サッカー

遊びとは自己実現

私は遊びは人生の縮図だと思っています。

今の子どもだと自由な時間を与えられても何して遊んだらいいのか分からない、もとい自分のことなのに自分自身が何がしたいのかが分からない、といったところからスタートするわけなのですが、これは大人でも同じ問題を感じている人は多いかもしれませんね。

その問題はひとまず置いておいて、例えば「サッカーがしたい!」となったとします。その子がサッカーをすることができるまでにはいろいろなことをクリアしていかなくてはなりません。

まずサッカーは一人ではできないので、仲間を集める必要があります。自分の想いを他者に伝える行為が必要です。もしかしたら他の遊びを楽しんでいたり、サッカーをやりたくない友達が多かったりするかもしれません。その場合にはサッカーがどれだけ楽しいかをプレゼンし、他者を説得しなければなりません。

次に、モノが必要です。何が必要か?という問いかけからスタートしますが、まずサッカーボールですね。次にゴール。ゴール替わりになるモノを置いてもいいですし、「木と木の間がゴールね」と決めてもいいかもしれません。コートのサイズはどれぐらいに設定するかというところも決めることの一つです。

そしてヒトとモノが揃ったらあとはどうやるかです。ルールはどうするか、チーム分けはどうするか、時間はどれぐらいか。そういったことを決めていかなくてはなりません。もっと言えば大抵の遊びには審判というものがいませんから自分たちで反則や点数を管理しないといけません。

大袈裟に感じるかもしれませんが、ある子がサッカーをしたいと思ったとき、それができるまでには実はこれだけのプロセスがあるわけです。カッコ良く言えば自己実現という言い方もできるかなと思います。遊びというのは何をしても自由なので、結局のところこの自己実現の連続であると言えるでしょう。もし負けたら悔しいから次の時までに練習をしよう!と思って取り組むのも自己実現のプロセスです。

こうして自分の意思を発信し、それに向かって行動し、実現していくプロセスは年齢や性別を問わず生きるチカラとなって後々に大いに役立つことでしょう。もちろんそれが最初からできるわけではないので、大人が必要最小限のお手伝いをしながら、自己実現のチカラをつけていってほしいなと思います。

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