見出し画像

(いまさらですが……)信州ダービー2022観戦記

藤原理一くんという、未来のフットボールライター候補(?)の青年がはじめてアルウィンにおもむき、松本山雅の試合を見たようだ。というか、信州の地を堪能したようだ。彼はライター候補らしく、信州への旅をnoteで記事にした。以下のリンク先がそれである。

それに触発されて、自分がはじめてアルウィンにおとずれた日の文章を、今さらながらnoteにアップすることにした。

以下に掲載するのは、新興の動画配信プラットフォーム「シラス」のチャンネル「カルチャーお白州」の人気企画「おたよりコーナー」に送ったものである。なので、カルチャーお白州の配信者である批評家のさやわか氏と視聴者に向けて書いたものである。文章も彼らに呼びかけている箇所を含むし、視聴者向けのネタもある。しかし、ふつうに読むことも可能であると考え、とくに手直しもせずに、ほぼそのまま載せることとした。ただし、おたよりコーナーに送った文章とちがってnoteは画像を挿入できるので、そこは追加させてもらった。

では、この次の行から本文になります。


さやわかさん、カルチャーお白州をご視聴のみなさん、配信部屋にいる2体の眷属、こんばんわ。yutaaraiです。

2021年12月12日放送の「まじ大人気!増える!おたよりコーナー #15」にて、「信州ダービー」というものについて紹介させていただきました(59分あたりから)。長野県の松本市と長野市の明治期から続く歴史的な対立が、現代のサッカーチーム松本山雅(まつもとやまが)と長野パルセイロの対決にも反映されていて、『クラシコ』というドキュメンタリー映画にもなっている、という内容のおたよりです。

10月30日に松本のホームスタジアムで行われた信州ダービーに行ってきたので、遅くなりましたが、ご報告させていただきます。

まずはこの日に至るまでの流れを説明します。

2021年のJ2リーグを最下位でおえた松本山雅はJ3に降格。2022年のシーズンは11年ぶりに長野パルセイロと同一リーグに所属することとなりました。最後に同じリーグを戦った2011年のリーグはJFLだったため、Jリーグでの信州ダービーは初となります。。

僕が行った10月30日(J3リーグ第31節)の時点で、2022年の信州ダービーは2度の対戦を終えていました。

最初の対戦は、5月8日に行われた長野県サッカー選手権大会。ヴァンフォーレ甲府が優勝した今年の天皇杯の長野県代表を決める予選です。J1とJ2は天皇杯本大会に直接乗り込めるので昨年までの松本は予選に参加していませんでしたが、J3に落ちたことで、この舞台でも11年ぶりに戦うこととなりました。結果は1-0で松本の勝利。

2戦目はその1週間後の5月15日。J3リーグの第9節。長野パルセイロのホームゲームでした。こちらは0-0の引き分け。

つまり、僕が見に行った日の時点で松本側が1勝1分けであり、長野側としてはこの試合に勝って対戦成績を五分五分にしたいところ。
また、松本はこの試合の直前の時点でJ3の4位に位置しており、J2昇格圏内の2位まで勝ち点2差という僅差。因縁ある地域相手の意地だけでなく、1年でのJ2復帰に向けても、勝利を求められる戦いとなりました。

さて、出発は前日の夜。手段は池袋発の夜行バスを選びました。試合開始が13時と早いため、仮に当日に新幹線で移動しようと思ったらそうとうな早起きが必要であり、その自信がなかったのでした。

仕事後、一度帰宅してからサンシャイン1階のバスターミナルに移動。ちょうど配信中だったカルチャーお白州にコメントをしつつバスを待ちます。

24時半に池袋を出発。談合坂サービスエリアでの休憩と、時間調整のためさらに2回停車するとアナウンスがあり、それでも5時半には到着するのだから長野県の距離的な近さを感じました。

夜行バスに乗るのは約10年ぶりのため、なかなか寝付けず、ボーっと過ごすことに。事前に調べておいたところによれば松本市は最低気温が1度とかだったので、かなり厚着をしてきたのですが、車内は暑いし全部脱いでT-シャツ姿になっていました。

シートのリクライニングをおもいっきり倒したかったのですが、後ろのひとの反感を買うのが怖いのであまり倒さずにいました。しかし眠れなかったため、夜中にこっそりと調整してちょっとずつ倒していくという駆け引きを楽しんでおりました。

眠れずにいたものの、サービスエリアを出発した後は、いつの間にか意識を失っていました。

次に目覚めたとき、バスはどこかに止まっていました。ちょうど時間調整の停車をしているのかなと思っていたら、運転手の女性がマイクでアナウンス。体調不良により救急車と交代の運転手を呼んだとのこと。トラブル発生です。

大変な状態でここまで運転してきたというわけですが、となると事故の可能性もあったことに眠い頭で思い至り、すでに安全が確保されているためか、眠くてヤケクソ気味なのか「死ぬかも知れなかったのおもしれー」くらいのことを思っていました。

グーグルマップで現在地を確認すると長野県の諏訪辺り。

ほどなくして救急隊員が運転手を連れて行くと、乗客だけがバスに残されました。エアコンのせいか、じゃっかん暑さを感じながらも、全員が沈黙してただひたすら交代の運転手を待ち続けます。僕は窓際の席だったため、ずっと外を眺めていました。光が後方から近づいてくるたびに「運転手来たか!」と思うも裏切られ続け。かなり長く待ちました。

20分が経過したころ。ようやく運転手がやってきました。乗り込んできたのは爺さんでした。

爺さんは明かりをつけて運転席の何かを確認した後ペットボトルのお茶を飲んでいました。これはまさか女性運転手さんとの間接キスなのではないかとの可能性で心が盛り上がってきました。運転手はおばさんであり、決して小倉唯ちゃんではないわけですが、爺さんからしてみれば「年下のオナゴとの間接接吻チャンス!」とばかりに、逃してたまるかとおもむろに口に含んだのではないかと。

そして次に思ったのが、ジジイの運転ということはむしろこの運転でも死ぬ可能性があるのではないか、おもしれーということでした。こんなことを考えていること自体が睡眠不足を意味しており、夜行バスに向いてないのかもしれません。

ジジイが到着を本部らしき場所に伝えている声が聞こえてきて初めて、ジジイではなく中年のハゲ親父なことに気がつきました。いずれにせよ年齢の高めの人たちが身を削りながら支えている業界なのだろうと思いました。

諏訪中央病院に運ばれたとか緊急手術なんて話をしているので、けっこう本当にヤバかったっぽいです。

再出発後は1時間もせずに松本駅前に到着。予定時刻と1分も違わずの着となりました。ジジイあらため中年すごい。

到着直後の松本駅前

祖父の葬式以来、20年ぶりの長野県。母は長野県の小諸市出身なので子供の頃から何度も長野に来たことはあります。

空気があきらかに東京と違い、山に囲まれた土地特有の味わいがしました。高校3年生まで夏休みと冬休みのたびに包まれていたあの空気を思い出します。

早朝5時半の松本駅前は松屋くらいしか開いておらず、とりあえずはそこへ向かいます。

信号待ちしていると、おなじく立ち止まっている若者3人組が信州ダービーの話をしていました。ホテルはどこもいっぱいらしく、夜通し松本で遊んだサッカーに興味ない長野の若者的にはいい迷惑らしいです。

3人くらいの客がおのおの孤独に飯を食う松屋の店内は、カウンター席もテーブル席もすべてに使用済みの食器が置かれていて、ワンオペが完全崩壊していました。

しかも店員は大量のテイクアウトを注文している客のために片付ける暇なく、謝り続けながら10個近い牛丼を袋に入れています。

牛丼屋チェーンのワンオペの過酷さはかねてよりネットでは話題でしたが、完全に崩壊した現場を初めて見て「朝からいいもの見た。松本まで来てよかった」と感動しました。この時点でもうサッカーなんて見なくてもいいくらい貴重な体験をした気になっていました。

朝定食を食べたら早朝の松本を散策。駅前はカラスをはじめ鳥が多く、カラスが飛び立つ様子がちょっとした渡り鳥みたいでした。早朝到着は何をすればいいかわからないと思ったけど、まだシャッターの降りている街並みを歩くのは楽しかったです。よく見ると松本山雅のエンブレムをペイントしたマンホールがありました。

思い出すのは、ここがドラマ『白線流し』の舞台であるということ。中学生時代に見ていました。スピッツの「空も飛べるはず」を再生。

人形工房や人形店がやたら多い通りとかあったけど、松本は人形が有名な土地なのでしょうか。街並みそのものの印象は秩父なんかに近かったです。遠くに見える山並みがアルプスなので高いという違いはあるものの。

せっかくなので松本城に行くことにしました。しかしまだ開城までは時間があるので川沿いを歩き、ベンチに腰掛けます。

地元の人が子供の頃から眺めているであろう景色と行きかう人々の姿を視界におさめながら、なにもしない時間をすごします。

アルウィンに行くシャトルバスについて確認すると、なんとキックオフ5時間半前から運行しているらしい。サポの熱意おそろしい。

松本山雅はホームページでリアルタイムで気温などを表示していることに気がつきました。寒い地域だからでしょうか。2020年には雪の中で試合をしていたこともあり、そのまとめも残っています。

ちょっとした映画『八甲田山』です。

時間が近づいてきたので松本城へ向かって歩いていると、ここふれことヴォネガット11さんからツイッターでリプが届いていました。なんと彼の出身が松本市だそうです。

松本城は、内部空間が楽しかったです。今まで行ったことのある城はどこも内部が、城から出てきた鎧や刀、生活用品などの資料館と化していましたが、松本城はほとんどそのようになってはおらず(少しは展示もある)、古い内部構造が残されていました。

城の入り口では靴を脱がされるし、狭くて急な古い階段なので、どの階も階段の上下に必ず係の人が付いていてずっと声をかけてくれていました。本当のお城の空間を動き回る楽しさは、そう言ってよければゲーム的な体験でもあるかと思います。

天守閣は外周に出ることができないため眺望を楽しむという点では若干物足りなさはありました。

10時半には松本駅に戻りシャトルバスに搭乗。13時キックオフですが、バス待ちの長い列ができていました。

アルピコ交通という松本駅前に本社を持つ会社がバスを出してくれているのですが、このシャトルバスがすばらしくって、他の多くのJリーグクラブには実現できていないホスピタリティでした。もしかしたらJリーグの58クラブ中で唯一かもしれません。

乗車は無料で、バス自体も普通の市営バスではなく旅行用の巨大なもの。しかも人数をカウントして全員が座れるよう配慮されていて、それでいて次のバスが到着するまでほとんど間隔が空いていませんでした。さらには発着場であるアルピコ交通の1階もバス内も無料Wi-Fiが完備されているという。

バス会社だから社員も土日が休みの勤務体制ではないとは思いますが、会社的には直接お金が儲かるわけでもないことを年間通してやり続けるのは、けっこう大変なはず。会社自体の考えとして松本山雅に貢献できることを栄誉あることと考えているのかもしれません。松本山雅は観客動員の多さでも知られていますが、こうした歓待の努力がリピーター獲得につながっているのではないでしょうか。
30分ほどでアルウィンに到着。降りると、入場待機列がえげつない長さになっていました。どうやら松本山雅のサポーターもビビるレベルだったみたいです。誇張ではなく、コミケ開場前の待機列と同等でした。

2万人収容のアルウィン(松本のスタジアムの名称)のチケットは(コロナ禍で声出し応援エリアは1席ずつ間隔を空けなければならないため、実売においては1万5千程度だと思いますが)完売。ほぼすべて自由席なため、少しでも早く入場したいんだろうとは思いますが……。試合開始2時間前であるこの時点で、席の獲得に不安を覚えつつ並びました。

ただ景観は最高でした。北アルプスや美ヶ原(うつくしがはら)高原をのぞむ開けた土地。待機列の周辺の芝生で子供たちが遊んでいました。これはFC東京ホームの味スタでは見かけない光景です。

ちなみに長野でしかも高原にもかかわらずぜんぜん寒さを感じず。むしろちょっと汗ばむくらいでした。

待機列が少しずつ進んでいく最中ずっと周囲を観察していましたが、松本山雅と長野パルセイロのサポーター同士のギスギスした雰囲気なるものはなく、平和そのものです。周辺の芝生にレジャーシートを敷いて、スタグルを楽しむファミリーやサポ仲間たちが多数いました。

入場して席取りをしようとするも、遠目には満席に近い状態でした。バックスタンドの、中央よりやや長野パルセイロ寄りの場所になんとか一人分の空席を見つけて、「ここは俺の終の棲家」とばかりに腰を下ろしました。長野のサポーターがちょうど大声で歌っている最中でした。

長野パルセイロのためのビジターシートはだいぶ割り当てが少なく、スタジアム一角に押し込められているかのようでした。いかにもアウェイっぽい扱いです。

食い物をゲットするべく一度席を立ちました。スタグルはどこも長蛇の列で、おなじくスタグルに命をかけるFC東京サポでありながらもやや気圧されましたが、山賊焼きを串にした「山賊串」の七味マヨ味と「山雅ビール」の大を手にして席に戻りました。

屋根のないアルウィンの席はもはや初夏のごとき暑さでした。ビールを飲む分には良いのですが、厚着してきたのでちょっと困りました。というかバスの中も暑かったし、この旅行にコートが不要だった可能性すらあります。

ウォーミングアップ中も両サポーターは歌い飛び跳ね続けていました。

ウォーミングアップが終了し、選手紹介。

松本山雅のスタジアムDJがイケボで「長野パルセイロのファン・サポーターの皆様(この言葉が出た瞬間に松本のサポーターはブーイングを開始)。リーグ戦では、ここサンプロアルウィンで5287日ほど勝利から遠ざかっています。お互いベストをつくしましょう!」と下部リーグでくすぶっている長野パルセイロを煽ります。

ちなみに、J3リーグの第9節。長野パルセイロのホームゲームではスタジアムDJが「J3へようこそ!」と無念の降格をして自分たちと同じリーグまで落ちてきた松本山雅を煽っていたそうです。

アルウィンではアウェイチームの紹介は『新世紀エヴァンゲリオン』の超絶有名なBGM「DECISIVE BATTLE」が流れます。第2新東京市の所在地が松本だからなのか、たんに敵が攻めてきているからなのか。理由はよく知りません。

選手紹介が終わると、コレオグラフィー(サポーターが色のついた紙をかかげてスタンドに絵や模様を出すアレのこと)が登場したのですが、なにを作っているのかよくわかりませんでした。後で確認したところ、北アルプスの山並みを作っていたようです。

コレオを下げた後は「パルセイロだけには 負けられない 教えてやれ 俺らが信州」と歌って選手を迎え入れる松本サポ。というか今日この時点で3~4回はこの歌を歌っています。

試合自体は熱気に満ちていたといえば満ちていたし、かといってそんなにレベルが高い戦いが展開されていたわけでもありませんでした。現在開催中のワールドカップとはレベル的にも天と地ほどではないものの大きな差があります。

しかしそんなことはサポーターにとっては関係がなく、僕の周囲のおっさんやおばさん、若者やショタやロリは大盛り上がりでした。
母の実家は長野県ですが、小諸市は「東信」に属しています。松本のある「中信」とも長野のある「北信」ともまた別の土地です。

JリーグでFC東京はどちらとも対戦経験があります。松本山雅とはJ1で、長野パルセイロとはJ3でFC東京U-23というセカンドチームが戦いました。なので、対戦経験があるからこちらを贔屓する、みたいなこともなく、中立的な立場で「ふむふむ、下部リーグも盛り上がっとるようだのぅ」と高みの見物をしていました。

試合自体は松本山雅が先制し、長野パルセイロが1度は追いつくも、最後は松本山雅が勝ち越して勝利をするという、三幕構成的な展開を見せました。見に来たサポにとっては見ごたえのある満足感ある内容だったのではないかと思います。長野パルセイロは負けたもののゲームを掌握していた時間帯もあり力を見せていたため、サポーターも挨拶に来た選手たちを拍手で迎えていました。

僕はピッチ上の試合そのものよりも、信州の地にサッカー文化が育っていることに感動していました。

自分の周囲のおっさんたちは、おそらく海外の最先端のサッカー理論なんか知りもしない人たちでしょうが、夫婦で楽しそうに好き放題試合の話をしています。

映画『クラシコ』のラストシーンは、アルウィンに白髪頭のお婆さんが孫である女の子を連れて、新聞に掲載された情報を頼りに初観戦にやってくるところで終わります。

そのシーンのお婆さんと女の子がいまもアルウィンに通い続けているのかどうかは知りませんが、おなじようなきかっけでアルウィンにやってくるようになった人々が、いつしか毎年毎週末に松本山雅の試合を追うようになり、現在のサポーターで埋め尽くされたスタジアム風景があるのでしょう。

勝利した松本山雅のサポーターたちは「勝利の街」という歌を歌い始めました。リンク先の動画は僕がこの日バックスタンドから撮影してアップしたものです。

コロナ禍での声出し制限のためゴール裏しか歌っていませんが、2019年まではスタジアム全体で歌っていました。

松本 俺の誇り
勝利の 道ゆく街
さぁ行こうぜ緑の友よ 
遥かなる頂へと オオー

ここでいう「松本」は松本山雅のことであると同時に、松本の街を意味しています。松本山雅というサッカークラブを誇ると同時に、松本の街のことを誇っています。

この、クラブ名将の地名部分だけを歌詞に盛り込むことで、チームと地域のダブルミーニングにする仕掛けは、ほとんどすべてのJクラブのチャントで採用されているやり方だと思います。

一例を挙げるなら、たとえば大宮アルディージャの以下のような歌。

叫ばずにはいられない
大宮への愛を歌う
オレンジと紺の勇者 俺たちの街の誇り
だからどんな時もここに集い
大宮への愛を歌う
この歌よ君に届け 共に戦うために

この歌詞でも、大宮はアルディージャであると同時に街の大宮を意味しています。

「サッカー文化」なるものがどんなものなのかを一言で言うのは難しいのですが、あえて言うなら「自分はどこで生まれたのか/自分はどこで生きていくことを選んだのか」を確認する行為がサッカー文化の本質ではないか、と思います。

以前のおたよりコーナーで紹介した、中村慎太郎『サポーターをめぐる冒険』も、架空のJ2クラブの女子サポを描いた漫画『サポルト! 木更津女子サポ応援記』も共に「街と自分」を描いた作品になっています。そして両作品とも、チャントの歌詞のダブルミーニングの構造ゆえにゴール裏で「街と自分」について感傷的になるのです。

ZUZUさんが実際に浦和の試合を見に行く際に参考にしてくださったサッカー観戦初心者向けのおたよりに「僕のオススメは、ご自身にゆかりのある土地を拠点にしているチームのホームゲームです。つまり、自分がいま住んでいる地域、もしくは出身地です。」と書いたのも、要するにこの辺のことが根拠になっています。

それも、チャントの歌詞は多くの場合、各々のサポーターのライフステージに応じた解釈が可能となっており、「勝利の街」でいえば「勝利の 道ゆく街/遥かなる頂へと」これから何かを為そうとする若者にとってはこれからの人生の夢に向かう歌に聞こえるかもしれないし、もう人生をゴールまで生きるだけのおっさんにとっては、その齢になっても松本に暮らしていることで山雅とともに夢を追える歌に聞こえるのではないかと思います。結婚を契機に街の住民になった人にとっても、その経緯なりの解釈があるでしょう。

「勝利の街」が終わったら、サポーターではない僕はいそいそとスタジアムを後にしました。サポたちは選手をゴール裏に迎え入れ、「アルプス一万尺」を歌いつつラインダンスをするのは知っていましたが、電車の予約時刻に確実に間に合わせたいので。

無料シャトルバスで松本駅に到着後は、せっかく長野県に来ているので駅前でお蕎麦を食べ、さらに駅弁で安曇野の釜めしを買い、特急あずさで帰りました。

家に帰ってから『白線流し』の1話を見ると、酒井美紀や京野ことみが特急あずさで東京から松本に帰るところから物語が始まっていました。駅前のシーンを見ていると、今もなお残っている建物が発見できました。前進となった山雅サッカークラブと長野エルザサッカークラブは1997年に北信越リーグで初対戦していますが、ドラマの放送は1996年なので、まだギリギリ信州ダービーが存在しなかった時代。まだ誰もこの土地がサッカーで熱狂することになるなんて知りもしなかったころです。

以上です。思いのほか長くなってしまいましたが、お読みいただき、お聞きいただき、都度課金をご延長いただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?