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【本質】わたしがnoteを描くほんとうの理由。| 現実とスピリチュアリティの間で 𓂃 𓈒𓏸


昨日まで、約一週間にわたる「自分との向き合い」が終わり、とてもスッキリした状態になることができました。

今日は、わたしが何に対して向き合い、どんな思考で答えに辿り着いたのかについて、まとめてみたいと思います。

大きく3つです。

1. スピリチュアル的感覚を優先して生きること

わたしは子供の頃からこの世界から切り離されてる感覚がしていて(ネガティブな意味合いではなく、単純に感覚的な事実)、人の感情がまるで自分のことのように感じられ、目に見えない相手の状態が分かり、ふわふわとしたような世界を生きていて、でもそれが主観的に当たり前すぎるくらい当たり前だったから、みんな人はそうだと思って生きてきた。

今思えば、みんな生まれた頃は絶対に持っているスピリチュアル的な感覚を、年齢を重ねても、大人になっても持ち続け、時々忘れることはあっても、完全には忘れなくて、そしてこうして思い出したんだと思う。

それはスピリチュアル的に言うと、現実世界の3次元ではなく、4〜7次元、宇宙に限りなく近い次元を生きていたということ。

それぞれの次元で感じられる波動は異なってくるので、元からわたしはいわゆる資本主義社会から切り離されてる感じがしていたのだった。

でも、これは批判的な意見もあること前提で主張すると、わたしはこんな自分の方が「普通」だと本気で思っている。これは、これまでもこれからも、ずっと変わらない事実。

それくらい、資本主義社会だけで生きている大半の大人たちは、わたしからしたら「異常」で、「変わっていて」、「おかしくて」、「普通じゃない」と、本気で思っている。笑

そして尚、ここで強く主張したいことは、「わたしもその『資本主義社会だけで生きていた』時期があった」ということ。つまり、資本主義社会では一般的とされている感覚が普通だという感覚ももちろん分かる。

でも大切なのは、そこから抜けた時、「まるで世界が180度回転したかのような感覚」になったということ。これはとても面白い現象で、言い換えるなら「子供の頃に戻った」、そして「人としてのスピリチュアル性を思い出した」ということだと思う。

そして、この一連の流れを、わたしは「浄化と覚醒」として捉えている。

その結果、何が起こるかというと、まず価値基準が変わる。豊かさや幸せを感じる物事が変わる。日常の過ごし方が変わる。愛や感謝がとても大きくなる。必要な人と繋がれるようになる。必要な出来事が現実で起こり、引き寄せられる。自分自身を生きれるようになる。

つまり、資本主義社会の枠組みには存在しないような、もっとディープで本質的な、とても豊かで満たされた世界で生きれるようになる。

だから、わたしはこの「浄化と覚醒」がひとりでも多くの人に大切だと心から信じていて、ここでは詳細は割愛するけれど、特にひとりでも多くの「日本人」がそうなることが、世界平和に繋がると本気で思っているし、実際そうだと思う。

だからここで話していることは、わたしひとりの個人的な感覚であるとともに、実はこの世界の、この地球上の、とっても本質的な「課題」であり、日本人がいちばん向き合うべきこと。

ここについては、なぜそうなのか話すととても長くなるのと、わたしの資本主義社会やそれを構築するシステム、諸外国含めた歴史に対しての強烈な怒りが発動してしまうので、一旦控える。笑



前置きが長くなってしまったのだけど、そんなわたしがこれまで自分のスピリチュアル性と資本主義社会の間で上手くバランスを取ろうとしていたのが、もう抑えきれないほどにスピリチュアル性の方が超えてしまって、どうにもこうにも生きれなくなったのが、ちょうど30歳になった直後からだった。

まるでここからは新しい人生を生きなさいと言わんばかりに、内側ではマグマが上昇してぐるぐる猛スピードで回転して今にも爆発しそうな感じ、そんな感じを生きていた。

そしてわたしのそんな精神は肉体とのバランスを全く取れなくなってしまい、連続的に体調も壊したり、千と千尋のような世界を生きていたり、とにかくものすごいことが自分の内部で起こり続けていた。

わたしはその状態に疲れ果ててしまって、でも決めないといけなくて、何を決めるかというと、「自分のスピリチュアル性を優先して生きるということ」を。

これがどんな感覚かというと、昨日のnoteを読んでほしいのだけど、もう自分でオールを漕ぐのをやめるということ。自然の流れに身を任せて、行き着くところに行くということ。

そしてそれが何を意味するかというと、「これまでコントロールしてきた(実際にはコントロールできないにも関わらず)世界ではなく、これからはもうコントロールできない世界で生きていく」ということだった。

自分で舵取りをできない不安、どこへ辿り着くか分からない恐怖、全てを受け入れることへの畏敬の念。

「一体どこに行けるのかな!わくわくどきどき!」のような期待はもはや1%ほどで、基本的に99%がとにかく「怖い」という感情を占めていた。

そこで、その怖さと向き合い、紐解いてみると、次の、2つめの論点に行き着くことが分かった。


2. インフルエンサー活動を開始すること

人はそれぞれ「宿命」と呼ばれる自分の人生を生きていて、それは今世、自分が選んだものになる。

当たり前だけれど、その「宿命」を義務教育で習うことはないし(ここもわたしの怒りが発動するポイント。笑)、これまでは天皇や国家の中枢など、とても上層部の領域でしか取り扱われてこなかったらしい。今でも、しっかり体型的に学ぶには、ある環境にご縁あって辿り着くことでしか、学べないような特別なものだと思っている。

そしてその「わたしの宿命」において、コアにあるのが「想いを伝達していくこと」であり、そもそも持っている性質が「伝達本能」であるということ。

身近な生き方、働き方でいうと、いわゆる「インフルエンサー」として活動していくということ。

わたしはこの「宿命」があくまでも仮説的なものだと分かっているし、縛られているわけでもないので、「自分の宿命が想いを伝達していくことだから、インフルエンサーになろう!」みたいな安直な考えでは一切なくて、

なんていうか、もう魂がそれを望んでいるから、これ以上抵抗ができなくて、従うしかないという感じ。笑

でも、わたしの現実的な「意識」が、とにかく表に出るのがイヤでイヤでイヤでしょうがなくて、わたしはそれが今世における自分の「役割」であり「使命」であると分かっていたとしても、とにかくこれまで抵抗し続けていた。

のだけど、わたしが敬愛して勝手に精神性世界の大師匠だと思っている方、おふたりに、ぐちゃぐちゃのままの想いをぶつけて、とても貴重な見解をいただいた時、その答えはどちらも「やってみなさい」だったということ。

そしてその時にいただいた言葉を繰り返し自分に落とし込んで分かったことが、とても大きなことだったように思う。

それは、わたしは「決して『インフルエンサー活動』自体がイヤなのではなく、そうした自己表現があまりにもしづらいこの『日本社会に対する強烈な怒りや強い嫌悪感そのもの』だった」ということに、ようやく辿り着いたのだった。

それは一つ目に述べた「日本人のスピリチュア性が抑えつけられてる資本主義社会のシステムへの怒り」とまさに一緒であり、リンクしている。

沢山の内省や自分との向き合い、思考を繰り返し、ここまで辿り着いた時、わたしはとても身軽に、スッキリとした気持ちで生きれるようになった感覚がした。

びっくりするのが、「インフルエンサー活動が心底イヤなのではなく、ほんとうはやりたいことだった」ということに気づいたということ。

自分の怖さや違和感と向き合うことなく、あのまま履き違えてしまっていたらと思うと、ゾッとする。危ない。

そしてこんな「履き違い」が、自分にとって大切な領域こそ存在しやすいということを、わたしたちはまず知って、危機意識を持つ必要があると思っている。ほんとうに危ないこと。


これはわたしの人生において、とっても大きな出来事であり、答えになった気がして、改めて、「じぶんを生きることを追求すること」の面白さや、旅をしているような遊び感覚を味わうことができたのでした。

3. じぶんを生きるを、追求するということ


そしてほんとうに伝えたいことは実はここからで、わたしがなんでこのnoteを描き始めたのかというと、「じぶんを生きるを、追求するということが、現実的に、具体的にどういうことなのか」を、知ってほしかったから。なのです。

わたしは、ひとりひとりが「本質的な豊かや満たされた幸せの中を生き続けるため」には、こうした自分との向き合いを丁寧に繰り返し、日常でのトライアンドエラーを面倒くさがらずに取り組み、どんなに苦しかったとしても、逃げたくなったとしても、それでも休んでもいいからその痛みや違和感と向き合い続け、自分で納得する答えを見つけていくことでしか、実現しないと確信している。

でも、大半の大人たちはそれをしようとしないと思う。

◾️理由:
苦しいから。面倒くさいから。それよりも(資本主義社会というレイヤーにおいての)大切なことがあるから。やる意味が分からないから。やる価値が分からないから。

つまり、一言でいうと「それをやって何になるの?どんなメリットがあるの?」と思ってるんだと思う。

わたしからすると「何を寝ぼけたこと言ってるのかな」と本気で思うのだけど笑、でもスピリチュアル性を忘れてしまってこの資本主義社会の枠組みの中で生きてる以上、それがどれだけ大切なのか「気づかない」のも、自分が経験してきたからこそ誰よりも分かってるつもりだし、

そこに気づくまでがどれだけ難しくて、大変で、辛くて、沢山泣いて、もう生きるのに疲れたと思うくらい向き合わされて、とにかく苦しさを感じ続けないと到達できないところ

なのに、到達した後はこんなにも本質的で豊かな世界を生きれることの喜びがあるということ。とても自由で、何にも縛られてなくて、他の誰でもない自分を生きていて、全ての物事に感謝と愛を持ち続けることができる。

そんなとても「素晴らしいもの」であることが分かっているから、それなのに誰もが行き着ける場所ではないから、辿り着き方が分からないから、だからこんな風に伝え続ける。

わたし自身の人生を使い、自分自身と向き合うこと、追求すること、生きることが、どれだけHAPPYな世界に連れて行ってくれるのかを「証明すること」でしか、もはや伝わらないと思うようになった。それは、わたしにとって「人生を賭けた一大実験」であるということ。

(そしてとても腹正しいことに、資本主義社会には存在しない豊かさを伝えるためには、資本主義社会における価値基準の世界で、つまり物質的なモノや、お金や、影響力や、フォローワー数など、これらを有することでしか、実際には伝えれないという何とも腹正しい矛盾が存在している。。!ほんとうに伝えたいことのために、自分がほんとうは価値と思わないことを本気で取り扱わないといけない。この矛盾すぎる事象を受け入れるのに、とても時間がかかりました。笑)

どうしたらそこに辿り着けるのか、わたしがnoteで書いているような感じで自分と向き合い続ける以外の方法として、絶対に必要なことがあって、それは「すでにそこに辿り着いている人に触れること」。

わたしはとても幸運なことに、いちばん近い存在の人が「すでにずっと前からそこに辿り着いていて」、「そこ」がどこかさえもわからなかった当時のわたしに、2年間ほど、泣きながら、傷つきながら、伝え続けてくれたのである。

これはほんとうにお金に変えられない人生最大の「ギフト」だと確信していて、今もこれからも感謝が止むことはないのだけれど、そんなところに連れて行ってもらったわたしがこれから恩返しできるとしたら、「そんな人をひとりでも多く増やしていくこと」なのだと思っているということ。

それが、わたしの今世の役割であり、使命であり、

資本主義社会の枠組みで生きていることが当たり前だと思っている大人たち、それさえも気づいてない大人たち

を、そうではない世界につれていく、そして資本主義社会と共存していく、

ことを伝えていくための「ツール」として、「インフルエンサー活動」を開始するということ。

そして、特に運用していこうと思っていない(=フォロー数を伸ばそうと考えていない)noteでの文章だからこそ、こんなふうに本質的なことを思うままに表現できるのだけど、運用していくことを目的にしたInstagramやYouTubeでは限界があると思っていて、

なぜなら、ひとりでも多くの人に見てもらうためには、資本主義社会的にフォローワー数を獲得するというステップが最初は必要で、そこは(本質的な世界と比較すると)とても浅い領域が必要だからこそ(浅いこと自体はもちろん否定していなくて、それくらい入り口的なコンテンツじゃないとそもそもみんな興味ないし見ない、とにかく具体的な分かりやすさが必要)、こんな本質的で抽象的なことを最初から伝えるのは「とてもコスパが悪いということ」。

たぶんわたしが伝えたいことをひとりでも多くの人へ届けるために賢いのは、フェーズごとにメッセージ性を変えて段階的に伝えていくことだと思っていて、その最初のコンテンツとして、わたしは「ダイエット」を選んだ。

ここについてはまた今度のnoteで描きたいと思うけれど、スピリチュアル的な「浄化と覚醒」を、現実的にいうと「ダイエット」でもある。だからわたしの中ではすでに落とし込みがされていて、時間とエネルギーを賭ける価値があるものと認識されている。そして、このnoteで書いているように、これまでのほんとうに色んな想いが集結した結果の「ダイエット」だから、わたし的には相当重たいし、やりがいがある。笑

ただ、撮影や編集など、本格的には初めてやることばかりなので、最初はほんとうにクオリティ低いものしか出せないと思うのだけど、そこから徐々に上手くなっていく過程も、その時の思考も、落ち込みも、喜びも、その瞬間にしか感じられない全てを、気が済むまで感じ切り、そして、これから表現していけたらいいなと思う。

長い文章を読んでくれてありがとうございました。すこしでも、何か大切なものを受け取ってもらえたら嬉しいです。



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