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その「?」、共感か相談か問題

こんにちは、ゆのまると申します。

PCを立ち上げると日替わりの壁紙が出るのですが、今日は「アントワープ中央駅」でした。

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初めて知ったのですが、美術館でもお屋敷でもなく、駅。世界にはこんなに素敵な駅があるのですね。

さて今回は、うっかり「教え魔」になっていて反省したお話です。


「人から受けた相談には、答えでなく共感で返せ」と、よく言われますよね。相手が女性だと、特にその傾向が強いかもしれません。それは心得ているつもりですし、友人から相談を受けた時には、なるべく相手の話をよく聞くようにしています。

しかし元々の私は、おせっかいの教えたがり。自分が経験したこと・知っていることだと(時には未経験のことすらも)、ついアドバイスしてしまいます。友人と別れた帰りに、(また余計なこと言ったかなぁ)とひとり反省会をしたことが何度もあります。

相手が友人であれば、「自分目線のアドバイスしちゃった、ゴメンね」とメッセージを送ればいいですが、SNSでのコミュニケーションとなると話はもう少し複雑です。


noteを見渡すと、いろいろな「もやもや」が溢れています。

なかには自分が想像もしなかった悩みもありますが、かつての自分を見ているかのような悩みも、たくさん。

そのなかに、「どうしたらいいでしょう?」「他の人はどうしているんだろう?」といった疑問符を見つけると、自分の中の「教え魔」がムクムクと頭をもたげて、さも最適解かのようなコメントをしてしまう……。そういったことが何度かありました。

でも、それで満たされるのは自分だけ。「お前に何がわかるんだ!」と思われこそすれ、人様の考え方を、コメントひとつで変えられるわけがありませんよね。

noteにはコメント以外に「スキ」のリアクションもありますが、もう少しリアクションが増えたらいいなぁ、とも思います。「わかる」とか「かなしいね」とか。「変わりたいけど、どうしたらいいかわからない」って内容に、「スキ」を送るのはちょっと違う気がするんですよね。たぶん「うんうんそうだね、わかるよ」って気持ちをたくさん込めているんだろうけど。


noteは他のSNSに比べると、生身の感情に触れることが多い分、距離感を勘違いしやすいなと感じます。自分調べです。

でも、コミュニケーションの仕方は、きっとリアルと同じ。「はじめまして」からスタートして、少しずつ顔を合わせる機会が増えて、だんだん立ち入った話をするようになっていく。

相手が求めているのは、共感なのか相談なのか。相談であれば、どんな人に答えてほしいのか。それが判断できるくらいに親しくなって初めて、「私の場合は……」とお話してみる。マイルールがまたひとつ増えました。

あ、「教えてください!」とはっきり書いてあったら、その時は遠慮なく答えようと思いますけどね。


Twitterはもう10年くらいやってますが、noteはまだ4か月。

自分も相手も気持ちいい場所であるように、今後も、勉強しながら続けていこうと思います。おわり。


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