見出し画像

頑張るなミュージシャン。

メジャーアーティストにならなきゃ、とか。


プロとしての自覚を持たなきゃ、とか。


周りの期待に、ファンの皆さんの期待に答えなきゃ、とか。


もう若手じゃないから、こうじゃなきゃいけないとか。


色々背負って、それでも前へ前へと進んで行かなきゃと焦って、


視野めっちゃ狭くなってませんか?



ミュージシャン諸君。



先日、長い付き合いでもあるODAGAWA SHIONくん企画のイベントに出演した。




長い付き合いとはいえ、

僕がライブハウス界隈からしばらく距離を置いていたり、ヨーロッパに行っていたり、

彼自身も紆余曲折あり、

新しくtone8.0というライブ&バーのブッキングに就任して

まもないイベント参加であったので、

彼に会うこと自体久しぶりなのであった。


ODAGAWAくんは素晴らしいアーティストだ。

90年代のセガサターンやスーファミ、アーケードゲームなどの

ゲームセンターのBGMのようなサウンドと洗練されたビートで、

まさに温故知新を極めたトラックメイカー&DJプレイヤーである。


僕とODAGAWAくんとは、僕がまだソロアーティストとして

始めたばかりの時だったのと、彼がテクノユニット「ラグナセカ」を始動し始め、

まだ彼らが専門学校時代の頃からのよしみであった。



僕らが思い付かないようなアイデアとライブスタイルは

嫉妬を覚えるほど斬新で面白い。


初期のころはしょっちゅうイベントで一緒になる事が多かったが、

いつしかそれぞれの活動が忙しくなり、会う機会が少なくなっていった。


久々に彼に会って話を聞くと、

ここではあまり多くを語らないでおくが、

彼の中で様々なつらい事があったそうだ。


アーティストとして、DJとして、作曲家として、

ODAGAWA SHIONとしてたくさんの辛い経験をしてきた上で

彼はなんとかそこに立っている。

僕なんかより相当苦労してきたと見える。

いろんなものを背負って、いろんなものを捨てて、

自分との戦いを経てきた戦士だ。



そんな彼のSNSでの投稿を見て、

「売れなければならない。」

「成功しなければならない。」

という執念すらをも感じていた。


そんな彼との対バン。

およそ3年ぶりぐらいだろうか。

SNSで彼の活動は見ていたが、実際に会うのは久しぶりだった。

最初の頃と比べて彼は正直言って疲れていた。


「あぁ、苦労してるんだな」という印象だ。


この日の僕の出番は2番目、正直一番やりやすいポジションだ。

なぜなら出番が終わったら

ビールでも飲みながら他のアーティストをじっくり見れるからだ。

無論、僕のライブは十分に楽しめた。


こんな感じに。


見てくれた人達からも「最近楽しんでライブするようになったね!」とか

「なんか肩の荷が降りたような感じする」とか、

とにかく僕のライブに対する姿勢は変わったように見えるらしい。


明確な理由はわからないが、しばらく距離を置いていたのと

毎週毎週ライブするみたいなストイックさを辞めたのと、

あとヨーロッパに行って価値観を変えられたのがデカいと思う。



何はともあれ、ライブはとても楽しかった。



最後に大トリを飾るのはこのイベントの主催者でもあるODAGAWAくんだった。


一曲目は聴き馴染みのあるいつものナンバーでとてもノレる曲だった。


彼の曲はシンプルで分かりやすい。

分かりやすいぶん細かいMIXやコード進行などは

とにかく完璧主義的なところを垣間見る。

とくにMIXのバランスの良さはピカイチだ。

EQがきちんとフラットに聞こえる。

曲はスーパーでかかってそうなテイストで、それがまた良い。


特に二曲目、最初がアップテンポな曲なので

そのままフロアを盛りあげて行くのかなと思いきや、

どこか昔懐かしのゲームセンターのBGMのような

ミッドスローな曲だった。

一言でいう「エモい」ナンバーだ。

そうくるか!と思ったのと、なんだかしみじみしてしまった。



「あぁ、僕がライブシーンから離れたり、ヨーロッパにいって

右往左往している間に彼は、彼はずーっと何年も変わらず、

このODAGAWASHIONらしいサウンドで

、この日本でこの大阪で戦い続けていたんだな。」


と思いふけていると、飲んでいたお酒のせいか、歳のせいかなんなのか、

涙がポロポロと出てきたのである。


「そうか、、、辛くても諦めず頑張り続けていたんだな」と、


半ば勝手な妄想かもしれない。

だかその想いが彼のサウンドとなって

ライブパフォーマンスとなって現れたのを強く感じた。


ODAGAWASHIONらしさ全開のライブはアンコールを求められるほど素晴らしく盛り上がった。


終わりに彼に駆け寄って、感動した事と泣いてしまった事を言うと、

彼自身に溜まっていたものが溢れ出てきたか、

彼もまた泣いていた。


しかし、心配だと思う点は

「本当に素晴らしかった!」とベタ褒めしても彼は

「ハイ、頑張ります」「もっと頑張ります」

と言うばかりだった。


僕からすれば、もう既に素晴らしいものを持っているし

SNSでもなんでも宣伝も頑張っているし、

そもそもODAGAWASHIONというキャラクターが定着している。

本当に羨ましい限りだ。


「頑張ります」という彼をみていると、

まるで説教されて縮こまったサラリーマン部下のようだ。

いや、頑張る必要ないよ!君は十分やってる。

あとは自分の好きなことに夢中になって、人がついてくるのを待つだけだ!

と言っても彼は「頑張ります」と口癖のように言うばかりだった。


僕はなんだかそれを見て辛くなった。

いったい誰が彼をこんな風にしたんだ!と怒りすら込み上げてくるほどに、

彼はかなり追い込まれているようにも見えた。



音楽とはそもそも、楽しいもののはずだ。


元来は収穫をお祝いしたり、神様にお祈りしたり、

みんなで聞いて歌ったり踊ったりするものであったはずだ。

いつしか音楽はショービジネスになり、曲は大量消費される時代となり、

作曲はDAWの登場で簡単に作れる時代となった。


情報のスピード感に伴い、作り手も楽曲のクオリティより

たくさん作ってバズらせて、あの手この手で宣伝してなどと、

求められることがとくに多くなった。


それで疲弊して音楽を辞めた、ならまだしも、

鬱になったり失踪したりするミュージシャンも少なくはない。


僕も音響エンジニアとして働き始めた頃、

あまりの超過労働と人間関係にまいってしまい、ノイローゼになるギリギリで

踏みとどまって会社を辞めた経験がある。


だが今でも元気に音楽を出来る理由は


「死ぬ気で頑張る」事と
「バッサリ辞めてリセットする」事の二つを経験したからだと思う。


その時日本人はこう言う

「石の上にも三年」
または「継続はチカラなり」と。


僕はこの「途中で諦めたら試合終了だよ精神論」は

真面目すぎる日本人にとっての"呪いの言葉"だと思う。


続けることは大事だが、八方塞がりになった時、一度立ち止まってみたり、少し距離を置いて広い視野で客観的に見ることは大事なはずだ。


しかし日本社会は「アイツは諦めた」「途中で投げ出した」というレッテルを貼る。


そしてどうしようも出来ずに社会的に追い込まれて身を投げる。


僕は正直言ってこんな日本社会に

「いいかげんにしろ」

と言いたくなるくらいだ。


これは誰かが悪いとかではなく、

一人一人の「大人として社会人としてこうで無ければいけない」という

お堅い思想と意識の問題だと思う。


つまり僕はODAGAWAくんにも、日本人全員にも


「頑張るな!

自分の好きで夢中になれる事をマイペースに

ワガママにやりなさい!」

と言いたい。


必死の形相で仕事に追われるより

「楽しい」と思って無我夢中でやってるやつの方が強い、

というのは範馬刃牙ですらもそう説いている。



彼にとってはむしろ音楽じゃなくたって良い。

「やっぱり僕漫才師になりたいっす!」とかでもなんでもいい。

日本社会の歯車に揉まれて自分の個性を失うくらいなら、

多少他人に迷惑をかけてでもいいから

自由に好きな事をなんでもすればいいと思う。



僕はそんな彼を応援す、、、


いや、応援しない!


応援しない!勝手に自分で自由にやりなさい!


人目なんて気にしてる場合じゃない。

僕は僕で好きな事をするし、彼は彼なりにいろいろチャレンジしてみたら良いと思う。


少々無責任な言い回しだが、「応援してるからね」なんていう

優しさの裏にある無責任なプレッシャーはもういらない。


ミュージシャンよ。


頑張るな。遊び心を忘れるな。

楽しく無我夢中になれることに純粋に向き合っていけ。

花開かなくたっていい。


大事なのは一度きりの人生を

いかに自分らしく充実して過ごすかだ。


純粋に音やグルーヴを学び楽しむことに音楽の本質がある。



ミュージシャンよ。
頑張るな。音楽で遊べ。


おわり


ODAGAWA SHIONの楽曲はこちら↓


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?