初note

初めてのnote。

他の方の執筆を見つけ、凄いなぁ〜。と思ってからはや何年経ったんだろう。

自分自身の振り返りの意味も含めて綴っていこうと思う。

名前  山地  孝志(やまぢ  たかし)                            青森県八戸市出身  1981年生まれ                           幼少期から、人の顔色ばかり気にして過ごしていたみたい。いつも「怒ったこと無いでしょ」って言われてた。両親も共働きで怒られなきゃいいやって自分の意見を殺していたのかもしれない。        

私のターニングポイントは17歳の時。全日制の高校に通学していたが、登校拒否し留年となった時。何故登校拒否したのだろう?
確かに勉強、課題のペースを乱してしまったのは事実。周囲の期待を過度に感じたのかな。

自分のレールは自分で決めたい。

その思いを登校拒否という形で表現しちゃった。       周囲からは、「どうせ休んだらどうにかなるから辞めるな」って言われたけれど、「私は私の方法でやる 」っていう意地だけはあった。                  

全日制から定時制高校への転入    

高校2年をもう1度やり直す事になるが、この期間は私にとって時間の使い方、単位って何?          教えてくれた場所。                                                   全日制から定時制への変更に離れた友人も多かったけれど、夜間部だった私は通信制も併用した。日中はバイトもした(働くと教科書代は無料だったんだ)。それに学ぶ環境もそれぞれ違った。

過程は様々だけど、ゴールは同じ。時間や能力は常に一定じゃない。それを定時制高校で知った事は大きかった。                                                        定時制高校を卒業し、2001年介護福祉士養成の専門学校へ入学。                      

当時は介護保険制度が施行されて1年しか経過しておらず、実習施設や指導者の方も様々だった。今でも忘れられない指導者からの言葉。

何で無資格の私が「福祉の学校を卒業するだけで介護福祉士になる何も出来ない実習生のあなた」に教えなければならないの?    

当時は介護職は女性が多かったし、異性への介助についても厳しい対応が求められた。上記の言葉を言われた私はかなり凹んだけれど、施設形態も様々だし、何に注目したら良いのだろう

当時は「痴呆」と言われ入居者が隔離された状況を見た私は

「環境」に対しての興味

を持った。

自分が入居者様と関わる事でどういう変化が起きるのか?同じ「痴呆」という当時の名称で分けられているけど、全然違うし。

そんな事を思いながら、介護現場で働いて10年以上。

2019年は様々な方にお会いし、励ましていただいた。

2020年はもう1度「環境」について振り返り、新しい事を考えるというより、

今までの環境や行ってきた事の強化、SNSで話す仲間と会ってお話する。

それでも充分なくらいの方々に巡り会えた2019年だったので、少しでもnoteに上手く書き綴る事が出来るよう、現場で働きながら学んでいきたいと思う。専門学校を卒業してからの事は後ほど、質問を受けながら、書いていこうとおもう。

どうぞ、宜しくお願いします。





           

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?