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New Journey -黒崎優香新しい挑戦します-

I really cannot thank you enough to all my friends who have helped me since coming to Lexington and I couldn’t have done two and half years without my teammates. Thank you so much. :) I will be cheering for you all! Good luck!! Also, I want to thank Jason who is my former coach because you recruited me and gave me this great opportunity that is why I could meet all my friends in Lexington.

So now, I am super excited to start a new journey as a part of the Oklahoma family. I will try my best to succeed in my new career and I also aim to get in the draft. Thank you to OU Soccer for giving me a new opportunity.

12月のファイナルテストが終わり、冬休みに突入しました!日本にも一時帰国をしています。そして日頃からサポートをしてくださる皆さんに報告があります。今日の内容はサッカーがメインでもありますが、留学に行こうか迷っている方にも何かきっかけを与えられたらいいな。と思うので良かったら是非拡散してください。

今の私がいるのは...

少し長くなりますが、私のアメリカでの出来事を正直に振り返りたいと思います。ぜひ最後までお付き合いしていただければ嬉しいです。長い場合は『語学学校の日々』まで飛ばしで読んでください。

私が高校を卒業して、アメリカという国にきて2年半が経ちました。アメリカにきた当初は右も左も分からない状況で、ましてやコミュニケーションが取れるほどの英語力もありませんでした。私はこの2年半をケンタッキーという州で過ごし、沢山の人達に支えられ、その方達のおかげで何不自由なくやってくることができました。皆さんはアメリカと聞いたら、大変そう。とイメージするかもしれません。もちろん、簡単なことではないと思います。ですが、私はこのケンタッキーでの2年半で日本に帰りたいと思ったことは一度もありません。自分が選んで行ったんだから当たり前でしょ。と思うかもしれません。確かにそうだと思います。でも一つ私が自信を持って言えることは、私の周りには素敵な人が沢山いるということです。どんな時でもそうです。中学の時のチームメートやコーチは今でも私のことを気にかけて連絡をしてくれます。高校での3年間は私の人生の中で最も忘れることのない3年間になったでしょう。今でも時差があっても高校の友達とは連絡を取り合います。高校の時の仲間がなにか結果を残したりと良い話を聞けば私も自分のことのように嬉しくなりますし、良くないことが起これば飛んで帰りなくなるほど心配になります。そして私はケンタッキーのレキシントンという地域で沢山の大切な方達に出逢うことができました。出逢いは突然でしたが、一人の方が連絡をくれて、そこから広がった大きなサッカーの輪。よく言葉が通じなくても、サッカーボールが1つあれば輪は広がるといいますが、まさにその通りだと思います。今回の場合は同じ日本語でしたがサッカーが結びつけてくれた縁でした。その方達は困ったときには送迎をしてくれたり、ご飯に連れて行ってくれたり、試合にも見に来てくれました。そして宿題や英語が理解できなかったときには教えてくれたチームメート、日本人のテニスの先輩、学校の先生や友達のような家庭教師の先生のおかげで私は辞めたい、帰りたいと思うことが一度もなかったのだと思います。今回、日本に戻ってくる前日もお家に宿泊させてくれて朝の4時に朝ごはんを用意し、空港まで送ってくれた方もいるんです。そんなことを他人の自分にしてくれるんですよ。自分に置き換えてみて、それを自分が他の誰かにできるのか?と問いただした時に皆さんはできますか?

私はアメリカに来なかったらここまで出逢う人に恵まれているということに気づくことはできなかったかもしれません。なぜなら、日本にいればどうにかなるからです。言語は同じ、わからなくても調べればどうにかなる。だから時には有り難み、大切な人の存在というのを忘れかけてしまうのだと思います。

前にも書きましたが『ありがとうの大切さ』です。今だから私はこれに気づくことができ、心の底から出逢う人に恵まれていると強く感じることが出来ます。

でもこの経験をするチャンスを与えてくれたのは今シーズン前までいたジェイソンというコーチのおかげです(3つ目の写真)。ジェイソンがいたから私はアメリカの大学に進学をすることができました。今でも鮮明にアメリカ初日のことを覚えています。聞かれる内容を事前に調べ、メモを持って行きましたが、早すぎて何も読み取れず、とりあえずYESと満面の笑みでクリアした入国審査。飛行機は嵐で遅延し着陸しているのに飛行機の外には出れない。刻々と私の乗り換えの時間は迫り、どんどんパニックになり、私は目的地までいけるのだろうか。と考えていた飛行機の中。とりあえず携帯が使えたのでジェイソンの奥さんにLINEを。そしてジェイソンの奥さんが航空会社に電話してくれてスタッフの人を飛行機のドアのとこに手配してくれて、開いた瞬間にシカゴの空港のゲートの端から端まで走りました。乗り換えの飛行機も出発する寸前で私は預けた荷物は大丈夫かな?と考えていたら早く乗ってとCAの人にキレた口調で言われ、ジェイソンの奥さんにも荷物はどうにかなるからとりあえず優香だけ到着したらいいから!と言われ飛行機に飛び込みました。ジェイソンの奥さんは日本語が話せます。だから私のエイジェントはケンタッキー大学を勧めてくれて、親も安心して送り出してくれたのだと思います。多くの人は私に尋ねてきます。「お母さん良く許してくれたね」と。確かにそうですよね。まだ18歳でましてや英語もできたわけでない娘をアメリカに送り出す。私がわがままで自分で決めたことは他の人に何言われても受け入れないという性格というのをわかっているからだと思います(笑) けどそれだけではないでしょう。私が渡米する前から時差があるにも関わらずFace timeをしてくれて心配はいらないよ。と伝え続けてきてくれた、ジェイソンとジェイソンの奥さんの存在があったからだと思います。話は戻しますが、飛行機が遅延してついたのは夜中の12時過ぎでしたが、それでも空港までジェイソンはきてくれてその後も寮にチェックインをするために一緒についてきてくれました。チェックインが終わって部屋に行くと鍵が違って開かないし、不運にもシャワーが工事中で使えないし、飛行機の遅延で荷物は次の日まで届かないという波乱の状況から私のアメリカ生活はスタートしました(笑) そしてシャワーが使えなかったのでジェイソンはサッカー部のロッカールームまで連れて行ってくれて...(その間はラウンジで待ってくれていました) その時に初めてロッカールームを見て、なにこれ。やばいここ。大学なのにめっちゃ綺麗やん。って独り言を言ったはず (笑) 確かその日、寮に帰り着いたのはもう2時を過ぎていてお腹が空いたのも通り越していたら、ジェイソンの奥さんが何か食べれるようにと晩御飯も準備してくれていました。1度も会ったこともない私にここまでしてくれるなんてどんだけいい人なの。って思ったことを覚えています。 今だから笑い話になりますが、空港で初めてジェイソンに会ったときなんて私はグーグルの英語の翻訳アプリを使って会話していたんです。いやまぢで?って感じですよね。何も英語がわからなかった私を笑顔でアメリカに迎えてくれて、ジェイソンのファミリーの存在があったから私は1年間語学学校でサッカーもせず前を向いて頑張ることができたんです。今思うと1年間サッカーしてなかったらもうやらなくていっか。という気持ちになるのが普通なのかもしれません。まぁ私も運動しなくていっか。と思ったのは事実ですが(笑) 

語学学校の日々

本当に語学学校では電子辞書が1番の友達で先生が言ったすベての単語を調べていました。日本人はよくシャイだから...と発言することに抵抗があるというお話を聞いたりしたことはありませんか?日本はどの教科においてもそうですが、一方的に先生が話してその指示に従う形式ばかりで、英語も同様に文法ばかりを勉強しスピーキングの練習をするというのがあまりありません。日本の教育は静かなクラスでノートを取るというのがスタンダードで自分の意見をはっきり言うのをなにか悪いというように捉えられている風潮があると思います。だから自分の意見を伝えるというのができない人が多いんだと思います。私もこの内容はアメリカに行かなければ気づかなかった一つで今だから書くことができます。実際は私も上記の内容に当てはまるひとりで、自分で積極的に発言ができない人でした。まず、英語はわからない。なにを話したらいいかわからない。I do not know や I have no idea という誰でも分かる『わかりません』と伝えればいいのにそれも言えない。なぜか間違うことに恐れて黙って沈黙が続くというような感じでした。けどアメリカという国は日本とは逆で発言しない人は積極性に欠けていると思われたり、わかっていない人とも捉えられ自分のマイナスになります。周りの意見と同じでなくてはならない、そして変に目立つことをよしとしない雰囲気が日本にはあり、周囲の空気を必死に読みながら合わせようとする。私も日本人なので合わせないといけないということがあるのもわかります。でもそれってどうなんだろう。って今では思うことができます。なら私が完璧にできてるの?と言われるとそうではありません。私は語学学校での1年間があったから大学までの準備期間として発言しないとだめだということを知ることができました。例えばアラビア系の人は文法がグチャグチャでもすごく発言をします。だから先生たちは理解をすることができます。それに比べて私は黙ってノートを取っている。自分が質問されたときには話せない。それでは先生たちも助けようがないですよね。文法がグチャグチャでも発言をしようとする。トライしようとする。それに本当の意味があるんだということに私は気づくことができました。最初は誰でも怖いんだと思います。なぜなら自分の英語力にに自信がないから間違ったらどうしようとか、否定されたらどうしよう。と考えてしまうからです。でもそれだとダメだ。ということに気づき、ある期間が過ぎるとあれ、今発言できたかもという感覚に私は巡り合うことが出来ました。今でも自信はありませんし、クラスでディスカッションやプレゼンがあると頭が真っ白になるし、逃げたくもなります。でも終わると凄く達成感を感じます。自分の意見を押し殺すのが当たり前になり、いつしか自分の意見すらなくなるというような人には私はなりたくないと思っているので今回のnoteに語学学校の振り返りを兼ねて書くことに決めました。こんな感じで私は一年かけて語学学校を卒業し、ケンタッキー大学に入学することができました。普通アメリカの大学に入学するにはTOEFLというテストで決められた点数をクリアしないといけませんが、私は語学学校のクラスを全てクリアしたので大学特有のルールで入学許可をもらうことができました。この語学学校の期間でもジェイソンのファミリーの存在は私の心の支えで、絶対に恩返しがしたい。だから今は頑張ろう。というこの気持ちだけで私は乗り越えることができました。

今だから言える話の1つ

ケンタッキー大学のサッカー部は、私の語学学校の一年間という期間、スカラシップ100%の枠を私のために空けてくれていたんです。多分これは稀なケースでしょう。私のスカラシップの枠をあけなければ、もしかしたらいい選手を私の加入一年前に取れていたかもしれません。そこまでしてでも待ってくれていたジェイソン達にプレーで恩返しをしたい。そう思っていた二年間でしたがシーズン途中で怪我もし、ろくな結果も残せず、チームに貢献出来なかったというのは今でも心残りです。なにより、ジェイソンになにも返せていません。ジェイソンが今シーズンの前にチームをやめ、新しいコーチが来て全てが新しくなりました。その時に私はジェイソンの存在の大きさに改めて気づきました。いなくなってからでは遅いということですね。ジェイソンがいたからチームメートも私が困らないようにとヘルプをしてくれたり、Hello, Yuuka と会うたびに声をかけてくれてチームに馴染めるようにしてくれていたんだと思います。高校三年の選手権の後からサッカーをしていなかったし、フィットネスの部分なんて全然おいついていませんでした。それでも私に大丈夫だから。一年目はアメリカのサッカーになれることが大切だからと言って使い続けてくれました。ジェイソンが辞めたのは夏休みの期間で突然の発表だったのでどうこう出来たわけではないですが、今シーズンを通して分かったことはジェイソンがいたから私は頑張ろうと思えてたんだ。ということでした。

決して1人でここまで来ることとなんて出来なかった。

というのが身に染みているからこそ私は新しい挑戦がしたいと思いました。私、黒崎優香はトランスファーすることに決めました。トランスファーって何?と思うので...いわゆる大学を変えるということです。University of Kentucky から University of Oklahoma という大学に移ります。トランスファーの過程を今ここで書いてしまうともっと長くなってしまうので、次のnoteに書こうと思います。正直、今の気持ちはワクワクしています!新しい大学でどのような出会いがあるのか。環境はまた今とは異なるでしょう。でも今の私は2年半前に来た時ときとは違う気持ちです。新しいとこに行くことはもちろん分からないことだらけです。ですが、それは新しいチャンスが待っているということでもあります。だから今は最高な準備をしたい。その気持ちでいっぱいです。そして私には後2年しか大学サッカーをできる時間がありません。今のままではドラフトを取ることなんてできません。それは自分が一番分かっています。でもまだ二年あります。二年で何ができるのか?と考えるともっともっと必死になって努力しなければ先はないのでオクラホマ大学で後二年死ぬ気で頑張りたいと思います。たくさんの方が私にしてくれたことを今すぐに返すなんて出来ません。私にはそんな実力も才能もないからです。私はあまり大きなことを口に出したりしないほうがいいと考えるタイプでした。でも安彦さん中島さん のイベントに参加して考えが変わりました。『お二人が思ったことは発言したほうがいい。先に口を動かすとそのあとに手や足が動くから』と。でもどんなことでもそうだと思うんです。上に書いている語学学校のことにもリンクしますが、発言しないと何も始まらない。だから私はオープンに目指すことを書きました。この二年間で自分に向き合い続けたい。上を目指したい。簡単なことではないのも分かっています。でもやっぱり私がどんな時でも思い浮かぶのが日頃から応援して下さる方やケンタッキーで出会った方で、その方達にいい報告をすることが今の自分の出来る恩返しだと思うので1月から新天地で挑戦し続けます。なので ケンタッキー大学の黒崎優香ではなく、これからはUniversity of Oklahoma オクラホマ大学の黒崎優香を応援して頂けたら嬉しいです!良ければ大学のアカウントでチェックしてください!

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今シーズン一緒に頑張ってきた仲間です!皆バラバラになりますが、切磋琢磨しながら来シーズンも頑張って行こうと思います!是非2人の応援もよろしくお願い致します!

長くなりましたがご覧頂きありがとうございます。2018年も沢山の応援ありがとうございました。2019年も引き続きアメリカでのことを発信していきたいと思っています。今後とも応援宜しくお願い致します! 良いお年を!

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-黒崎優香 6月12日生まれ。-現在アメリカにサッカー留学。-今しかできない経験を沢山させてもらっているのでそれを何か形として伝えていきたいと思いnoteを始めました。Twitter&Instagram:@yuuka_kurosaki Facebook:@yuukakurosaki1997

いつも沢山の方からのコメントを頂き、とても嬉しく思っております。私にとって、いいねやRTは最高なプレゼントです。こういう世の中の状況にも関わらず、サポートをしてくださる皆さん、感謝の気持ちでいっぱいです。サポート費は国内外での活動費として大事に使用させていただきます。