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凍てつく世界に流れるメロディ

先週末、西和賀の志賀来にある氷瀑へ。

氷瀑とは、瀑布(滝)状の氷柱のこと。
岩から染み出た湧き水が、寒気でゆっくりゆっくり背丈を伸ばしながら凍てつき、人の子知らぬ間に荘厳なたたずまいに変化(へんげ)する。

朝晩肌を刺すような気温が続かないとこの光景には出合えない。

フキノトウが芽を出すころには、この氷の巨柱は迫力に欠けるものとなっている。一年のわずかな期間だけ、人の心を魅了し、一種の戦慄を憶えさせるものとなる。

しかし、そこに美や畏れを感じるのは人間だけだ。自然に意図はなく、目的はない。誰かのためにつくったものでもない。自分のためでも、もちろんなく。
自然界に「自分」という概念なんてそもそもないか。笑

この日、雪はやんでいた。スノーパウダーをかぶった氷の造形は、静止しているかのように見える。
そう、静止しているかのように見えるだけだ。実際は、動いている。いまこのとき、一刻一刻と変化している。

じっくり観察していて、そのことに気がついた。別に音を立てて崩落したわけでもなく、にょきにょきと伸びたわけでもない。

氷柱の付け根をよく見ていると、透き通ったその個体の軸が小さな渦を巻いていたのだ。その渦はほんの付け根部分だけに見える。

きっとそこから最先端まで細く長くH2Oが流れているのだろう。
そして、新たな氷柱の分子となっているのだろう。

氷瀑の足元にある川の縁では、これまた微細で十人十色な氷貌が展開されていた。

苔むした岩から水面に向かって垂れた姿は、カモシカの脚のよう。

ずんぐりなヒヅメからはときおり大粒の汗がこぼれる。

ぽたっ…… ぽたぽたっ
…… ぽたっ

波紋がやさしく川を響かせる。

不細工な脚がだんだんと、ピアニストの指に見えてきた。
移ろいゆく透明な鍵盤を叩き、凍てつく大地にリズムを注いでいる。

雨ガ山ニフリ
葉ト枝ト幹ヲツタッテ
大地ヲウルオス

アル友ハ根ニ呑ミコマレ
アル友ハ土竜ノ胃袋へ
地下ヲナガレルH2Oハ
長イ旅ヲ経タ

外ノ世界ニ
再ビ飛ビ出サン


地下で長い旅を経て、久しぶりにオモテの世界へ飛び出そうとした水の粒たちが、行き着いたところ。
そこは、凍てつくという運命だった。

でも、それもただひとときのこと。
また流れる日がやってくる。

氷の世界で目をすませ、耳をすませ、心をすませると、水の遥かな旅路に思いを馳せられる。

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