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運と巡り合わせでプロダクトマネージャーになった話する? #pmac2018

前書き

お世話になっている @mizuki_tannoさんから、プロダクトマネジメントについて「何か書いてください!」と唐突なリクエストがあった。飲み会でシーンとなった時に「なんか面白い話してよ」って振るくらい雑な振りだと思ったけど、 @mizuki_tannoさんに頼まれたから断る訳にも行かないので書きくことにした。(ウソです、頼まれて嬉しかったです。)

ぼくはこれからプロダクトマネージャになろうとしている他職種の方、若手のプロダクトマネージャ向けに、ぼくがプロダクトマネージャになるまで何をしていたか、その経緯を振り返ってみたい。ただ、なにぶん個人の体験に基づく話なので、これから書く話がN=1の主観であることはご容赦いただきたい。

予め断っておくと、「どんなスキルを手に入れれば良いか」が分かる文章では全くない。どちらかと言うと「自分の将来は先が見えなくて当たり前。その瞬間瞬間目の前にある仕事・人生を楽しんでいこう」と読後に思ってもらえることを願って書いてる。


と言う事で本文

2018/12/6現在、ぼくはメルカリのプロダクトマネージャー職として仕事をしている。が、自分がなぜこの役割に辿り着いたのかを一言では表現できない。いくつも分岐点があった。人生は基本的に運ゲーなので、今の両親の基に生を受けたのがそもそも運だ。しかし、そんなところから振り返ってるとさすがに文章が終わらない。分岐点を何個かピックアップして後講釈するが、2つ自信を持って言えることがある。

1つ目はプロダクトマネージャーになろうと思ってなったわけではない、ということ。そもそもそんな職業の存在を知ったのが、ここ3年くらいの話。「どうやったらプロダクトマネージャーになれますか?」と聞かれても、「ぼく自身は先を考え過ぎず、目の前の仕事に取り組んできた結果こうなった」としか言えない。

2つ目は、キャリアの大半は自分が何者か分からず基本的にずっと不安だったこと。今も未来の見通しなど全く立ってない。でも、前よりは不安を感じてない。正確に言うと以前は不安で立ちすくむ事が多かったが、今は不安を感じても足を止めずに前進する術を覚えた気がする。プロダクトマネージャは決めて前に進む仕事。どれだけ不安だろうが決めることが求められる仕事なので、自分のマインドセットもトレーニングされた気がする


目次

1. テックよりもエコや社会課題に興味があった
2. 自分以外の同期が全員避けたプログラミング
3. 新卒入社した会社が潰れる→エンジニアに転身
4. 欲しいと言われたモノを作っても誰も使わない
5. 運と巡り合わせを呼ぶ「行動と意思決定」



1. テックよりもエコや社会課題に興味があった

大学・大学院時代は地球環境問題に興味があった。エネルギー、水、森林などの限りある自然資源をどう持続可能に活用していくか。そんな人類規模の課題に興味があった。が、ある時、根本的な課題解決をするには高度な政治的調整能力が必要な事に気付く。ぼくには欠けてる能力が多いのだが、その代表が政治力。そう認識していた。見ず知らずの人と仲良くするのは疲れるし、利害関係目当てで人に近づくことに嫌悪感を感じてしまう。こりゃ自分が取り組んでも役に立てないなと。

新卒は外資コンサルに入社。「色々なビジネスが学べる」と言う、当時コンサル志望の学生が全員口にした安易な理由で、ぼくもコンサルを選んだ。この選択は完全に消去法で、ぼくは日本式の縦社会が極めて苦手で、日本の大企業では絶対出世できないと踏んでいた。早く生まれたってだけで偉そうにしてる輩を目の前にすると、軽蔑の感情が湧いて顔に出てしまうのだ。ぼくは平和主義者だから揉めたり相手を貶めたりはしないが、軽蔑の感情を相手に悟られてしまうのは致命的。絶対に出世などできない。ぼく自身に悪気はないのだが、反射的に軽蔑してしまうのだ。自分でもコントロール能わない。なので、縦社会が緩そうな外資しか選択肢はなかった。

コンサルの仕事は楽しかったのだが、ぼくにとっては心底情熱が湧くものではなかった。当時は同世代の社会起業家にとても憧れていて、フローレンスの駒崎さんマザーハウスの山口さんなど、年齢が一つ上くらいの人達が身一つで事業を興してる姿を本当に尊敬していた。「いずれはぼくも」と思う気持ちはあったが、お金がなくて食い詰めても情熱を持って事業を興す覚悟はないなと気付き、おれはなんて中途半端野郎なんだと自己嫌悪に陥っていた。自分には本当に何もない。そんな焦りが先行して、よく空回っていた。



2. 自分以外の同期が全員避けたプログラミング

コンサルという職業においては「お前のバリューはなんだ」と言う問いが頻繁に発せられる。とくに新卒時代にその問いに対して応えるには「スキルが無いので時間かけて頑張ります!」くらいしか言えることがない。自分より時間単価の高い上司や先輩の時間を無駄に使わない、彼らの時間を創り出すと言う事を意識して仕事していた。

ただ、正直大して活躍はしてなかった。同期と比較すると、瞬間的な思考の切れ味はなく、泥臭い仕事をする愚直さにも欠け、何をやっても中途半端。自分の武器と呼べるものはなかった。そんな中、プログラミングが必要なプロジェクトがあると社内で話題に上がった。書ける先輩は既に別プロジェクトにいるし、同期も明確にプログラミングを避けた。ぼく自身は何も意思がなく「まあ特に興味ないけど、必要とされてるならやるか。時間単価の低い自分が頑張るべきところかな」くらいのテンションで始めた。

最初にやったプログラミングは、ExcelのVBA。プログラミングと読んでいいかは謎だが。人間の手でデータの加工をすると、1日掛けてやる仕事を自動化することがミッション。同じ現場の先輩は誰も教えられないから、全て自学自習。Excel VBAのクソ分厚い本を買って、2週間くらいずっと1人で試行錯誤してた。最初は分からないことだらけで、なかなか成果が出ないのだが、自分が「知らない事を知るのが楽しいと思える」「小さな進歩を喜べる」性格だったのは学習上大きかった。周りからすると粘り強いと映ったかもしれないが、自分が考えた処理が一つ一つ具現化されていく過程は純粋に楽しい。

積み重ねの末に処理が自動化されると、人間が1日掛けた作業が2-3分で完了した。それまでテックにはまるで興味なかったけど、こりゃすごいなと。そしてもう一つ気づきがあった。コンサル×プログラミングのスキルのかけ算を持ってる人は社内でも全然いないのだ。独自性のあるポジションが取れたら、競争に巻き込まれにくい。ぼくは単独種目での競争が全然得意ではなく、一位を取ったことがまるでない。なので「比較困難」な場所に立つ事を生存戦略にしているし、自分以外誰もできない事をやるのはとても心地よかった。


3. 新卒入社した会社が潰れる→エンジニア転身

入社した2年半したある日、社長から呼び出された。そして突然の宣告。

「うちの会社日本から撤退するから」

事業会社に行きたかったのでいつか転職したいと考えていたが、予定がだいぶ早まってしまった。自分が人材として売り物になるかは相当不安だったが、賽は投げられてしまった。やるしかない。ちなみに、ぼくが初めて転職活動をしたのは2010年の年末なのだが、この時期はリーマンショックの余波を引きずって転職市場が相当冷え込んでおり、転職活動は困難を極めた。書類選考すら通らない。これは結構ショックで、無名の会社とはいえ2年半キャリアを積んだ自分への評価はこんなもんかと。自分は名の通った大企業を選べる立場ではないのだと思い知らされた。

贅沢は言ってられない、リスクを取らなくては。そう思いスタートアップまで視野を広げ、ユーグレナの事業企画とレアジョブのIT企画を受けた。結果、レアジョブが採用してくれた。「エンジニアと他部門のコミュニケーションを円滑にしたいので、ブリッジして欲しい」と入社前に人事から期待を伝えられていたのだが、入社してみたら状況が少し違った。自分もエンジニアの一員としてガッツリ開発する必要があったのだ。正直「入社前と話が違う」と思ったが、自分は拾ってもらった身だから、今いる場所で生き残るしか選択肢がない。文句を言える身分ではないし、求められたことでバリューを出さないと飯が食えなくなると本気で思ってた。

ただ、当時はHTML/CSS/JavaScript/PHPの違いさえ理解してなくて、プロダクト開発は全くのド素人。入社初日に「来週までにこれ創っておいて」と言われても、全く先に進めないのだ。隣の席にいた大学生インターンに「これどうするの?」と聞くと、「ググってください」と返され、ぐぬぬと思って1時間くらいググるが全く分からず。「ごめん。検索キーワードだけ教えて」と質問して教えてもらう、みたいなことを繰り返して、何とかプログラミングを覚えていった。正直かなり悔しかったが、エンジニアという意味では自分より彼の方がバリュー出してるから仕方ないなと、割り切れてもいた。実力無視した年功序列は許せないが、年齢無視した実力勝負なら受け入れられる。そうか。自分のバイアスはこうなっているのか、とこの時に気付けた。



4. 欲しいと言われたモノを作っても誰も使わない

レアジョブでエンジニアになって、転職先のビズリーチでもエンジニアとして入社した。エンジニアをやっていると、同僚から色々なリクエストを受ける。あの機能を付けて欲しい、ボタンの位置を変えてくれ、一斉にXXできる機能創ってくれ、などなど。ぼくも周りの期待に応えたいタイプなので、一生懸命実装するのだが、いざ言われたとおり創ってみると「なんか違う」とか言われ、使ってもらえないことが頻発した。

「お前が欲しいって言うから創ったのになんだそれは」
「おれが頑張って実装した時間を返してくれ」

内心何度もこう思ったし、その度に徒労感を感じた。失敗を繰り返す中で気付いたことがある。「これって建築でいうと、設計図面ないまま、大工が家建ててるのと一緒じゃないか」と。

腕のある大工(=エンジニア)がいないと当然家は建たないけど、図面書く人が不在だと住みにくい家が完成して、そこには誰も住み着かなくなるんじゃないか。同じ部署には図面創るのに責任を持っている人いなさそうだし、だったら自分がそこをやった方がだいぶマシなんじゃないか。

そんな課題感を持ってエンジニアをしていたが、海外事業の事業責任者に任命され、その後法人営業に異動になり、その後営業企画に異動になり、あれよあれよと言う間にプロダクト開発に携わらなくなっていた(この辺の経緯詳細)。そんな中、ぼくをプロダクト開発に呼び戻してくれたのが、当時同僚だった@mizuki_tannoさん。2015年くらいだったと思うが、当時から@mizuki_tannoさんはプロダクトマネージャという職種のエバンジェリストをしており、彼の部署にぼくを呼んでくれた。この出来事がなかったら、ぼくはプロダクトマネージャになっていない。



5. 運と巡り合わせを呼ぶ「行動と意思決定」

今までは社内オペレーション系プロダクトを創ることが多く、表舞台に出ない・出せない仕事を多くやってきた。ただ、メディアに取り上げてもらった話も数は少ないがある。



「自分にしかできない方法で社会の役に立ちたい」と常々思っている。今までの仕組み・枠組みではどうしようもなく困ってしまう人達を、誰も編み出していない方法で助ける。そんな仕事をしたいとずっと思っている。が、ぼくの自己評価だと、今までやった仕事はその水準に全然達していない。メルカリもレアジョブもビズリーチも、それをやったのはぼくではない。

ただ、自分の仕事が求める水準に達したことはないが、これまで経験した仕事は、それぞれ楽しかった。自分が知らないことを知る機会が多かったし、できないことができるようになっていく過程はとても楽しい。10年前には自分がテック系の仕事をしていて、プロダクトマネージャーをしているなど全く想像できなかった。なぜこの職種にたどり着いたかを紐解くと、運と巡り合わせとしか言えない。

運と巡り合わせが自分の人生を決めるが、努力でなんとか出来る範囲もある。今いる場所で自分のベストを尽くすこと、努力が結果に繋がらないなら居場所を変えること。逆に言うとコントロールできることはこの二つくらいしかない。

どの程度今いる場所で努力するかは、正直自分で勝手に決めていいと思う。と言うより自分にしか決められない。その後、どんな結果が自分に降りかかろうが、責任を持って対応できるのは自分だけなのだ。周りの大人は「もっとできる」だの「それで良いのか」だの、聞いてもない持論やアドバイスをワーワー言ってくるかもしれないが、自分が参考になると思ったものだけ真剣に聞いて、あとは全部無視すれば良い。その結果我が身に降りかかる事には、どうせ自分で対処しなきゃいけないのだ。自分で考えて決める以外に、納得がいく意思決定方法などない。

プロダクトマネージャーと言う職業にたどり着いた要因は運と巡り合わせだが、その運と巡り合わせを呼び寄せた一因は自らの行動と意思決定の結果だとも思っている。ぼくは自分が運が良い方だと思っているし、運が良いから先が見えない曖昧な状況でも最後は何とかなると信じている。

これからプロダクトマネージャになろうとしている他職種の方、若手のプロダクトマネージャの方、あなた達は自分は既に運が良いと思った方がいい。その方が最後まで粘れるし、最後まで粘れると結果を出せる確率が格段に上がる。そうすると次の機会がまた拓ける。そして、仮に結果が出なかったとしても大したことではない。仕事のミスで命を奪われることなどないし(※職種によってはあるな……)、クビになることもほとんどない。

99%の人は食うために仕事はしなくてはいけない。その過程を楽しもうが苦しもうが、今日も明日も仕事はやってくる。であれば、自分は運が良いと信じて、最後には何とかなると信じて、仮に失敗しても次は大丈夫と信じて、今いる場所でベストを尽くしましょう。努力が結果に繋がらないと思ってしまったら居場所を変えましょう。次行った場所でベストを尽くしましょう。

人生もキャリアも、思い通りにいったら嬉しい。でも、本当に大事なことって思い通りにいってない時に気付くことが多い。なので、思い通りに行っても行かなくても、何が起こっても楽しめるもんだと思いますよ。

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