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安部晋三と山上徹也 〜お願いDJ〜

れいゆ大學②⑦ 安部晋三と山上徹也 〜お願いDJ〜


※この駄文は、すべての政治的イデオロギーや好き嫌いを超えた地平で、愛と文化によって執筆したものです。


《もくじ》

・インターネットは世間にあらず
・安倍晋三のふたつのルーツ
・山口二矢と山上徹也 〜昔のテロルのように
・安倍晋三と山上徹也 〜家に縛られた典型的日本人
・森永太一郎のロザリオとキャラメル


[インターネットは世間にあらず]


粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店

「お富さん」詞:山崎正 曲:渡久地政信

昭和29年、夏の終わり。安倍晋三は、生まれた。春日八郎の「お富さん」が大ヒットしている最中であった。

数十年後、フジテレビ「ものまね王座決定戦」で、清水アキラがセロテープをたくさん貼るくらい、春日八郎はスターであった。

この曲では、歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし」のあらすじが、軽快な声とテンポで歌われる。

そこにあるのは世間である。人情がないと世間ではないから、インターネットは世間ではない。昔は世間があった。


どのようなイデオロギーにしろ、ツイッターやフェイスブック上で政治的主張をする人たちより、山上徹也は世間を生きていたかもしれない。彼は孤立していたからこそ世間にいた。その顔は、時代錯誤的な生真面目で哀しきテロリストのそれである。

一方、岸信介の孫として生まれ、職業選択の自由もなく、思想を受け継ぐ以外の人生がなかった安倍晋三もまた、ある意味では世間の人だっただろう。普通の市民ではないからこそ、彼は世間にいたかもしれない。周囲のお坊っちゃん議員と一線を画す性格や振る舞いは、奇妙ですらある。

世間とは、社会という意味ではない。



[安部晋三のふたつのルーツ]


安倍宗任。別名、鳥海三郎。

平安時代のこの武将を祖とする44代目が、安倍晋三なのだという。

さらに遡れば、安倍猨嶋墨縄という奈良時代の貴族。「もののけ姫」のアシタカのような蝦夷を征伐する側のヤマトの勢力だ。

時を経て、江戸幕末。

嘉永3年、長門国大津郡の大庄屋にして味噌と醤油の蔵を営む大地主の家に、安部慎太郎が生まれた。のちに安部家中興の祖と呼ばれる。まったく異質の立場の人を対比として出すなら、三遊亭圓朝になる前の橘家小圓太が、まだ子供ながらにすでに二つ目になっていた頃である。

天下泰平の江戸の世になり武士が商人に、さらに明治になって政治家になった。しかし、慎太郎は早世した。

慎太郎の妹である安部タメは、同じ地域の名門、椋木家から婿養子を迎える。椋木彪助は安部彪助となり、タメとのあいだに安部寛が生まれた。東京では添田唖蝉坊が「のんき節」や「マックロケ節」など歌っていた。

その安倍寛の子が、中興の祖と同じ読みを与えられた安部晋太郎だった。


長州藩士、佐藤源右衛門の子、佐藤信寛

その孫、佐藤秀助茂世の夫婦は明治になって造り酒屋を営んだ。

生まれてきた佐藤信介は、岸家に養子に入り、岸信介に。

岸信介はその家で妹となった良子と結婚。のちに生まれたのが岸洋子。太平洋戦争、東條内閣、満州事変。岸信介の野望うごめく。戦争中、国家の末端として命を削った水木しげるや、満州引き揚げ組の赤塚不二夫、彼らの苦労を岸信介は知らない。


終戦後、安部晋太郎と岸洋子が結婚し、昭和29年に生まれたのが、安倍晋三であった。美空ひばりの「ひばりのマドロスさん」や、高田浩吉の「白鷺三味線」が巷に流れていた。港町を舞台にしたマドロスものと、やくざもの。歌謡曲の世界でこれらは定番のひとつだった。

この「白鷺三味線」は、のちに「タモリのオールナイトニッポン」でも取り上げられ話題になった。「思想のない音楽会」というコーナーで、「近頃は思想のあるフォークやロックやニューミュージックが多い。思想のない音楽を探そう」と、タモリとラジオファンが盛り上がり、発見されたのがこの歌だった。作詞は西条八十、作曲は上原げんと。上原は添田唖蝉坊の曾孫弟子にあたる。

白鷺は 小首かしげて 水の中
わたしと おまえは
エー それそれ そじゃないか
アア チイチク パアチク 深い仲

「白鷺三味線」詞:西条八十 曲:上原げんと

ピイチク、パアチクと明るく色恋を歌う脱力ソングが流行した年に、思想や意味を背負って生まれてきた安倍晋三の人生が始まったのだ。



[山口二矢と山上徹也 〜昔のテロルのように]


山口二矢と山上徹也は名前が似ている。

山上と同じように公衆の面前で暗殺をしたのが、山口二矢である。

1960年、合同政治演説会にて、当時、17歳の右翼少年・山口二矢が颯爽と壇上に駆け上がり、短刀を取り出し、社会党の浅沼稲次郎めがけて突き刺した。そのときの報道写真は、殺されてしまう間際の浅沼の表情や体の動きも含め、非常にインパクトが強い。

山口は11月2日、東京少年鑑別所で、歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と書き、首を吊り自決した。

彼の父親は自衛官で、そして祖父は侠客ものを得意とした大衆小説家の村上浪六である。山上徹也も元自衛官で、自分だけ自由に生きることを選ばず、家族の敵討ちを謀った。

山口二矢は屋内で左翼の大物を、山上徹也は屋外で保守の大物を暗殺した。


山上徹也は統一教会のドンと、癒着する自民党の大物を天誅することを誓った。

山上は昔ながらのテロリストなのである。彼は優しさによって追い詰められ、まるで昔の右翼青年のような運命を遂げた。そして山上の思惑通り、事は進んでいく。彼の目的は、詳しい人なら以前から知っていた統一教会と自民党の癒着について、よりマスの大きなところで明るみにさせること。

この暗殺事件および安倍晋三の死について、どんな意見を表明しようが、すべては山上の掌の内だ。

彼にはもはや人生の自由がないが、しかし彼の願いは形になっていく。思想や考えがあって暗殺する、それがテロルの本来の意味である。

しかし、浅沼稲次郎暗殺事件が翌年の嶋中事件に繋がったように、殺人が罪という理由だけでなく、テロルは過ちである。


三島由紀夫と楯の会が市ヶ谷駐屯地に向かうとき歌ったという。死んでもらいます。「唐獅子牡丹」、高倉健



[安倍晋三と山上徹也 〜家に縛られた典型的日本人]


安部晋三と山上徹也は本質的に似ている。

両者とも、家に縛られた典型的日本人なのだ。


保守派は安部晋三をまるでミカドのように賞賛し称える。左派は彼の政治を批判するのみならず人格や持病まで揶揄する。ベクトルが別方向なだけで、よく似た心理状態である。とにかく、安倍晋三に無関心の人は少ない。みな、彼を戦後日本人のひとつの像として関心を抱いた。

安倍晋三がほかの名家に生まれた二世三世の自民党政治家と違い、偉そうに喋らず、話術もうまく、気さくな人柄だったからだからか。彼は岸信介の孫という、重い運命を背負っている分、普通の人間らしさが際立った。

しかし、大きな矛盾が生じる。彼には別の人生を選ぶ権利や自由がなく、仕事を受け継がなければならない。そのとき、政治家や自民党員であること、反共や反左翼の思想、憲法改正への野望、統一教会との関係などが、ほんとうに彼の素直な意思や選択なのかと根源的な違和も浮かび上がる。

安倍晋三だって、普通の家に生まれたかっただろう。普通の家に生まれた人々に、ヒトラーに喩えられたりしたくなかっただろう。どんな心の動きがあろうと、彼に職業選択の自由はなかったし、統一教会との癒着も受け継がなければならなかった。

朝鮮や韓国を攻撃する保守層の人気で支えられながら、韓国の統一教会を支えている。天皇家を敬う立場でありながら、天皇(いまの上皇)に暗に批判された。そうした大矛盾の中を、安倍晋三は生きていた。

幼い頃に、国会を取り囲む33万人による「岸を殺せ」のシュプレヒコールを聴いている。いつ殺されるかわからない祖父を見ている。だから憲法改正、安保法制、集団的自衛権、マイナンバーそのほか…あのような政治をしていた彼は覚悟をしていたはずだ。

だから安倍晋三支持者が、統一教会問題や山上の動機や心情から目を逸らすのは、安倍晋三というひとつの運命に対しても失礼ではないか。彼は覚悟をしていたはずだからだ。


統一教会が支配したのは、山上家だけではなく、安部家も支配した。そう言えるのではないか。

権力があっても運命を変えられなかった安倍晋三と、勇気があっても自由に生きられなかった山上徹也に。「人生は語らず」、吉田拓郎




[森永太一郎のロザリオとキャラメル]


安倍晋三のルーツである安部家、椋木家、佐藤家、岸家について前述したが、最後に安倍昭恵さんのご先祖様について語りたい。曾祖父の森永太一郎。森永製菓の創業者である。


彼は慶応元年(1865年)、肥前国は伊万里の陶器問屋「森永商店」の子として生まれた。

6歳で孤独になり、叔父に引き取られ、商人修行を転々とする。

アメリカに渡り陶器の販売を試みるがうまくいかず、人種差別の中でクリスチャンに助けられ洗礼を受ける。

帰国してキリスト教を皆に伝えるが、「耶蘇教なんぞに入りおって」と叔父から勘当され、再び渡米。

再び差別を受けながら、今度はベーカリーやキャンディー工場で働き、お菓子の製造に目覚める太一郎。

明治32年(1899年)、東京の赤坂溜池町に森永西洋菓子製造所を設立した。のちの森永製菓の前身である。

森永太一郎は、幼くして両親を失い、アメリカで差別を受け、帰国するとキリスト教を悪く言われた。しかし、彼は信じ続けた。商いを、陶器を、キャンディを、マシュマロを、そしてキリストを。


安倍晋三が行った政治は祖父から引き継いだ国民を管理する政治である。貧困層や弱い立場の人は苦しめられ、ファシズムに繋がる雰囲気をつくりあげた。

しかし、安倍昭恵にとっては彼はキリストだろう。

そして統一教会に苦しめられた人々にとっては、山上徹也はキリストだろう。

政治的イデオロギーや善悪を超えた地平で、私は思う。山上徹也、安倍晋三、安倍昭恵。この3人が大切な人を愛する心を持っていたのは確かである。


では、世界が、そして世間が分断されているのは何故だろうか? そのことこそが、すべての問題ではないだろうか?


今後、安部と山上はどちらも崇拝され英雄視されていくだろう。人類って、愚かだね。

「四谷三丁目」、ビートたけし。「祭りのあと」、桑田佳祐。2曲続けて。コレデオシマイ。






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