意味のない文章を書きたい。

相づちのポイントは、何も言わないことにある。

俺は関西人なので、相づちの音は文字にすると、

「おん」

みたいになる気がするけど、正直なんと書き表せばいいか興味がない、ほどに相づちは意味を持たない。相づちは、実質何も言ってないからこそ無限の可能性があるし、未来にパスをつなげる戦略的な一手だし、くるりは君の弱さを探せる。

文章もそのようであるべきだと思っている。意味のあることを書いてはいけない。いや、意味のないことを書け、と言っているのではない。我々は、うっかり意味を踏み抜いてしまいかねない薄氷の上で踊っているのだ、という話をしたい。

卑近な例を挙げると、

ハッカソンに参加しないのは損

というこの文を読んで何を感じるだろう。うわこいつ韻を踏んどるわ、と思いません?

あなたが伝えたいことの内容が、単に「ハッカソンに参加しないことは損失をもたらす(ので参加した方がいいよ)」ということだったとしても、人はそこにグルーヴとバイブスを読み取ってしまう。なにか隠された文学的意味があるのかだとかを訝しみ、人によっては現代版鞘当てと受け取ってMCバトルが勃発しかねない。危険だ。迂闊に韻を踏んではいけない。

何を大げさな。と言うかもしれないが、人間の脳は、類似性、法則性、反復とパターン、みたいなものを瞬時に嗅ぎつけては「天井のシミが人間の顔に見える、これは呪いだ!」といったレベルの言いがかりをつけてくるモンスタークレーマーなわけで、侮ってかかるべきではない。

この理性の暴走を調伏する方法はいくつかある。ような気がしている。

正攻法としては、ありったけの語彙力でもって法則と反復を回避することだ。同じ言い回しが登場しそうになれば言い換え、文章を組み換え、さらに言い換えて、切り刻み、そして言い換える(ちなみに俺がここで「言い換える」を言い換えずに反復しているのは、強調、という高等テクニックであって、語彙力が残念という事態ではない。突然の強調すまんかった、という気持ちはある)。同じ言い回しや語尾が雑に繰り返される文章よりも、色んな表現が散りばめられた文章の方が、引っかかりなく読める。それは、脳が法則を探す余地が少ないからだったりするんじゃないだろうか。エビデンスとかは何もないけど。

もうひとつには、ひたすらシュールになる、という戦略がある。法則や反復の過剰さによって脳を麻痺させるのだ。たとえば、水野しずが「ブロイラー」という語を5回繰り返している以下の対談を読んでほしい。

ためらいなく同じ言葉を重ねていくこのスタイルは、「ブロイラー」の語感を見失わせる。これだけブロイラーが強調されていても、我々はブロイラー自体が話の本筋にさほど重要ではないことを知っている。「ブロイラー」は適当にピックアップされた単語であり、「誰でもよかった」と通り魔に刺される通行人Aに過ぎない。シェイクスピア風に言うと、

名前って何?
ブロイラーと呼んでいる概念を
別の名前にしてみてもどうでもよさはそのまま

みたいな。逆噴射文体における「バンデラス」のような。

どうすれば水野しずのように、シュールで、それでいて本質を外さない言語運用ができるんだろう。そんなことを考えながら、俺は今日も麻痺した脳で駄文を書いている。

(カバー画像:https://flic.kr/p/oeTwQj

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Hiroaki Yutani

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