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[第1弾]①サッカーにおける"ミス"とは、『正解』への布石である。

先日、鎌倉インターナショナルFCというクラブの監督をされている河内一馬さんが書かれた『競争闘争理論』を読みました!


個人的には「スポーツに関する本ですが、仕事や人生にも繋がる本なので、すべての人の課題図書にしてもいいんじゃないか?」と感じたくらい目から鱗の内容ばかりでした!

そんな本書を読んで自分なりに感じたことをいくつか投稿してみることに。

今回はその1つ目。「本書を軸に、サッカーにおける(試合中の)ミスの捉え方を考察してみた!」という話を。

最終的に辿り着いた結論は、「そもそもサッカーに、"ミス"っていう概念(表現)が存在するのっておかしくない?」です。笑

本書を読まれていない方もいると思うので、足並みを揃えるために前提の話が多くなっていることはご了承ください!

『前編・中編(前置き)/後編(本題)』の3つに分けてみました。

ということでまずは本書の内容をザックリと共有してみたいと思います!

必要ない方は『ここからスタート!』という部分まで進んでください!


本書の内容をザックリ整理


本書は「なぜ、唯一”サッカー”だけは、世界の壁を超えられないのか」という疑問に対して、河内さんが独自に構築した理論である『競争闘争理論』を軸に考察してくれています。

競争闘争理論をザックリ一言で表すと、「スポーツをしっかり分類しよう!」という理論です。笑

『闘争競争理論』では、スポーツを『競争』『闘争』に分類し、それから『個人』と『団体』、さらに『団体』の中に道具を介した『間接的』の概念を取り入れ、6つに分類した考え方のこと。

河内一馬さんnote『サッカーという競技は「技術」に集中するべきか?それとも「影響」に集中するべきか?』より引用。


『競争』と『闘争』の違いは以下の通り。

河内一馬さんnote『サッカーという競技は「技術」に集中するべきか?それとも「影響」に集中するべきか?』より引用。

ザックリまとめると、『競争』と『闘争』の最も大きな違いは、”時空間””妨害”

例えば短距離走といった『(個人)"競争"』では、相手プレイヤーとはレーンで分けられ、妨害されることもないので、自分の走り(技術)に集中できる競技。

一方、サッカーといった『(団体)”闘争”』では、相手プレイヤーと同じ空間・時間の中プレーしていることで、自分が人生最高のシュートを打った(技術を発揮した)としても、相手プレーヤーからブロックされ、妨害を受ける可能性がある。みたいな違いです。

ということを踏まえた上で大きなポイントとなるのが、『競争』と『闘争』では求められる姿勢、考え方、精神状態といった前提の要素が全く異なることです。

「しかしながら、日本人の多くは無意識に”スポーツを全て同じだ”と捉えてしまっている(闘争であるサッカーを競争だと誤って認識している)ことで、あらゆる問題を引き起こしているのではないか?」ということを整理してくださっている本になります。


ということで、、、

ここからがスタート!


本書を読んでいて、「(サッカーにおいて)そもそもミスってネガティブなものなんだっけ?」と考えるキッカケをもらいました。

そこで、本書から学んだ以下の2つの話を軸に整理してみました。

①『競争』と『闘争』で保障されている権利。
②サッカーにおける『正しさ』について

それでは早速。

①『競争』と『闘争』で
保障されている権利とは?


『競争』と『闘争』で保障されている権利をザックリ整理すると、、、

ーーーー

✔︎競争
自らが持つ技術を発揮(実行)する権利が保障されている。
体操や水泳、短距離走といった”競争”の競技では、『ゲームの始まりから終わりまで』他者によってタックルをされるといった、直接的に妨害される心配がないため。

✔︎闘争
相手プレーヤーに”影響”を与える権利が保障されている。自ら持つ技術を発揮(実行)する権利は保障”されていない”。
→サッカーといった”闘争”の競技では、どれだけ完璧なシュートが打てた(技術を最大限発揮できた)としても、相手プレイヤーからブロックされ、プレーが成立しない可能性がある。自分も相手に対して同じことができる。

ーーーー

つまり、サッカー(闘争)においては『技術を発揮することはあくまでも一つの要素であり、”最”重要なことではない』ということ。

逆に、相手に”影響”を与える権利は保障されているので、例えば目標を達成するために、試合開始から『何もしない』ことが相手プレイヤーに強い影響を与えるのであれば、それが選択肢の1つになるわけです。

メッシ選手がよく「歩いて守備をサボっている」と言われますが、その理由の1つに相手ディフェンダーの意識を自分に向けさせて、相手の攻撃参加を躊躇させていることがあります。

相手「自分がここで攻撃参加してしまうと、メッシがフリーになってしまう。最悪の事態を想定して、メッシをフリーにさせないように今は攻撃参加を辞めておこう」みたいな。

これは意図的に守備をサボることで、相手に影響を与えている一例です。


ということなどを踏まえた上で、本書では、『競争』では『技術』に、『闘争』では『影響』に集中すべきだと整理されています。

河内一馬さんnote『サッカーという競技は「技術」に集中するべきか?それとも「影響」に集中するべきか?』より引用。


しかしながら、先程も挙げたように、日本人の多くがスポーツを同じようなものだと捉えてしまっていることで、、、

私たち日本人は、”あたかも技術を発揮(実行)する権利が保障されているかのように”ゲームをプレーし(それはまるでゲーム中に技術の見せ合いをしているようである)、またトレーニングを積み重ねるのである。
『闘争競争理論』P.91

というように、闘争であるサッカーを”競争”的思考態度でプレーしてしまっているのでは?という主張がされています。


この記述を見たときに、脳天を雷で打たれたような衝撃が走りました。「それ俺じゃん」と。

自分の過去のプレーを思い返してみると、競争的な思考態度でプレーしていた事例がわんさか浮かび上がってきました。

その中の1つが、今回のテーマである『ミス』の捉え方でした。


中編に続きます。👇


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