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俺たちの命くらい一緒に賭けてみろ!仲間だろうが!!

今日は、コーチングを受けさせてもらい、
色々な気付きがありました。
最近は色々なことがさらっと過ぎて、新しい問いを見つけるためにコーチングをしてもらいました。

コーチングを受けた中で、
「共感者から仲間になりたい」
という気づきが一番大きかったです。

仲間(≒同志)と呼べる同じ方向を向いて頑張る人を欲している自分がいて、
比較的、誰とでもある一定レベルで仲良くなれことはできるけど、
それ以上の(同志と呼べるような)踏み込んだ関係性を気づくのが苦手。

そもそも、今までは「仲間」という存在は必要なかったのだ、と気づかされました。
どういうことかと言うと、根底に「誰かから認められたいという承認欲求」があり、
仲間ではなく、自分のことをただ全肯定して受け入れてくれる共感者がほしかったのだ、と。

そして、「批判や否定というフィルターを通す」ことを極端に恐れているし、
それは直接的な批判や否定ではなく、コミュニティから疎外されることなど間接的な批判や否定を恐れているのだと気づきました。

だから自分の意思決定は、潜在的に「誰かから認められたい。だから(批判や否定をされずに)誰かから認められる範囲で挑戦することを選んでいる」のだと思いました。

周りからは「頑張れ、応援してるよ」と言われる範囲での挑戦です。
絶対的な挑戦だけを潜在的にピックしているのだ、と。

今まではそれで十分だったのだというのも同時に気づきました。
なぜなら「承認され、自分の居場所が満たされていること」が自分にとって最重要だったから。

でも、自分が本当に辛く、自分には価値がないと思い込んでいた時に、
手を差し伸べて助けてくれた存在は自分にとって「共感者ではなく、仲間でした」

だから、共感者ではなく、仲間にシフトしたい。
僕は、自分の可能性を信じきれていない人の居場所になりたいと思う。

表面的な共感ではなく、時として共に批判や否定を受け入れる覚悟を持つ。
苦しい時にそばに居てくれる仲間がほしいと思うし、
苦しい時に一緒にいたいと思える仲間になりたいと思いました。

タイトルはワンピースのルフィの言葉です。
一緒に命を張りたいと思える仲間がいたら、
僕の人生は幸せだったと言えるんじゃないかと思います。

今日生まれた僕の新しい問いは
「目の前の人がもし苦しんでいたら、逃げずに向き合いたいと思える関係性を築けているか?」

この問いは大事にしたいと思います。

みなさんには「こいつとだったら命を張りたいと思える仲間はいますか?」

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