うつ病・発達障害の免許合宿の思い出

免許の更新が迫ってきた今この頃、28歳A型作業所通いの僕は免許を取得した二年前のことをふと思い出したので書いてみる。

そもそも僕はニートの通信制高校4年制時代(19歳)に地元の自動車学校に入学していたことがあった。もちろん、僕は中退している。
ただすごくもったいなかったのが、卒業検定前までいったのにやめたことだ、卒業検定のプレッシャーに耐えきれずに、持病のアトピーを全身に広がり、やめた。 親にも泣かれてお金もパーになり、引きこもりまくって、高校の卒業式も出ずにめちゃくちゃしんどかった時期だったなと今になっては思う。

それ以来の自動車学校に入学することを志したのが、二年前。作業所の少ない収入ながらも、合宿免許費用をねん出できるくらいには貯金がたまったため、車を運転したかったのかといわれれば微妙だが、作業所の同年齢のやつが作業所に通いながら免許をとっていたのに触発ってのも大きいかもしれない。 
免許取得には地元の学校か合宿かの選択があったが、異世界感のある合宿というワードに若干あこがれたために、愛知から静岡にある自動車学校に合宿することに決めた。

予約の際は電話で合宿免許は過酷で大変ですよとコールセンターの人に忠告されたが、それ以上にやってみたいという思いが強くて参加を決意した。

合宿当日は新幹線で静岡に移動した名駅から新幹線に乗った。新幹線に一人で乗るのも初めてで刺激的だったね。
静岡駅で自動車学校の送迎車の一行に合流し、自動車学校に行った。
4月で、料金が一番安くなるタイミングということもあり、学生はおらず、同日にいた人は看護師、OL,フリーター、土木関係の人、水商売風のギャルといった感じだった。
学校についてからは手続きをして、いきなり、座学とシュミレーターをやって一日が終わった気がする。

宿舎は自動車学校から車で10分ほどの場所にあるビジネスホテルに14日ほど泊まった。 ホテルのウェルカムドリンクで毎日ビールが飲めるので飲んでいた。僕が服用しているレクサプロとルネスタはアルコールはあまり推奨されてはいないが、ビールはやはりやめられない。
部屋では毎日支給される、300円くらいの弁当屋の揚げ物弁当をいただいた。 一日目から移動やらで疲れたが、ここちよい疲れだった、初めてのことをするとアドレナリンがドバドバでる。 

しかし、最初の1週間はかなりしんどかった。
夜はタイマーをかけて、朝の集合時間に遅刻しないように気を付けた。送迎バスに遅れたら、延泊といわれていたので不安で仕方なかった。
やはり完璧主義のところがあるので免許合宿では延泊という不安要素が強く、ミスがないように頑張った。

座学では、PCで教材映像を見るという感じで、第一段階の教材を決められたスケジュールに沿ってみていくのだが、PCの授業は常にAIによってカメラで監視されていて、正面を見ていないといけなかったり、たまに表示されるチェックボタンをクリックしないと授業を受けたことにならないのだ、それだけならまだしも、合宿中3回も座学中に途中でPCがバグを起こしたり、クラッシュを起こしたりして、授業をやり直す事態になったのはかなり参った覚えがある。

前述のとおり二度目の自動車学校ということもあり、運転は最初はうまくいくと思っていたがATなのに、すごく教官との空間がやはりかなりストレスで大変だった。 中には話し方が気に食わない教官もいて、その人の口調にイライラしてS字カーブを脱輪しながら、スピードを出して走行した覚えもある、そこからというものやめたくて仕方なくなったが、仮免許試験を受かってからは、気も晴れたような気がする。

2週間目に入ったころには、顔見知りと話したりすることもたまにできて、連絡先を交換することとかにはならなかったものの、自動車学校の情報を共有したり、たばこを吸ったりした。 たばこはかなり普段は吸っていなかったのだが、合宿中は1日10本くらいすっていた。
夜遅くまでスケジュールがあった日は女性数人と話をする機会があったが18歳のフリーターの子がまさかの近所に住んでいる子だったのはびっくりする出来事だった、その子はちなみに仮免許の実地のときに逆走をかまして、有名人だった。
自動車学校で彼女ができるんじゃないかという妄想は、まったくの幻想だった。同じホテルにかわいらしい女性はいたものの、ホテルに帰ったら、そそくさと自室に戻り、自分の世界に戻っていたw 

応急処置の授業では、心臓マッサージをした。人形に対してするのだが僕のやり方がおかしかったらしくて、看護学生の女性が僕の手に触れて手取り足取りやり方を享受してくれて、ドキッとしてしまったが、この合宿での一番のときめきだった。 こういう少しの楽しい思い出のおかげで、この文章を書く気を呼び起こさせてるのかもしれない。

そして無事に卒業検定までいった日がいちばん緊張した。やはり昔のトラウマ唯一経験のない卒業検定というのは、かなり負担になったね。ドキドキしながら喫煙所でたばこをチェーンスモークしていた、みんなもしていたから健常者でも当然緊張するシチュエーション緊張、ナーバスにならないわけがないのだ。 僕はかなり、慎重に運転しすぎたせいか、ブレーキやら、安全確認でミスを続けたが大きなミスはしなかった。 教官にはかなり怒られたが、結果はその後合格だった。
その日受けた全員が合格したという珍しいこともあり、自然と待合室で顔見知りになった人たちとハイタッチをしていた、ドーパミンドバドバ出た場面はやはり記憶に良く刻まれているのでよく覚えている。

その日に卒業式で解散。 僕は顔見知りの人たちと飯に誘われてさわやかにステーキを食べに行く予定だったが、めちゃくちゃホームシックで家に帰りたかったので、一人の女性に断りを告げすぐにこだまで名古屋駅に帰還した。

この経験で自信もつけたが、ひとつでもつまずいてたら、昔からのバックレ癖が再発していたかもしれない。 まあ、ほっとしたね、家に着いたときは。

後日、平針で免許試験も筆記で94点で合格し、免許発行となった、運転する機会はまあまあ、あるがあまり運転はうまくなく、今年買うことになった原付用になっている(完)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?