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【雑記】 Twitterと振り返る3.11

今日は3月11日。自分が忘れないためにも、当時の思いや行動を振り返りたいと思います。最近再開したTwitterを遡ると記憶が蘇ってきたので、引用しながら書いていきます。いつも以上に自分のために書いたような内容になっているので、興味のある方だけ読み進めてください。

3月11日 地震発生当日の朝

この日は、第16回全日本フットサル選手権の準々決勝が代々木第一体育館で開催される日でした。

毎年恒例、3月中旬の金土日の3日間で、ベスト8の戦いが繰り広げられます。今年は先週末でした。

僕は当時、東京都フットサル連盟の委員として運営担当になっていて、朝から会場設営などの準備をしていました。フットサルは1試合で2時間弱かかるので、準々決勝の4試合を開催するこの日はタイトなスケジュールです。裏方の仕事をしながらも、手が空いている時間は一般の客席よりも近くで観ることができて、日本トップレベルのフットサルを楽しんでいました

12:45キックオフの第2試合が滞りなく終わり、15:00キックオフの第3試合の準備が始まります。

3月11日 14:46 地震発生

これまでに感じたことのない大きな揺れを感じたのは、第3試合を戦う選手たちがピッチに姿を現した時でした。1964年の東京オリンピックに合わせて建てられた代々木第一体育館は、不気味な音とともに揺れ続け、観客も騒然となります。幸いにも建物に大きな被害はなく、長い揺れが収まると、観客は外に避難します。ちなみに代々木第一体育館は、日本で初めて、揺れを抑える制震目的で油圧ダンパーが採用された建物とされています。

運営担当者としては、この大会を続けるか否かの判断が必要となります。関係者が集まってスマホやワンセグで情報収集をしますが、なかなか被害の全貌は分かりません。15時を過ぎると徐々に深刻な被害映像が届き始めます。第3試合に出場するのは岩手県のステラミーゴいわて花巻でした。選手たちは近くの控室にいたのですが、不安の声が聞こえて胸が痛みます。地震発生から30分ほど経ち、皆でのぞき込むワンセグの画面に映し出された津波の映像は衝撃的でした大会の延期を決定します(後に中止となります)。

3月11日 地震発生後

代々木上原に住んでいた僕は、代々木第一体育館には自転車で行っていました。当時は大学院1年生です。工学系で地震防災の研究室に所属していたため、駒場の研究室に急ぎます。災害時、自転車は非常に強い味方です。また、Twitterは安否確認や情報収集で重宝しました。東北大学に通う友人が多くいましたが、Twitterで無事が確認でき、安心したのを覚えています。

研究室では、次々と出される官庁発表やメディア報道などを記録していきます。発表される度に死者数や行方不明者数が増え、見たこともない数字になっていくのが怖かったです。この日は日付が変わる頃まで対応して、自宅に帰ります。とはいえ、実家のつくば市にも被害があり、流れてくる情報を見ているとなかなか眠れませんでした

3月18日 地震発生から1週間

3月19〜21日に予定されていた長野オープンU23選抜フットサル大会も中止が発表されます。全国から、同年代の都道府県選抜チームが集まる大会です。東京都大学リーグ選抜として出場する予定だった大学生16人の予定がぽっかりと空きました

その中から想いを同じくする有志が集まり、チャリティフットサルを企画します。当時の関東大学フットサルリーグでお世話になっていたF-NETさんを中心に、関東フットサル施設連盟にご協力いただき、地震発生から1週間後に第1回を開催します。義援金として送れた金額は微々たるもので、自己満足の部分もありましたが、被災地のために何か行動したいと思っている人がたくさんいること、そして、そのきっかけとしてのフットサルの力を実感しました。長期的に続けることができなかったことは力不足であり心残りです。今も活動を継続されている方、本当に尊敬します。

4月25日 地震発生から1ヶ月半

研究室の活動で、被災地の現地観測を実施します。福島県に入る許可を取るのは厳しかったため、宮城県南端の山元町から岩手県大槌町まで、300km以上の海岸線を3日間かけて北上していきます。レンタカーの三方にビデオカメラを付けて被害の様子を記録しながら、各地で被災者の方のお話を伺います。

がれきの撤去などがある程度進んだ状態ではありましたが、津波の被害を受けた地域がどこまでも続いていて、テレビで映像を見ているだけでは伝わらない衝撃がありました。「この高さまで津波が来ました」という話なども、現地に行くまでは実感がありませんでしたが、その光景が現実を突きつけてきました。

そして、この活動は人生の選択に大きな影響を与えています。現地の方とお話しする中で感じたのは、自分は「目の前にいる人の役に立ちたい」思いが強いということです。研究活動で成果を出すことができれば、いつか世界中の多くの人の命を守ることができます。一方、自分がやっていることは、いま目の前で苦しんでいる人の役には立てません。でも、自分が一番心を動かされるのは、いま目の前にいる人の言葉です。

もちろん程度の問題はありますし、研究成果が目の前の人の役に立つこともたくさんあります。良い悪いではないですし、当時の僕がおかれた環境で感じた個人的な判断軸の話です。研究に打ち込む人がいなくなったら未来は無いですし、研究者の皆さんを尊敬しています。

決断を下すということは、他の何かを切り捨てるということでもあります。僕は、まわりの人に大きな影響を与える(誰かを切り捨てる)決断をするのが苦手だと思います。それでは大きなことを成せないこともよく分かっているつもりです。そのようなことも踏まえて、自分に何ができるか、自分は何がしたいか、考えている最中です。

終わりに

こうして書いてみて、皆さんの役に立つような内容ではなかったかと思いますが、自分のために残しておきます。ここ数年海外にいたこともあり、この日をしっかりと振り返る時間が取れていなかったことを感じました。1年に1日だけでも時間を作り、当時の想いを風化させないことはとても大事ですね。また、フットサルとは切り離せない生活をしていたことを再認識しましたし、そこに力があることも信じています。

Twitterはこちら。
https://twitter.com/yutakano_8

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