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悲しんでいる人・困っている人を助けたい理由

悲しんでいる人・困っている人を助ける。または、そのようになってしまう可能性を最小化する。

これを目標に掲げるまでに、いくつもの体験があった。今回はその体験をいくつかにまとめて記述していく。

辛い環境にある子どもたち

 私は中学生の頃から人の相談を受けることが多かった。中立かつ、感情でも理論でもないものの喋り方をしていたからだろう。

 同級生からの相談から、現在、大人になってもインターネットを介して子どもーいわゆる、未成年から相談をよく受ける。

 いじめ・不登校・病気・ネグレクト・過保護・DV・片親・学業不振ーー

 私は家庭環境としては普通の生活を送ってきた人間なので、彼ら彼女らの辛さや問題は真には分からない。分からないけど、理解はしようとする。

 しかし、未成年という縛られた人権をもつ人間を救い出すのは容易ではない。

 私ができることはアドバイスしかない。なるべく寄り添って、話を聞いて、価値観を共有して、心の負の部分を吐き出す場所を作って……

 それしかできないのである。現にこのような問題を抱えている人がいるのに学校も、警察も、児相も、全く動いてないのである。しかし、第三者の私には、彼ら彼女らの意思を尊重して、公的機関に相談に行くという手段も取れない。

 無力さを感じた瞬間である。

 彼ら彼女らが、趣味や得意なことを語っているときは、私すら心から暖かくなる。なぜこんなにも愛するものを持っていて頑張ろうとしている人が、上記のような問題に巻き込まれなければならないのか?そして解決へと向かってないのか?

 私は甚だ疑問でならなかった。

 教育法や文科省の指導要領、教育現場の実情、その他機関の実情を調べてみると、圧倒的に機関が動いてないことに気がつく。

では、誰が動くのか?私しかいない。私が動いて、社会構造を変えていくしかない。

潜在的なトラブルに気が付かない大人たち

 インターネットの普及により、より事業を立てやすくなったり、契約を結びやすくなったり、労働が流動的になったりした。

 これはとてもcreativeなことで、賞賛すべきことだろう。とても喜ばしいことである。

 しかし、行動を起こしやすくなった今、潜在的なトラブルの分析ーすなわち、危機管理を怠っている大人が多い。

 事業では、対外的な契約文書を上手く作成できず、後になってトラブルとなっている場合がある。利用規約などに抜け目があるのもこれに含まれる。顧客に迷惑をかけることになってしまう。

 イラストや成果物を公開しやすくなった分、著作権というものが侵害されやすくなってしまった。これの対策をしっかり取っている人は少ない。

 労働契約書に不備や不当なものがあっても、気付かない人が多い。これについては労働基準監督署が中々動かない点も、遺憾に思う。

 このように潜在的なトラブルの元に気が付かず、行動に移してしまう人が多い。しかし、弁護士やその他専門家にいちいち相談していては、費用がかさんでしまう。

 このリスク管理をどうするか考えなくては、新たな被害者、加害者が出てくる。

自然災害による被災

 私の地元、愛媛の南西部は西日本大豪雨により、大きな被害を受けた。 四国は山林部が多く、道も悪ければ、大雨の次の日には土砂崩れなども多々起きる、割と危険な場所である。 そのような場所だから、被災してもその場から出ることはなかなか難しく、また、物資などの供給を行うことも難しい。 あれから数年経ち、街は以前の活気を取り戻したが、災害対策が強化されたかどうかは分からない。

 実情、愛媛県にはお金がない。お金がないからと言って災害対策しないことは許されない。判例で国家賠償法が適用された例もある。 しかし、できないものはできないのである。

 そんな状況に対して、私たちができることは何だろうか?ボランティアだけだろうか?

 大学院を休学して、実家の愛媛で過ごした間、ずっとそのようなことを考えていた。

私が倒れた

 私は学問や、何かを生み出すことが大好きである。本当に大好きである。 そして、学士の研究をしていたとき、私は過労で倒れた。 危機管理のためのOSSを作っていて、これが作れることが証明されたら、どんなに世の中の化学プラントが助かることか、そんな思いで頑張っていた。

 頑張り過ぎた。

 様々な病名がつけられ、数ヶ月寝るだけの日々が続いた。「悔しい。」

「刻々と進むこの時間を無駄にしてしまっている自分に嫌気がさす。」

「私が私を知れてないのが悔しい。」

「寝てる場合じゃない。」

 そこから自分探しの旅に出た。出たといっても、ペンとノートを持って気持ちを整理して、色々なことに挑戦したり、色々な場所に行った。2, 3年でどうにかならなければ、自分の生きてる意味が分からなくなるだろうから、死さえ覚悟した。

 そして、上で述べたような、困っている人、悲しんでいる人、その可能性がある人をたくさん見た。

 第二の私を少なくとも私の周りの人で生み出してはいけない。そうなる前に、私が、そして社会がどうにかしなければいけない。

 幸い、私は謎の危機管理メソッドと心の整理によって、かなり回復した。

 そして今、働こうとしている。

 一度、人生で負の底に落ちても、這い上がれることもある。その具体として、私はこれから、いきいきと活動しようと決めた。

総括

 直前の体験話で分かるように私が「困っている人、悲しんでいる人」を助けたいのは、私のエゴである。そして、使命でもあると思う。 しかし、それが人のためになるのならば、それは、私の天職である。

 あのとき「死んだ」私がいるから、今「生きている」私がいる。 がむしゃらに目標に突き進む私が再構築されている。

 だから私は、「困っている人、悲しんでいる人」を救いたい。もっと言えば、根本からその問題を解決して、そのような状況になっている人が0人になる社会を目指したい。これが私の本当の信念である。

 私は、ありとあらゆる方法を用いて、この世から不幸を無くしたい。不幸な人がいる社会構造を変えたい。そして、私自身も救いたい。

そんな世界を目指してーー

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