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不平等を知った日

こんにちは。
ぬんきちです。
自己紹介→https://note.mu/yutori_tencho/n/nd8385b1d12e9

東京大学の入学式の祝辞が話題になっています。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

気になって全文読ませていただきましたが、さすが東大と思わせる知性あふれる文章もでした。

さらに、日本最高学府への切符を手にした新入生にこの文章を語るというのが、なんともカッコいいなぁと思いました。

社会は平等なんかじゃない

皆さんが不平等を実感したのは、人生のどのタイミングでしたか。

小学生の私は、「妹が自閉症」「帰国子女」というまぁまぁ田舎ではパンチがあるプロフィールで生きていました。日本に帰国したてのころは、漢字とカタカナはあまりわからず、傍らにはもっとよくわからない行動をする妹がいて。

それでも頑張ればどうにかなると思っていました。だってみんな平等だから。道徳の教科書にはそう書いてあったし。

中学校でも「頑張ればどうにかなる」精神でなんとかやっていきました。同級生や親御さん、地域の方々が優しい方ばかりだったのと、なんとなく勉強ができたし、運動もそんなにできない方ではなかったので、劣等感をあまり意識せずにすみました。

高校生になると、受験戦争に突入していくわけですが、このときもまぁまぁ成績がよかったので、「不平等」をはっきりとは意識しませんでした。

ただ、やっぱり妹はまだ足し算や引き算の練習ばかりしてたり、突然パニックになって泣き叫んだりしていました。そして我が家は妹を中心に動いていました。

私はこんなに頑張っているのに、どうしてみんな妹のことばっかりなんだろうなぁ、と思ったりもしました。

また、高校生ともなると「なんとなく要領よくやってる(ように見える)生徒」の存在に気付き始めました。

でも大丈夫。だって平等だから。頑張れば報われる。

結局受験は第1志望ではなかったものの、それなりに行きたかった大学に合格し、東京に出てきました。

大学生、田舎から東京にでてきて、いっきに交友関係が広がり、少しずつ不平等に気付き始めます。どうやら友達の家には、妹のような何をしでかすかわからない存在はいないらしい。

あたりまえのように大学の行事に両親そろって来たりする。勉強しなくても、教科書を読んだだけで理解できる人がいるらしい。同じ1文読んだだけなのに、理解力がまるで違いました。

道徳の授業はなんだったんでしょう。先生が妹のことを語るときに使った「平等」の言葉は?

今はわかります。だって大人になったから。社会は全然平等なんかじゃない。生まれる家が違うし、男か女かでも違うし、運もあります。

社会は全然平等なんかじゃない。だから何か秀でる力があるのなら、それを弱者のために使ってほしい。東大の祝辞は私たち社会人の胸にも響くものがありますね。

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