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広島・長崎で何を感じ、次の世代に何を伝えないといけないか(青春18きっぷの旅)

1996年生まれの自分は、小学校入る前に911 (アメリカ同時多発テロ事件)を経験しているので、あまりテロに関して当事者として考えるきっかけがなく、知識がなかったイラク戦争勃興時(2003年~)には、アメリカとイラクの2国の争いごとくらいにしか考えていなかったなというのが事実です。

終戦から月日を経過して、小学校・中学校で広島・長崎に修学旅行に行くという方も多いのではないのかなと思います。僕はたまたま広島・長崎に行く学校ではなくて、現場で70年前に起きた戦争の惨禍を自分の目で見てみたいと思い、旅の目的地にしました。

戦争の「せ」の字も知らない若輩者が書くことは大したものではないが、振り返ったときに何を感じたかを備忘録として残します。

前回の記事は下記をご参照ください。

昨年末のダイヤでは鈍行(青春18きっぷ)を利用して、1日で長崎駅まで辿りつくことが出来ました。先日検索してみましたが、どうもJR九州のダイヤ改正・運転本数削減の影響で1日で大阪から長崎駅まで青春18きっぷで行くのは不可能になりました。まさに”再現不可能な旅”になりました。
JR神戸線(東海道本線)・JR山陽本線を使用して、姫路駅・岡山駅・糸崎駅・岩国駅・下関駅・小倉駅で乗り換えて、博多駅で小休憩のラーメンを食して、鳥栖駅・肥前山口駅・諫早駅で乗り継いで、6時頃大阪を出て、23時に浦上駅(長崎駅の隣で目的地)に着きました。乗り継ぎ・待ち合わせの時間を含めて17時間の旅でした。帰路については、姫路駅ー大阪駅の区間は比較的夜遅くまで動いているのもあって、途中広島で降りる余裕がありました。そのため短期間・低コストで長崎・広島を訪問することが出来ました。

浦上駅から徒歩15分ほどで、平和祈念像が位置しています。
もちろん平和公園内は到着したときは深夜になるので、真っ暗です。

平和公園

平和記念像

平和祈念像建立のことば

 昭和二十年八月九日午前十一時二分、一発の原子爆弾が、この地上空でさく裂し、方五粁一帯を廃きょと化し、死者七万三千余、傷者また七万六千余におよんだ。哀愁悲憤の思いは、今もなお胸を裂くものがある。
 私ども生き残った市民は、被爆諸霊の冥福を祈り、かつ、この惨禍が再び地上にくり返されることを防ぐために、自ら起って、世界恒久の平和の使徒となることを決意し、その象徴として、この丘に、平和祈念像の建立を発願した。
 かくて、私たちは、平和祈念像建設協賛会を組織し、内外の熱烈な協賛のもとに、昭和二十六年春、工を起してより、ここに四年念願の像を完成し、除幕の式を挙げた。
 この日原爆十周年の日の前日である。
 私は、三十万市民と共に、この平和祈念像が、万人に仰がれ、この世界平和の保持に大きな貢献をなすものと信ずる。

昭和三十年八月八日
長崎市長 田川 務

翌日広島に場所を移動して、JR山陽本線 新白島駅から徒歩で20分ほどの位置にありました。

平和記念公園

原爆ドーム

原爆死没者慰霊碑

どういう言葉を使用するべきか。
幼い頃から8月6日・8月9日・8月15日と年に3日ほど映る”映像”でした。
目の前にしてみて、この建物の意味しているものは何か。
何人もの尊い命が一瞬で失われたのか、何人もの人が悲しんだのか。
その場所に観光客が集まり、ただのスポットとして写真を撮影することに違和感を感じながら。

当時の広島には約35万人の市民や軍人がいたと考えられていて、約14万人もの一生が閉ざされたことになりました。加えて、被爆によって、より多くの方が苦しみながら生活し、病に伏す方もいらっしゃいます。当時の長崎には約27万人の市民や軍人がいたと考えられていて、約7万人もの一生が閉ざされたことになりました。

広島・長崎と合わせると、死傷者の合計が推計になりますが、37万人もの方々が巻き込まれました。

幼いお子さんもいらっしゃったり、友達との日々を楽しんでいた学生も居れば、自分の子どもを授かってその喜びを受けていたお母さんも居たことでしょう。その残酷さ・悲しさをなんと表現すれば良いのでしょうか。

これをどう後世(現実的には、自分の子ども・孫)に伝えることが良いのでしょうか。

1人の大人として、どう捉えれば良いのでしょうか。




戦争から73年経ちました。73歳以下の方は戦争を経験したことがない世代になります。75歳以上の人口が1,691万人(内閣府, データ元)、全人口が1億2,693万人であることを考慮すると、13.3%というところです。その中で原爆を爆心地近くで経験している方はその数%から10数%というところでしょうか。後世に伝えるべくご尽力いただいている方のおかげもあって、僕たちは生の体験を聞くことが出来ていますが、残念ながら向こう10数年もすると、直接聞くことは困難になっていくことが考えられます。その中でこれから生まれ育っていく世代に、ギリギリ直接伝え聞くことができ、これからの社会を担っていく(=担わないといけない)世代としてどう感受性を働かせて、想像力を働かせて、何を伝えるのか・どう伝えるのかは永遠の課題だろうなと思いました。


広島・長崎を訪れるときに間があるのであれば、先人たちの冥福をお祈りしたいと思います。それが一番にできることであるから。
観光地として記念に写真を撮っても良いと思います。ただその前に少しでもその観光地がなぜ観光地として成立しているのか・その経緯を少しでも目を通して、その中で思いを馳せることが簡単にできることなので、やっていこうと思いました。

答えが見いだせていない内容について。
何か良い伝達方法があれば、教えてください。


さとう 大学4年生。




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