気がついたのは、つい5時間くらい前のことである。私は旅中に函館である人間と出会った。年齢が同じで、まあ少し外見がタイプだったこともあり、なんとなく誘ってみたらその日1日デートすることが出来たのだ。古い遊園地に行き、映画館で映画を観て、ファーストフード店で深夜まで食事と会話を楽しむ。会話を楽しむ。そう、会話を楽しんだのだ。

 そう感じた時、私はすぐに会話を楽しめなかった時と会話を楽しめた今回の違いを洗い出した。そして、その違いこそが、相手を尊重するかしていないかの違いだ。細かな違いは他にもあるのだが、芯をくった違いがこれである。

 ではなぜこの気持ちがないと、会話が楽しめないのか。ここで一旦整理したいのだが、ここでいう会話とは、レジ会計時に繰り広げられる「こちら、温めますか?」「いや、いいです」といった無味無臭の会話ではなく、「あの映画どう思った?」や「あいつがこう嫌がらせしてくるんだよね」といったような、気持ちを共有するもの、または意見交換を行う会話のことを指す。

 このような会話がこのごろ難しいということにも、説明をしておく。私の特定の友人との会話が、相手のことを否定し合うような否定合戦になってしまうからだ。その相手とはここ3ヶ月ほど前に仕事のパートナーとして一緒に仕事をしていた。私は仕事なので、仕事に対し意見をいうのが普通というか、意見を言ったほうが良いと思っていた。揚げ足取りのようになってしまっているところもあったと今となっては思う。そして仕事のパートナーではなくなり、今ではただの友人に戻った訳だが何故か私生活においても彼は揚げ足を取ってくるのだ。私があのA映画が、B映画くらい面白いと言えば、「じゃあB見とけばA見る必要ないじゃん」と返してくるといった具合だ。面白さが同じであれば、面白さの種類が違っても良いのか?との問いが残る。そんな筋が通っていないことを言われれば反論してしまう。そして私は、ああ、コイツは私の意見はとりあえず否定したいのだ、だから会話して気分が悪くなるのはコイツが悪いと思ってしまった。悲しいかな、私はそう思ったのだ。

 しかし、仕事の話とはいえ会話は会話、相手を尊重していない発言は、私から始まったのだ。そう、きっかけは私だった。であるのにも関わらず今まで心の中で相手のせいにしていたのだ。私は自分のその判断能力の低さを悲しみ、5時間前に心を改めた。

 いま、特定の人と会話がうまくいかないという人はいるだろうか。私1人の今回の例が、万人に当てはまるとは微塵も思わない。が、もしかすると、相手を尊重しさえすれば、状況が変わるかもしれない。 とりあえず私は尊重する気持ちを忘れずにこれから話していってみる。これで結果が変わらなければ、また別の原因を洗いだしてノートに投稿する。まあ、もしこのテキストにスキがつくことがあれば、の話しだが。