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わたしと創作。 | GO AHEAD -僕の描く夢- 第181回

・はじめに

 おはようございます、こんにちは、こんばんは。坂岡ユウです。
 創作家と、企画をやっています。将来はプロの作家として、アートプロデュースに携わるために大学で学んでいます。
 今回ははじめましての方のために自己紹介をさせてください。
 既にご存知の方は二回目になるかもしれませんが、これまで書いていないことも書くので、よかったらお付き合いくださいね。

・基本情報

名前:坂岡ユウ
性別:男(MtX)
生年月日:2000年10月2日
出身:兵庫県加古川市
所属:大阪音楽大学ミュージックコミュニケーション専攻
活動内容:詩と小説とアートプロデュース
特技:文章を書くのが速い(一日最大三万五千字)
趣味:読書・散歩・音楽鑑賞・テレビゲーム

・わたしと創作。 〜創作を始めるまで〜

 2000年の秋、私は生まれました。幼少期はモータースポーツに夢中で、水泳や体操・ソフトボールに夢中のまさしく“どこにでもいる体育会系の少年”という感じです。小学校入学以前は誰にでも話しかけて親を困らせていたほどのわんぱく少年でしたが、小学校入学後は少し落ち着き、体育会系から文化系の青年へと変貌していきました。

 「幼い頃から気づかぬうちに作り続けてきた」
 ……そんな私が今創作をしている理由は、この一言に尽きると思います。小学校低学年の頃はそこそこのゲーマーで、スーパーマリオシリーズやポケットモンスターシリーズに熱中していました。中でもマリオカートは特にやりこんでいて、とあるサーキットでタイムトライアルの世界一位を獲得したことがあります。

 最初のセクションだけ見ていると何が何だかさっぱりわからないと思うんですけど、当時の自分が好きなゲームのキャラクターで物語を作っていました。本当に拙いもので、とてもじゃないけど見せられません。「マリオとヨッシーのラブストーリー」や「ルイージとワルイージの戦記」を書いていたような記憶があります。小学生の頃は「マリオ&ルイージRPG3!!!」が物語づくりの教科書でした。

 幼いなりに「ゲーム少年で小学生時代を全うするのかな……」と薄々思い始めていた私でしたが、小学四年生の時に転機が訪れます。二つの小説(「オズの魔法使い」と「アルセーヌ・ルパン」)との出逢いです。オズは私が物語の世界に引き込まれるきっかけになり、ルパンは推理小説フリークの原点となりました。ドイルも、ポーも、乱歩も、もちろんルブランも、小学生時代はほとんど推理小説しか読んでいません。1800年代〜1900年代前半の小説には本当にお世話になりました。

 こうして、すっかり文学少年となった私は小学校を卒業しました。この頃になるとルパンは全巻を読破し、小学生にして江戸川乱歩のアダルティーな作品群も読破していました。さて、中学校に入学すると、私は演劇の道を歩み始めました。演劇部に入部した理由はただひとつ。—— 冬木透になりたい!

 皆さんは作曲家の冬木透さんをご存知でしょうか。冬木さんは「ウルトラセブン」をはじめとするウルトラシリーズの音楽を担当されたことで有名ですよね。「ウルトラセブンのうた」の雄大なオーケストレーションや、独特な「ワンダバ」のスキャットは現在でも様々な作品で引用されています。冬木さんは多くの作品で音楽の他に選曲も担当されていますが、中でも有名なのがセブン最終話の「シューマンのピアノ協奏曲」です。ウルトラセブンこと“モロボシ・ダン”がアンヌ隊員にその素性を明かすというショッキングなシーンで効果的に使用されました。演劇部では選曲が音響効果の担当なので、セブン最終話のシューマンのような選曲をやってみたかったんですよね。

 それで、何故セブン最終話がここで唐突に登場してきたかというと……。小学六年生の春頃、偶然本屋で見つけたウルトラセブンの怪獣図鑑に惚れたんですよね。宇宙ロボット キングジョーのデザインが衝撃的で。その瞬間から、成田亨デザインの虜になっていたんです。まさに「これはなんなんだ」と頭にハンマーをガツンとぶつけられたかのような衝撃を受けて、そこから特撮ヒーローの世界にグイーンと一気に飛び込んでしまいました。

 そして、ようやく、創作への扉を開くことになります。(長かったですね、ごめんなさい!)

 「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」では金城哲夫さんや上原正三さん、佐々木守さんらの手による傑作が多く生み出されて来ました。特にウルトラセブンのハードで大人っぽい世界観が大好きだったんです。「子どもに向けられた番組でここまでやっていいんだ」という心からの驚きと、物語と映像を組み合わせることで紡ぎ出される“面白み”を知ったこと。映画の面白さを知ったというのが、一番の引き金になりました。

ついに創作を始めた私。最初の作品はルパンのリライトものでした。演劇部の作品候補としてそこそこの評価をいただいたのですが、結果は落選。でも、これも経験です。見よう見まねで書いた作品が、すべての原点になりました。

  ルパンのリライトもので初めての創作作品を執筆してから、演劇部のセレクションのために何作かのオリジナル作品を出しました。当時はまだオリジナリティを確立しておらず、当時の「ファンタジーものが好き」という好みをそのまま前面に押し出した作品をつくっていました。残念なことに作品は審査を通りませんでしたが、この時の私は既存作品を演劇向けに脚色することで物語を作るための鍛錬を積んでいました。ありがたいことに、脚色を担当させていただいた作品が地元の演劇コンクールで金賞を二年連続で受賞させていただきました。もともとの脚本がよかったのはもちろんですが、部活のみんなが本当に頑張っていたのが優れた結果に繋がったのではないかと思います。

 あっという間に時は流れ、中学時代の大きなトピックとなった演劇部を2015年の秋に卒業しました。私は演劇の道を離れました。高校に演劇部がなかったこともありますが、人間関係に疲れ果ててしまったことが何よりの要因でした。

 私は一人になりました。それでも、創作はライフワークにするということを漠然とこの頃の私は既に描いていたような気がします。

・わたしと創作。〜創作を始めてから、挫折まで。〜

 2016年の春、私は高校に入学しました。“信号の数が少ない”のを理由に決めた高校。最初から、創作のためにこの時間を使おうと決めていました。高校入学後は本格的にSNSを動かし始め、夏にはこのアカウントを開設。当時はクラスメイトに「恋愛ポエムを書くオタク」なんて言われ方もしましたが、特になんとも思っていませんでした。

 想ったり、話したりするよりも行動で示せ。

 これは私の信条です。実は、現在のアカウントを開設する前に、ぼんやりとした三年計画を立てていました。既にその計画を始動させていたので、友人のことを気にする必要がなかったんです。他人の声なんてどうでもよかったし、やるべきことがはっきりしていた。今思えば、これが一番の救いだったかもしれません。

 時を同じくして、何もわからずに始めた企画たちも徐々に軌道に乗っていきました。「詩フェス」と「ツイキャス企画ライブ」は今でも繋がりのある人々と多く出逢ったり、たくさんのフォロワーさんを獲得したりするなど、数回の機会で私の活動における重要な立ち位置を占める企画に成長してくれました。また、2017年に開催した140字小説のコラボ企画「カクナツ」は1000人近くフォロワーさんが増え、100人以上の参加者を獲得することができ、企画に関しては自信を持つようになりました。さらに、「七色の糸」はこれまで140字小説に触れてこなかったメンバーと共同で企画をつくり、多くの方からの反響をいただくことができました。

 ここから、少し話は変わります。今度は失敗の話です。2018年に私が主宰の創作ユニットを立ち上げました。スウェーデン語で「星空」という意味の単語を名前に据え、素敵なテーマやウェブサイト・アイコンなども作りました。同世代の創作者育成にも力を入れていこうとしました。しかし、慢心は禁物です。ユニットの構成が同世代に集中していたこともあり、メンバーが受験を控えて活動量を抑えるようになりました。そうすると、ユニットの軸がいなくなります。軸がいなくなるということは、それなしでも出来る内容を作ってあげなければいけません。当時の私はあまりにも忙しく、ユニットに時間をかけてあげることが出来ませんでした。そのうち、ユニットに顔を出すのが怖くなりました。長い時間が経ち、最終的にはユニットを畳むことに決めました。

 この失敗は、五年(当時)の創作歴の中で初めての失敗といえる失敗でした。良いメンバーも揃っていて、成功できる要素もあったのに失敗した。本当に悔しかったです。ユニットに顔を出せなくなったのは今年の夏でした。夏は友達と衝突したり、精神的に不安定になったりもしました。とにかく、心的には最悪な夏だったんです。

 でも、悪いことばかりではありません。去年の秋から、複数のペンネームを使って公募に作品を出すようになりました。長編小説を描き始めたのは去年の夏です。最初の作品はネットに投稿しました。それが「Sky Blue.」です。あれ以降、五つの長編作品を執筆しました。そのうちの二作品を公募に出し、一作品は一次落ち、もう一つは最終選考まで残るという正反対の結果をいただくことができました。また、“本業”ともいえる詩作はバンドと組んだり、コンペティションに参加して吉報ともいえる結果をいただいたりするなど、少しずつ軌道に乗るようになりました。

 秋になると、傷だらけの心は長い時間をかけて癒えてきました。再び詩に焦点を定めた創作をするようになり、これまで出来なかった継続的な創作を行えるようになりました。2018年からの長い長いスランプからも脱出できました。このスランプ脱出の一番の手助けとなってくれたのは、私の原点ともいえる「詩」です。はじめはポエムから始めて、そのうちに現代詩に手を出すようになりました。いじめのきっかけにもなりました。私の創作が評価されるきっかけにもなりました。そんな原点の詩に立ち返ることで、私は新しい扉を開けることが出来ました。

 今、私は2017年の創作体制に戻そうとしています。好きなものや依頼されたものを作り続けることを中心に、社会問題や音楽などといったものを議論するワークショップを企画・開催するという体制です。いつかユニットは必ずリベンジしたいと思っています。でも、それは今日ではないし、明日でもないんです。今はもっと実力をつけた先にちゃんとした体制で出来たらいいなあ……という風に漠然と考えています。長編小説が最終選考まで進んだことで、編集者さんの目線にも触れることが出来ました。編集者さんには本当にお世話になっていて、私の視点を大幅に広げるという重要な役割を果たしていただいています。ありがたいことですし、さすがプロだなあと心から思います。編集さんは心理学にも詳しく、悩んでいるときにメンタルサポートもしていただけました。

 こうして、もう一度ゼロから、創作を見つめ直していこうというのが現状です。新しいものにいっぱい触れて、面白いことをいっぱいやって、それを創作にフィードバックしていく。一番の目標かな。

 長くなってしまいましたが、とにかく「これからもよろしく」ってことです。今日はかなり順序立ててお話ししましたけど、出来るだけ物事をシンプルに捉えていけたらと思います。

 初めましての方、フォロワーさん、これからもよろしくお願いします!!

 2019.11.13
 Yuu

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