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戦いのリング

こんにちは。
ぬんきちです。
自己紹介→https://note.mu/yutori_tencho/n/nd8385b1d12e9

私は障がい者の妹がいる「きょうだい」です。
幼いころ、ライバルはいつも妹でした。

ひらがなを書けただけで、一桁の足し算ができただけで、周りに感動を与える存在。それが妹。なんなら「生きていてくれているだけでいい」とか言われちゃいます。

一方私は、運動もできなければならない、テストでは100点をとらなければならない、よい姉でいなければならない。むしろそれを全部達成したところで、やっと「あたりまえ」。

そんな環境で育った私は、「戦い続けなければ!!ヤラレル!!」という前のめり人間に成長してしまいました。

自己肯定感が低いところや、完璧に準備しないとめちゃ心配になるところは、ケアしなければならない存在と共に育った人に共通の特徴のようです。

大人になって分析してみて、そうかだからか~って思うこと、結構あります。

とある福祉系フォーラムの懇親会で、登壇者の方とお話しさせていただく機会があり、そのとき私の戦い続けなければ症候群のことを伝えてみました。

戦いのリングの理論ってのがあってね。本来は、リングにあがって競争しなきゃいけないこともあれば、リングを降りて無条件の愛や安心を享受できる時間も必要なんだ。障がい者のきょうだいは、ある意味リングにあがり続けることを強いられる存在なのかもしれないね。

え、リング降りていいとかあるの?ってかリングの外とかあったの~

というのが私の正直な感想。目からうろこ。衝撃。

きょうだいに限らず、今の社会は「リングの上にずっといる」もしくは「リングの下にずっといる」のどちらかに偏りがちな社会だとも思います。

何かの理由でリングを降りても、また戻りたければリングに戻れる。もしくはちょっと疲れたな~と感じたら、リングの外で休憩できる。リングにあがりたい人はどんどんあがれる。

そういう風に気楽に行ったり来たりできる世の中になればいいですね。

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