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これで、いいのか?

昨日、疲れ果てて8時半にbedに潜り込んだ。
久しぶりの街と
ひとに酔ってしまったのかもしれない。

どうにも浮かない気分で
私にとって実家的な存在であるnoteに帰ってきた。

どう書こうか
と自分の気持ちを覗いていたら、ふと
イソップの「いなかのネズミと都会のネズミ」を思い出した。

私は都会の生活を経て、地方に住んでいる。
こちらからでもいつでも都会に出ていくことはできるし
ネットの中には情報が溢れている。
大丈夫だ、という余裕があった。
移住して4,5年は。

でも最近とても都会の暮らしが懐かしい。
都会は新しい情報をからだごと感じることができる。
検索しなくても、情報の風は向こうから吹いてくる。

自然に癒されて、一人自由で羨ましいな
と言ってくれていた友人だが
昨日の話題はすべて
向こうからやってくる新しい風のこと。
まるでおしゃれな映画のヒロインのように
悩みさえもきらきらとして見え、
電子決済でスマートに支払う彼女のあとから
ごそごそとお札を出す自分が恥ずかしかった。

数年前は、私もそこにいたのに
気の利いた服を着て
ショーウィンドウを横目に
地下鉄をさっそうと乗り継ぎ
情報を先取りし
逆に彼女に教えていたほうだった。

もうしばらく会うのをやめよう
早々にbedに入ることにしながら
そうつぶやいた。

自分から傷つきに行くことはない。

でも彼女。
なにかといらいらしていたな。
お店の場所がわからない、店員の対応が不満
こうすればいいのにね、と昨日何度も言っていた。

それも、昔私もそうだったなと思うこと。

こちらに来てまず感じたのは
イラつく人は逆に嫌がられる。
回転寿司で、前の席の子供がレールに近寄りすぎだと怒っている私に「まぁ、いいじゃない」と眉をひそめる友人に
「だからいなかはだめなんだよ」
と言ったのは、ほんとに私だったかしら。

月曜日、田舎育ちの同僚たちの顔を見て
なんともいえない安心感に包まれた。
もとはといえば私は、ここよりもっといなかで生まれ
方言丸出しで育ったのだ。
DNA的にはこちらのほうが自分らしくいられるのかもしれないな。

昨日のみじめな気分の一日は
自分はどうしたいのか、を考えたって日でした。
田舎暮らしをして約5年。
都会は確かに素敵だけれど
ストレスが多いことも知っている。

リスキーな都会の暮らしは自分にはあわないと
いなかに帰っていったねずみを思う
でも私は都会も好きなんだよな。

眠りに落ちる前に
どこにいても、「素敵なひと」でいたいな
とつぶやいた。

これでいいのだ
と思える生き方をしていたいな。













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