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「東日本大震災とソーシャルメディア」(初出:共同通信社「識者評論」2011年3月18日配信)

未曽有の大地震から約30分、襲ってくる津波から避難しつつ、その状況を簡易ブログのツイッターに書き込んでいた宮城県気仙沼市の男性。「ヤバイです」という投稿を最後に更新が途絶えた。

この男性と面識はない。簡単にいえば「友だちの友だち」だ。過去の投稿を読み返すと、好きな音楽の話題を中心に日常の出来事がつづられており、彼の人柄が分かる。東日本大震災の2日前に三陸沖で発生した地震に関して、津波に対する不安も語っていた。消息を絶って3日後、かろうじて難を逃れたことを報告する書き込みがあり、胸をなで下ろした。彼は壊滅状態の気仙沼の様子も伝えており、涙がこみあげてきた。

大震災の惨状とともに、再建に向けた確かな希望を、新聞やテレビとは異なるリアリティーを伴って国内外に伝えているのが、ツイッターや交流サイトのフェイスブックなど、利用者が情報を発信しあう「ソーシャルメディア」である。

この一週間、少なくとも首都圏においては、安否確認や励ましあいに活発に利用されてきたし、帰宅困難者の受け入れ施設の場所、計画停電のスケジュール、義援金の呼びかけなどに関する情報を簡単に入手できた。もっとも、はるかに深刻な被災地の現状が明らかになるにつれて、こうした情報の交流が果たして現地の役に立っているのかどうか、懐疑的な見方もあった。たしかに、電気や通信などのインフラが破壊された東北地方の人びとのあいだで、利用の度合いが高まっていくのは今からだろう。

明らかな限界もある。ソーシャルメディアは原理的に、個々の利用者が誰とつながっているかによって、その様相が大きく異なる。ツイッターでは、さまざまな立場の人びとが、テレビ報道を実況し、解説や批判を加えているが、こうしてマスメディアが伝えない多様な情報を得られる一方、役に立つ情報の選別、専門性や妥当性の検証は、あくまで主体的な個人の裁量次第。ソーシャルメディアの有用性に関する評価が大きく分かれるのも無理はない。

不正確な情報の拡散も課題のひとつだ。善意から広がった誤報もあれば、悪質なデマも散見される。ただし、投稿の敷居が低いツイッターでは、情報の真偽や発信者の身元を精査することなく反射的に引用されやすいが、その分、広まった情報がデマであることを指摘する投稿の拡散も速い。いわゆるチェーンメール(不特定多数に連鎖的に送られるよう仕組まれた電子メール)のほうが、なかなか火消しが追いつかないように見受けられる。時代によって情報の伝送路は変わったが、流言蜚語は決して新しい現象ではなく、誰でもそれに加担しうることを忘れないでおきたい。

ソーシャルメディアを使って僕たちが今すぐにできる支援は、たしかに限られている。不適切な使い方をすれば逆効果になるという懸念があるなら、むやみに冗舌になることもない。むしろ、今後の長きにわたる再建の過程においてこそ、その真価が問われるに違いない。「友だちの友だち」に対する想像力やシンパシーを長くはぐくみ、持続可能な復興支援の道筋を切り開いていくこと。メディアの設計上の限界を、僕たち自身の創意工夫によって乗り越えていくこと。その可能性を今はただ信じたい。

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