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さよーならまたいつか!についてのお話を少し

お久しぶりです、ゆったろうです。急にネット上での交友をシャットダウンしてしまったので自分の思いの丈やらを公表する場所を失うというまさかの弊害にぶち当たっていました。しょうがないのでnoteを使って色々やっていきます。と言ってもただ文章打って公開するだけなんで勉強には何の影響もありません。3月にはきっとTwitter戻ると思いますので。

本題入りましょう。わざわざこのアプリを使ってまででも言いたいことがたくさんあるんですよ、今回の新曲は。毎度毎度米津さんの曲には驚かされてばかりですが今回も僕の想像・期待を簡単に飛び越えて行ってくれました。今日公開されたばかりですがもうフルで50回近く聴いているのでは。そして曲も然りですがオープニング映像も最高なんですよね。この映像もどれだけ観たことか。

そして朝ドラ自体のストーリーもとても面白い。伊藤沙莉さんの演技の幅広さに感服してしまいました。まだ第2週と序章も序章の段階ですがこれからの展開も楽しみですね。半年だけなのがもう名残惜しい…。

大きく話は変わりますが、今回の朝ドラのタイトル『虎に翼』はことわざのようなもので意味合いとしては「鬼に金棒」と殆ど同じです。そしてこの言葉は韓非という、昔の中国の「韓」という国にいた法家を大成させた方が残した言葉が出典です。法家とはなんぞや、ということですが、法家とは、当時の中国で流行っていた諸子百家というたくさんの思想のようなものの一つで、儒家という孔子の論語をベースとしたものを否定し「世の中を統べるには規律が必要なんだ」と説いたものです。そうです、この法家が基調としているものこそが現代でいうところの法律であったり、憲法だったりというまさに寅子が足を踏み入れた世界なんですね。

そんな古典の世界からやってきた言葉からインスパイアを受けたのかはたまた偶然か、今回の『さよーならまたいつか!』にはいくつか古典的要素が隠れていました。

例えば2番の最初のこの歌詞。

「しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる」

この「しぐるる」という言葉は「しぐる」という古典動詞が形を変えたものになります。お勉強チックに言うと下二段活用動詞の連体形、ってやつです。意味としては、時雨が降る、という意味があります。「時雨る」というわけですね。それともう一つ、涙にぬれる、といった意味もあるんです。そういえば寅子の帰り道には多くの人々がいましたね。中には目元を袖で拭いながら帰る制服姿の女の子も。きっと画面には映らないだけであの世界にはもっと多くの人が各地で涙し、袖を濡らしていたのでしょう。
どう解釈するかは人それぞれではありますが少なくとも僕の見解は前段落でご理解いただけたかと思います。

更には2番サビでのこの歌詞。

「貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ」

この「蓋し」は「けだし」と読み、意味としては、まさに・本当に、といったような強調を表す副詞として用いられてきた言葉です。現代語訳するなら、まさに本当の虎のように、といった具合ですかね。寅子の気の強いまっすぐな性格がこんなに情緒ある表現で表されるとは。感嘆するほかないですね。すごい。

いつぞやの時に某芸人が「古文・漢文なんていらない」と仰っていましたが、こうして古典の趣ある表現が現代J-POPで使われていると考えるとまだまだ捨てたもんじゃないですよね。僕は古典大好きなので一人で勝手に歌詞読んで興奮してましたが全国探せば同じことしてた人、きっと、いますよね…?

また書くことあったらお邪魔させていただきます。
さよーならまたいつか!

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