残花と蓑虫

「残花と蓑虫」

鬼の子と残花交々揺れてをり 叶

「霊長」とか「万物の霊長」という言葉が昔から苦手である。たかが水とタンパク質とアミノ酸の合成物が何をそんなに偉そうに。高層ビルを建て、月に行けば猫より偉いとは随分と驕ったものである。その延長にあるヒューマニズムが悉く嫌いだ。鯨が可哀想と大地町で蛮声を上げ、地元民の生活を脅かす輩達には傲慢しか感じない。

桜も盛りを過ぎ、朝のランニングコースにも花が地面を彩る。多摩丘陵の端、桜美林はまだかろうじて花が残り、雪を被る大山山系とともに朝日に映えて本当に美しかった。とはいってもこれも霊長たる人の手が入っているからこそ美しく感じるものなのか、ここを数年、数十年放置した時、茫々たるこの丘をぼくは美しく感じるだろうか?
などと朝からやたらめんどくせー事を考えて走っていたんである。

自宅そばの自然公園に立ち寄り花散る様を眺めていたらアッ、蓑虫だ!と欣喜雀躍したのである。いやさ叶よ、ハゲのおっさんよ、蓑虫くれぇで大騒ぎかよ、老害ここに極まれりだな、なんて言うなかれ。足立のヘドロ臭え川沿いに生まれて此の方、なかなか蓑虫なんてぇやつは拝めねぇ。てめえらカッペと一緒にすんないこのコンコンチキ!と蓑虫の前に完全に狂人である。

よく見ればしっかりとした糸で桜の梢に固定されている。最近の研究では蜘蛛の糸よりミノガの蓑に使われる糸の構造の方が遥かに弾性率も高く、破断強度も高いのだと判明したと何かで読んだ。一冬此処で揺れながら過ごしたんか、おめえ、すげえやつだな。こちとら霊長なんて言うのもおこがましいぜと感激して涙ぐんでしまったのである。涙脆いおっさんである。

春雨の降りにし里に来てみれば桜の塵にすがる蓑虫 (拾遺愚草七七九) 


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