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今年こそ日記を書いてみようと思った話

ずっとnoteを読んでくれている方は薄々気づいているかもしれないけれど、最近は旅先の紹介記事を書かなくなった。

情報に溢れる時代という言葉がもはや常套句となったライターの世界。役に立つ文章を書かなくてはという意識がどうしても顔を出してくる。noteを始めた頃はとくに、途中でページを閉じる人がいないように、早くに結論を言おう、魅力的なテーマを扱おうとばかり考えていた。

先日、noteの毎日投稿をやめることを決意した。これまではnoteに書くことを探す日々だったが、やめると決めてからはいつか書いてみたいことが自然と浮かんでくるようになった。

たいていは読んでもそんなに意味のないこと。自分の生活を垂れ流すだけのもの。読みやすい文章を書くことが仕事であるからこそ、noteはのびのびと自由に過ごす場所にしたいのだと思う。

1月8日。今日は久々に尊敬する人と話した。ぼくはとてもすてきだなと感じていて、それを言葉にするのだけど、いつも飄々としていて伝わっているのか分からない。

それはそうと、彼女は「大切にしているメッセージはある。でも、どんな形で発信するのが良いか分からない」と言っていた。

綺麗な文章を書くのではなく、日記を覗き見させてほしい。あなたの生き方を「ミニマリスト」のような分かりやすい言葉にしたら魅力が散っていってしまう気がする。ありのままがすてきなのだから、それをそのまま見たい。

僕が伝えたのは、こんなこと。本人を前にストレートには言えずに、遠回りをしていた気もするけれど。話を終えて一人で歩く時間。自分も日記を書いてみようかと思った。

自分がすてきだなんて思い上がってはいない(つもりでいる)が、旅先の紹介文にもyutoの世界観があると言ってもらえることがある。ただ、自分としては、そこにあるのは可能な限り希釈されたものだし、中には意味が変わっているものもある。

「こんな人もいるんだな」くらいでいい。誰かがぼんやりと過ごす時間のおともに自分の暮らしがあれば面白い気がする。そんなわけで、たまに日記を書いてみる。noteにも日記かエッセイが投稿されるはず。

気が向いたときに見にきてもらえたら。

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