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料理歳時記【読書の記録/27冊目】

一言で言うと

「昭和48年の古き良き日本の食について知れる」

そんな本でした。



著者紹介

著者である辰巳 浜子さんは自称主婦の料理研究家(本人は嫌がっていたらしい)。

元々は昭和三十七年 ~四十三年の七年間 、毎月 『婦人公論 』に 小付 、小ばちもの 、お惣菜等を四季折々の思い出につらねて書きつづけていて

それらを編集して、昭和四十八年にまとめて書き上げられたのがこちらの本だそうです。

この本の出版自体は二〇〇二年ですが書いたのは1975年頃だったので、今から約四十年前の主婦のリアルが書かれている本という事になります。


どんな内容か

「納豆が近来はわらづとにはいらず 、ビニ ール 、発泡スチロ ール入りになってからまったく食べられないものになりました 。」

「水をジャージャー使う若者の感覚がわからない。小銭を大切にするのに、何故水には同じ感覚が持てないのか」


他にもたくさんの事例があり、たった四十年でこうも感覚が違うのか、と思わずにはいられませんでした。

ただ、その一方で

「にぎりずしにわさび 、鯖ずしに生姜 、おでんに辛子 、麺類にさらし葱 、鱈ちり鉄ちりに紅葉おろし 、ポン酢にさらし葱 。豆腐の味噌汁にさえ 、冬ならばへぎゆずの一片 、春は蕗の薹 、木の芽 、夏は青ゆず 、秋は茗荷 …」

と、薬味について語るとなると、変わらない食文化もあるなぁというのも実感。

食材のとらえ方の一つ一つが丁寧で、たとえ科学的には正しくない方法でも「それは美味しいそうだ!」とついつい思ってしまうような、食材の食べ方がたくさん書いてある、そんな本です。

料理って美味しい要素を詰めるだけじゃ美味しくならないんですよね。


感想

「エモい」

こんな古き良き本を読んだ後に感情のひとまとめみたいな表現をするのは申し訳ない気もしますが、現代的な表現をするとしたらこれだと思います。

とても感傷的になれる本です。

昔ながらの美しさって、桜が散るのを美しいと思う日本人らしく
自然に左右されていて、その偶然に立ち合わせることで生まれている儚さみたいなものからくるのが多いと感じました。

その瞬間に味わえる食材への敬意と言うか、なんと言うか。

「その場にあるその食材に対する、その調理法だから美味しいんだろうなぁ」と言ったかんじです。


少し話は変わりますが、この文章を書いていて

「世の中のできごとは「エモい」と「ヤバい」で表現できてしまうようになる。それってヤバくない?」

と言った趣旨の記事を読んだのを思い出しました。

「この肉ヤバい」

「この味エモい」

たしかに便利ではありますが、食事がこの2つの表現だけになったら寂しいと思うんですよね。

一つの言葉で色々汲み取れる素晴らしい文化と言えば聞こえは良いでしょうが、それとはちょっと違う気がするのです。


食材について考えたい時

元々その食材は日本人にとってどんな食材だったかを知りたい時

そんな時に読みたい一冊でした。




そんな感じで、今日の話は終わります。

では^ ^

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