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映画「ジョーカー」を見てきた。自分の中にある悪意を見させられた。

自分の心の中で小さく揺蕩っている悪意を見せられているような気分だ。緊張感を持って集中して見ていたが、「面白い」という感情があったわけではない。不快な気分で見ていた。心動かされる作品ではある。

「ダークナイト」のような、狂った犯罪者が人の価値観を問うような展開のある映画を期待して見に行ったが、全然違った。確かに人の価値観を問う作品ではあるが、「ダークナイト」ならばアクションが娯楽要素になっていて、その場面では純粋に快楽に身を置けた。「ダークナイト」だけ見ていると、気づかなかったがそういう場面が一休みな場面だったのかもしれない。ずっとジョーカーの悪意を見せられていたら、疲れていただろう。しかし、この作品はずっと悪意を見せられる。ジョーカーだけでなく、出てくるもの全ての悪意だ。全然休めない。どのような方向性に行く映画かわからず、冒頭は少し退屈に感じる部分もあった。

物語の始まりは、後にジョーカーと呼ばれる存在になるアーサーがピエロのメイクをしているところから始まる(ピエロ姿になって、色々なことを行う仕事らしい)。ラジオかTVかはわからないが、都市(ゴッサムシティ)のゴミ清掃会社がストに入り、都市の環境が悪くなっていくことが音声として流されている。暗い展開を思わせる幕開けでうまいと思った。アーサーが福祉の人と相談している場面。最初はアーサーのアップから始まり、周りが見えない。息苦しさを感じさせて、不安感が煽られる。カメラワークがうまいなとも思った。最後は、今までの展開が「幻想だったとも取れるな」と感じた。

この物語はジョーカーという存在がなぜ生まれたかを描いた物語だ。ジョーカーという存在が確立したところで終わる。それまでは、ジョーカーという存在になる前のアーサーという人間の追っていくのが物語の主となる。

考えてみるとこの作品約2時間に渡って、アーサーが描かれていない部分がなかったような気がする(毎回映画バットマンで描かれる、ブルース・ウエィンの両親が殺される場面だけはアーサーは描かれていないが)。常にアーサー視点。ほぼ一人称の映画は最近だと珍しいのではなかろうか(と言えるほど映画見てないけど……)。

物語に描かれるアーサーの生い立ちは酷いものである、そして今現在も誰からも返り見られていない。その中で沸々と沸き上がる悪意は、自分でも少しわかった。そして、何もなしていないのにコメディアンになるという夢を持っている(舞台に立っているから、行動はしているけど)。いつか自分が返り見られること期待している。この気持ちもわかる。何よりも、アーサーの中に沸き上がる鬱屈した精神、犯罪にはしりたくなる心、そして世間が上流階級に向ける怒り、全てがなんとなくわかる。まるで、自分の悪意を抽出し、それだけを心に塗れば、自分もそうなってしまうのではないかと想像させられ、自分の本質を見せつけられているようで実に不快な気分になる。鏡写しの自分。

「ダークナイト」は「ヒーローもの」として非現実感があるから娯楽として楽しめる部分もあったが、この作品には「ヒーローもの」の要素はない。ただひたすら誰にも返り見られない人間の辛い人生を見せられ、その返り見られない人間の、普通の人ならたとえ心の中にあったとしても出さないであろう悪意を見せられ、それを見ようともしないと想像させられる富裕層を見せられ、そしてそれに呼応し、日頃の鬱憤をはらすかのような犯罪を犯す群衆の悪意を見せられる。ほんの少し歯車をずらせば、現実世界でも起こりうる世界だ。

アーサーにたった一人でも理解者がいれば、救われただろう。だけれど、彼には理解者はおらず、その異常性を責め、傷つける存在しかいなかった。

犯罪を犯したのは環境だという考え方に全面的に賛成しないが、そういう存在もいるということへの想像のきっかけになる映画となるとよいと思う。


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