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自粛があけたのに、もやもや

この自粛生活は、スタート前の準備期間だ!
そう密かに思っていた私。
でも、息苦しかったマスクを外し、どこにでも気兼ねせずに動ける時が来たのに、私は悶々とする日々を送っている。

自粛期間に、通信で手芸の講師資格がとれる講座を修了した。
通信講座では無理だろうと何度も思ったほど、難しい技法と、わかりづらいテキスト、それでも「みんなが止まっているこの時に」とこつこつ努力してやり遂げたのだ。
講師認定をうけるか迷ったが、やればやるほどその世界の奥深さがわかり、2年のカリキュラムが終わったところで「講師」として教える自信はなかったので、今後も技術の習得を続けることにした。

そのあとで、ある国家資格の勉強を始めた。
これも、鬱っぽくなるほど過酷な日々だったが、受験し、落ちて、再受験は一旦あきらめる、という体験をした。

自粛期間になる前、私はとても活動的だった。
前職で培ったスキルを消すまいと、マルシェや音楽イベントを立ち上げたりした。ボイストレーニングを受けてステージで歌ったこともある。
ハンドメイド作家としてワークショップを企画したり
都内のカルチャーセンターで勉強したり
このままどんどん未来に向かっていくんだという向上心に満ちていた。

突き進んでいた頃の私にとって、彼はいつも無条件で伴走してくれる付き人のような存在だったが、今ではパワーバランスが逆転し、私が彼の行動に振り回されるようになった。

歳をとって落ち着く
というのはこういうことなのだろうか
かっこつけずにいうと、なんだか全てめんどくさいのだ。
すっかり隠居生活が身についた自分は、前に出る自信も失っていた。
買い物に出ても、ウィンドウにうつる老けた自分と、若々しい女性達を比べて消極的になってしまう。
思えば、友人の娘さんにお子さんができ、おばあちゃんになったと聞いた。
奥さんでもない、お母さんでもおばあちゃんでもない、若くもないがお年寄りでもない、女性としても需要がない
私はどこに属したらいいのだろう

まだまだ人生これからといわんばかりに
友人と、バンドやゴルフ旅行をしようとしているパートナーといると
余計に卑屈になっていく自分がいる。
対抗意識を持って、こっちも当てつけにやってやろうと思うのだが
途中で我に返り「まぁまぁ」「私は私」と思いなおす。

歳をとって、自然農法や、できるだけ自給自足の「お金を使わない暮らし」に興味が湧いてきている。
景色のいいところで、住み心地のいい家で手仕事をしながら
自分で育てた野菜を使ってゆっくりと美味しい食事をする。
可愛い小屋で、手仕事を教える教室をひらきたいな。
そこはカフェにもなっているおしゃれな、自分の空間にしたいな。

漠然とした妄想しかできないのは、まだその時が来ていないからなのかもしれない。定年前の数年間、本当のスタートラインはまだもう少し先にあるのかもしれないな。





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