【触れたもの_34】単一民族神話の起源

小熊英二という社会学者の授業を受けるのが好きだった。当時、入学したての自分は春学期と秋学期取れるだけの彼の授業を受講した。
レジュメを一枚持参し、大きな教室でマイクを使い、淡々と話を行うスタイル。毎週のレジュメには膨大な量の文献が引用されており、それらをどのように見つけてくるのか、いつも不思議でしょうがなかった。

『単一民族神話の起源』においても膨大な量の調査と、文献の引用がなされている。

"「日本人」全員に、特殊な風土が生み出した「日本的」性質があるなどは、もちろんフィクションにすぎない。台風がくるのは列島の太平洋側や西南部であり、大雪が降るのは日本海側や東北部である。北海道には台風はこないし、沖縄には雪が降らない。もし東西ドイツのように、日本が東西にべつの国家をつくっていたとしたら、このような風土論はなりたたなかったろう。列島が唯一の風土であったと仮定しても、そこには文化のちがう民族、たとえばアイヌが住んでいた。だが和辻の風土論では同じ風土の地域に異質な者が住んでいるなどということは、あってはならないことだった。"

「日本人」とは何かを考える上で、ひとまとめにして語ることの危うさを和辻の風土論への反論を行いながら、説く。

"父性血統で血縁の範囲が明確に限定されていないので、血統のちがう者でも「親戚」にしてしまえる。それは欧米の普遍的なメリットシステムともちがうが、閉じた家族制度ともちがい外部の者をとりこめる開かれた組織だとして、「文明としてのイエ社会」という形容さえ与えられた。だが、この開放性は、同時に抑圧的性格にも連結している。なぜなら、日本の家族制度では、原則的にはどんな者でも養子になれるが、一方でその者は、みずから出自を忘れ名を変え、新しく入ったイエの一員として家風に染まりきることが要求されるのだ。"

そして日本のイエ社会の独特の仕組みに言及し、他者を迎え入れているようで抑圧的な力をはたらかせてる一面を指摘する。日本人的な感覚一つひとつを社会の制度や風習をベースに意味づけし、そこに「日本」を見出そうとしていて、とても興味深い。
しかし、そのような日本だからこそ理解の難しい他者と出会った時の反応には寛容さに欠けるものがある。

"異文化接触というものは、まさに「おはよう」と声をかけて侮蔑とうけとられるかもしれない不安を、人間に予測させるものなのだ。そうした不安に耐えきれなくなったとき、人間は異文化をもつ相手を、自分があらかじめもっていた類型にあてはめることで秩序の回復をはかりやすい。"

この言葉はそのままネトウヨなど右に傾き続ける日本社会を端的に表してはいないだろうか。経済が不安定な中、グローバル化は進み、生きていく中での不安は日々増幅していく。そんな中で、わかりやすく排除しやすい他者への攻撃を強めていく。

>(論壇時評)弱者への攻撃 なぜ苛立つのか 歴史社会学者・小熊英二

2017年12月21日に朝日新聞に掲載された小熊の論壇時評。ここで彼は「弱者」や「少数派」への苛立ちを「現状を変えられない自分の無力を直視するよりも、今の秩序を公正なものとして受け入れ、秩序に抗議する側を非難する」行為として捉えている。

同質であろうとすることには、人の心の動きが密接に関わっている。移民を日本が拒むことは非常に困難だ。おそらくは外国人は少しずつ日本社会のおいてその数を増やしていく。そうなった時、日本人はどのように共生のための道を歩めば良いのだろうか。

"過去の神話化の本質は、他者とむかいあって対応をはかる煩わしさと怖れから逃避し、現在にあてはめた自分の手持ちの類型を歴史として投影することなのだ。"

こう記し、小熊は「逃げるな」という。煩わしさや怖れ。そういったものと上手く付き合っていくことが求められている。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

1

千葉雄登

触れたもの

最近読んだ本、観た映画などのログ
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。