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チェンマイ

そうしてチェンマイへと降り立った私であるが(前章)、寝られなかった、疲れた、腹減ったの三重苦に悩まされていた。しかし、日もまだ高かったし、散歩と昼飯探しがてら、歩いて安ドミトリーへと向かった。道中見る景色はバンコクのそれとも、アユタヤのそれとも全く異なっていて、噂のコムローイ祭りのせいか町も賑やかであった。歴史を感じる寺社が立ち並び、雰囲気と規模間で言えば京都いうよりは鎌倉や川越に近いような、緩い歴史都市の印象を受けた。小一時間歩き、ドミトリーについた。ここで私はこの旅のメシアとも言える人物に会う訳であるが、まだそれは先の話だ。何よりも先に眠りたかった、何せ昨夜の電車は衝撃的な体験であった事と同じか、それ以上に疲れる体験であったからだ。列車の連結部で数時間も揺られるとは私をもってしても想像しえなかった。

一日目

眠りから明けたのは夕飯時だっただろうか、私は腹を鳴らしながら二度目の散歩へと向かった。ビールとパッタイで腹を満たし、その場で出会った欧米人と少し談笑した後、宿に戻った。そこには聞きなれた“サムライ・アクセント”の英語が聞こえた。一人の女性が何かフロントと揉めているようであったので、確証はなかったけれど何時振りかの日本語を使って話しかけた。ビンゴ。どうやら洗濯機を使いたいけれど、使わせてくれない、そんなような事で揉めていたらしい。私はその日本人女性に使えない旨を伝え、ビールを交わしつつ談笑した。確か九州出身と言っており、共通の知人がいた。世界って狭いなとありきたりな言葉が浮かんだ。次の日の昼食の約束をした後、解散した。
 

二日目

昨日よく寝たからだろうか、朝から調子が良かった。寺巡りをしようと決め、朝からよく歩いた。昼時になり、昨日の女性と食事を共にした。観光客には有名な麺を食べた、名前は何というか忘れたが、何とも東南アジアらしい味がしたのをよく覚えている。彼女はどこか遠くの寺へと向かうらしく、その場で別れ、私は寺巡りへと戻った。あまり有名かどうかは気にせず、寺(ワット)と名の付くもの全部を回ってみた。日本の寺とは違い華美な外装がなされ、仏もどこかポップであった。日本の侘しさと対極にあるようだったが、本堂に入った際のスッと落ち着くような感覚はあり、一種のカオスを感じられる場所であった。そして、今夜は噂のコムローイ祭りである。大金(数万円)を払ってラプンツェルのワンシーンのようなランタンをあげる祭りとの説明を受けたが、話を聞いているとどうも違うらしい。灯篭流しから派生してランタンが生まれたのであって、あくまでも灯篭流しが本筋のようである。日も暮れた頃、昼間回った寺の一つで出会ったドイツ人と落ち合い、ランタンを挙げる会場へと向かった。互いにバックパッキングを愉しむもの故に、金はかけたくない、しかしそんなに有名なら見たいという点で意気投合し、今に至るのである。到着すると、どうやら見るだけならどうにか無料で行ける様子であった。勿論、他の人にお勧めできるような方法ではないのであるが、そんな思い出も相まってか、これを書いている今思えば美しい景色だったと感じる。しかし、それ以上に美しい景色がその後に待っていた。それは灯篭流しである。会場から町へと戻り、川の畔には手作りのなんていう事はない灯篭が売っていた。それは灯篭というよりむしろ小舟にキャンドルを灯したものと言った方が形容出来るだろうか。それらが川を流れる様は“侘しさ”を伴った美しさを持っていた。どこか日本的で、西洋的な美しさを持つランタンとは対照的な、いかにもアジアらしい美しさを放っていた。その晩は気分もよくなり、早めに眠りについた。

三日目

六日目朝、この日はこの旅初めての国境越えを控えていた。身支度を整え、朝食をとり、小食後の一服の為に表の喫煙所へと向かった。7時頃だっただろうか。そこには一人の若者がウロウロしていた。何やら困った様子に見えたので英語で話しかけた。どうも英語には疎いらしく見えたため、どこから来たのか伺うと日本人であった。朝早くに着いてしまった為、ドミトリーに入れず困っていたらしい。東南アジアとは言え、チェンマイの朝は肌寒い。二本目を吸い終わるのを待ってもらい、中に入れてあげた。スタッフが来るまでの間、話していると同い年である事、初めての外国である事が分かり、先ほどの状況にも合点がいった。実を言うと、朝起きてから腹の調子が悪い等という話をしていると、彼が正露丸をくれた。そう、彼こそが最初に述べた“メシア”である。この正露丸が今後数週間に渡って私を幾度となく助ける事となるのだが、そんなこととはつゆ知らずありがたく受け取った。国境越えのバスの迎えは確か8時半であったから、彼と話したのはせいぜい一時間程なのであるが、彼は確かにメシアである。
結局九時頃だったか、迎えのバンが到着し、国境へと向かう。チェンマイよりもさらに北にある都市“チェンライ”を経由して合計6時間ほど。同乗した客と談笑したり、本を読んだりしているとあっという間であったように感じる。タイの国境に着いた途端、イギリス人のカップル、ドイツ人の夫妻、アラスカの男性と私はそそくさと喫煙所に向かい、一服の時間を共にした。彼らとはこれから10時間以上の付き合いになる訳であるが、仲良く出来そうだと思った。タイ国境を越え、ビザの申請なども済ませると日本と色違いの国旗が見えた。次の目的地はラオス・ルアンパバーンである。我々は国境近くからルアンパバーンへと向かうバスへ乗り換えるバスのバス停に到着した。そこではラオスのビール・ビアラオが日本円にして90円で売っていた。アラスカの男性と90円のビール片手に談笑し、小一時間も経った頃、バスに乗り込む時間となった。それのバスでの旅路は数日前の列車などとは比べ難いほど衝撃的で、辛く、それでいて旅の醍醐味とも言えるような体験となるのだった。

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