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"天然"考ーはじめにー

「あの人って天然だよね。」と聞いて、この「天然」という部分にどのようなイメージを持ちますか?

「あなたって天然だよね」と言われたら、あなたはどんな気持ちになるでしょうか?


私は"天然"と言われることがあります。「ちょっと変わってるよね」とも言われたことがあります。

だからこそ?"天然"についてよく考えます。

私はあまりにも「この人天然なんだよ」とか、「あなたは天然だから」とか、「出た天然ー!」とも言われるので、心の中で「私は天然なのか」と認めています。そんなにいうならそうなんだろう、ということです。奥田民生のイージューライダー的な流れです。

「心の中で」がポイントです。心の中で認めるのです。口外したらもう嫌われる可能性大ですから。

「天然だねー」「そうなんです。私天然なんです」「自分で言うなよ」

「私って天然だから」「自分で言う人って腹黒い」

となりますからね。こんなことを考えながらも「心の中で自分は天然だ」と認めている時点で天然ではないのかもしれませんね。

人に「天然」とラベルをつけて、それでも一緒にいてくれる人は、優しい人だと思います(今のところ)。私の周りにもそういう人がいます。失言や暴言(自分では気づかず相手を傷つけたりイラッとさせたりしている)も「天然だから」を理由にして笑い飛ばしてくれているようです。当の"天然"はそんな失言・暴言のずっと後で、ふとそれが相手にとってナイフであったことに気づくのです。そして自分が嫌になる。

ということで、私はこれから「天然」についてまじめに考えていきたいと思うのです。「天然」とは何なのか。

この記事を何週間も下書き保存している間に考え付いたのは、私を「天然」と呼ぶ人は2人だということです。大人(社会人)になってからできた友人・知人がそう呼びます。学生時代からの友人は私を「天然」と呼びません。「天然」という言葉にマイナスイメージを持って、友人にそれを当てはめるのは失礼だからそう呼ばないのかもしれません。「ちょっと変わってる人」とは言われるので友人からしてみれば「天然」ではなく「変わり者」なのかもしれません。

では、「天然」と「変わり者」はどう違うのか。そこも要検討ですね。
「腹黒」「あざとい」「養殖」など周辺の言葉についてもいずれ考えたいと思います。

「天然」と呼ばれて全否定するでもなく、イージューライダー的に認めるでもなく、そう呼ばれるなら自分で納得して呼ばれたい。または訂正したい。数年ちらちらと考えてきたことを文字にしてまとめていきたいと思っています。

興味のある方、ぜひお付き合いください。



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