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わたしはきっとこの間、覚醒した。夜中に振り返って感じる「今この瞬間、溢れ出るもの」。| 現実とスピリチュアリティの間で 𓂃 𓈒𓏸


ほんとうは、書きかけのnoteがあったんだけど、
どうしても今この瞬間に、残しておかないといけない気がして、文字を打ち始める夜中の1時半。

またブラッシュアップも何もしない、
描きっぱなしの荒い文章だけど、
ぜひ最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

ちょっと、長いかも。




ただただ、頭の中にあるものがそのままダダ漏れするストーリーにあるように笑、文字のごとく、わたしはきっとこの間「覚醒」した。

遂に、自分の魂が意識を越えて、
雷のような電流が全身を走るような、
古い肉体から新しい何かに変わる脱皮のような、
自分の中に存在するすべてが一致するような、

そんな明確に「あの瞬間」の感覚や状態が
「覚醒」と言われるものだったのだと、改めて感じている、そんな最近。


↑ 「あの瞬間」一連の感覚と流れ


わたしは別にそれを望んでいたわけでないのだけど、ただ物心ついた時からひたすら、自分を生きるために、常に向き合い、選択し、手放し、道をつくってきたら、いつのまにか「ここ」に辿り着いた。

ここまで、まさにジェットコースターのような人生だったので、全てを一括りに伝えるのはあまりに難しいのだけど、とりあえずは今どうしようもなく溢れてくるものを残しておこうと思う。




覚醒した後、数日経ってからの変化について。

1. とにかく絶対的な安心感と、幸福感に包まれる。

これがいちばん最初に感じられる変化のように思う。

何かよく分からないけれど、とにかく絶対的に守られているような「安心感」と、揺るぎない「幸福感」に、いつどんな時も包まれるようになった。

それは、資本主義社会的な、「たくさんのお金があるから、しあわせ」「社会的にすごいと言われるステータスやポジションがあるから、しあわせ」「これまで培ってきたありとあらゆる人脈があるから、しあわせ」、

なんていう「しあわせ」とは、全く比べものにならないくらいの、もっと魂が喜ぶような、元々自分がいるべき場所のような、穏やかで、安らかで、何か特定のモノやヒトに依存しない、満たされた、そんな種類の「しあわせ」だと思った。

種類が違うというよりは、もはや次元が違うと表現する方が正しいかもしれない。(もちろん、どっちのしあわせも素晴らしくて、尊くて、資本主義社会的なしあわせも、わたしたちを色んな角度から満たしてくれる)

ああなるほど、これがこの世界に生まれてきた人間本来の状態だよなって、なんだか肩の力が降りたように、フッと感じた。

だから何かといって、その先に新しい答えがあるとかではないのだけど、ただただ、この状態や感覚が、とっても大切なことのように思えた。

わたしはスピリチュアル的な感覚は持っているけれど、その分野を専門的に勉強した訳ではないので、その世界でどんな言葉で表現しているのかは分からないけれど、ワンネス的な何かなのだろうか。

2. 自分にとって不要なものが手放され、必要なものが巡る。


これも、びっくりするくらい、ポジティブなエネルギー循環の中に放り込まれる。笑

とても嬉しくて、喜ばしいことなのだけど、ほんとうに自然と次々起こるものだから、わたしはただ感動しながら受け取ることしかできない。笑

まだ具体的に言うのは控えておこうと思うのだけど、たとえば、自分にとってずっと不要(不要というか、ある意味必要だけど優先度が高くない)だと思っていたものを、実際に不要だと「認識」することができ、これまでずっと手放すことがとてもとても難しかったのに、すんなりそれができたこととか。

全く気乗りがしなかったことに対して、でも向き合わざるを得なくて、えーい!と向き合ってみたら、自分でも感動するようなものに出会い、またもや魂が躍動するような、ビビビッとくる感覚に久しぶりに興奮したりとか。これはビジョン型のわたしにとって、最も生き生きするような出来事で、ほんとうに考えるだけでワクワクしてしまう。。

みたいに、なんだか勝手に色んなものが動いていって、気づいたら欲しいものが手に入っている(入る寸前)ような、そんな現象。


3. これから進むべき道や、やるべき使命がクリアになる。


2からの関連になるのだけど、その結果、これから進むべき道や、やるべき使命が、ほんとうにシンプルにみえたきて、現実的にとてもクリアになる。

自分もそうだし、周りからしても「違和感がない」状態になるということ。意識的にも、感情的にも、魂的にも、「そうだ」と納得して思える一貫性の中に存在できていることは、何より生きやすくてしょうがない。

だから、わたしはもう、「やるだけ」の状態になることができた。

ここまでくるの、長かったな。。

4. 自分のまんなかを生きている、絶対的な自信ができる。 

これも、3の結果なのだけど、「ああ、いまわたしはわたしの、まんなかを生きている」という、とても満ち足りた感覚を感じることができ、それに対して、「他の誰でもない自分の人生を生きている」ということに対して、絶対的な自信が生まれる。

これはほんとうに素晴らしいことで、嬉しすぎて何度も繰り返してしまうけれど笑、自分の右でもなく、左でもなく、上すぎでも下すぎでもない、「どまんなか」を生きれているということ。

感動してしまう。。

5. 何か大いなるものに突き動かされる感覚が最上級に達する。


それらが何によって起こっているかというと、自分の魂なのだけど、もっというと、それは決してコントロールできるものではなく、「何か大いなるものに突き動かされている」ような、感覚。

自分の意思で選ぶというよりは、すでに道が用意されていて、そこにある乗り物に乗ると、勝手に自動運転してくれているような感覚。

だからわたしは何をしているかというと、その乗り物に乗りながら、運転したい時は運転し、外の景色を眺めたい時は眺め、眠くなったら寝て、お腹が空いたら食べて、みたいに、とても自由気ままに過ごせるようになったような感じ。笑

もちろん、現実世界で物理的な制約や目の前にするべきことは山ほどあるのだけど、とても大きな括りで見た時に、ほんとうにそんな感じ。

生きてたら自然と方向性が定まってくることほど、スムーズな毎日はないんじゃないかと思う。

6. 食生活が自然と、とても健康的になる。

これは副次的な効果なのかもしれないけれど、あと、わたしがちょうどダイエット期間だったのもあるかもしれないけれど、食生活が自然と、とても健康的なものになった。

ここについては、「ここ」というのは、食生活とスピリチュアリティの関連性については、実はわたしたちがとっても重要視してフォーカスするべきポイントだと思っている。

わたしのソウルメイト(勝手に感じてる笑)は、「元々の霊感が、食生活(添加物)によって無くなった」と表現していたのだけど、それをきいてわたしもびっくりして、「そうだよね!!それくらい影響するよね!!」と、(自分は霊感ないにも関わらず笑)とっても激しく賛同した記憶がある。笑


逆を言えば、ヒトのスピリチュアリティ(=ここでは、決して宗教的な意味合いではなく、シンプルに「自分自身を生きる」と定義したい)(今だけでなく、これまでも、これからもずっとそうなのだけれど)を、封じ込めたいと考えた時、

添加物たっぷりの食品を沢山流通させ、それがライフスタイルとなるまで定着させることができたら、いとも簡単に実現できてしまうということ。

そして、この「ヒトのスピリチュアリティを封じ込める」という最大の論点について、きっとあまり言及してはいけないのだけど、あまりに大切なので、少しだけ描きたいと思う。




最後に、わたしたちのスピリチュアリティは、意図的に封じ込まれてきたという、そんな現実。


これは、ほんとうは、タイトルにしてMAXの長文で描きたいくらいのテーマなのだけど、普通に消される可能性しかないので、違うテーマのいちばん最後に置きたいと思う。

わたしがずっと言っている「資本主義社会への強烈な怒り」とは、言い換えたら、「わたしたちのスピリチュアリティが、意図的に封じ込まれてきたという人権侵害」のことを指している。

これについては、ほんとうにそうかは分からないし、そうじゃないかもしれないけれど、少なくともわたし個人としては、魂レベルで、強くそう思っている。

ここから描くことも、わたしの断片的な知識でしかないし、検証のしようがないので、話半分で聞いてもらえたら嬉しいなと思う。




わたしたち、特に、わたしたち「日本人」は、縄文時代から、日本人特有の「スピリチュアリティ」をもつ民族だったと思う。

世界でも珍しい「離島」に生まれ、豊かな感性が育つ四季があり、生きていく力がつく自然災害は多く、そう、自然と繋がっているからこそ、人間本来がもつ魂の感覚=スピリチュアリティは、他の諸外国の民族よりも、かなり強かったんじゃないかと思う。

それは本来、とても尊くて、素晴らしいことなのだけど、同時に、本質を大切にするような「スピリチュアリティ」と、「資本主義社会」の相性は、きっと多くの側面から見た時に「最悪的」なんだと思う。


なぜなら、「資本主義社会」の中で、多くの物質的な富や経済的な力を手に入れたい世界のトップ層にとって、そのために、大多数の人を労働的に管理していきたい彼らにとって、

それが「本質的な豊かさじゃない」と気づいてしまう「スピリチュアリティ」は、間違いなく絶対的な「驚異」だからである。

みんなが「大切なこと」に気づいてしまうと、たとえば、社会や会社のために働きすぎることよりも、もっと自分のこころを満たしてくれる何かに人生を注ぐことになるかもしれない。

それは、彼らにとって「都合が悪い」ことだから、たとえば、戦後のGHQによる教育制度の導入は、まさにわたしたち日本人の「スピリチュアリティを阻止するようなもの」そのものだと感じている。

表向きには、「アメリカの言うことを聞くため」などという謳い文句があったのか知らないけど、本質は「スピリチュアリティが完全に開花して、資本主義社会の枠組みを超えた、本質的な生き方をされてしまうのを阻止するため」だと、個人的にはとても強く思っている。

だからこそ、「国家レベルで意図的に封じ込まれてた、そんな社会」そのものに、怒りが収まらない。

わたしたちの魂は、常に喜びたいと思っていて、それが生きる意味であり、日々の幸せであり、とても自然な状態であるにも関わらず、

それをさせないような社会システムや構造、根付いた教育文化は、わたしたち魂の声を頑丈な金庫のようなものに無理やり詰め込み、決してその声が出ないように、「死なせてしまう」。

そう、極端に言えば、「わたしたちは、意図的に『殺されている』」ということ。

そう、「殺されている」のだ。

わたしたちが、わたしたち自身を生きていない状態を、死んでいる、と、もし仮に定義するのであれば、そういうことだと思う。

だから、こんなにも尊い命をほとんど奪われていることに対して、そしてそれさえ気づかず一生を終える人が大半のこの世界に対して、行き場のない憤りを感じているのである。

そしてさらに怒り心頭に達することが、日本人は日本人でも、上の人たちはそれに「気づいてないわけがない」ということ。

ここまで重要な問題を知らないわけがないし、国家レベルで機密情報になっているのか、触れてはいけないルールになっているのか、ただのアメリカの言いなりになっているのか分からないけれど、そしてわたしにはそれを検証するための何も有していないけれど、とにかく腹正しい。

こんな話しをここまでするのは、きっともう今日だけのようにも思う。(あまり表で発信する内容ではないと思っている。自分の身を守るための危機感的に。)

だから、きっとこのnoteを読んでくれている、ごく少人数の人にだけ、届いたらいいなと思う。

これはとっても、ほんとうに、とっても大切なことで、わたしは「日本が向き合うべき最大の課題」だと思うし、それが万が一解決されるようなことがあれば、ほんとうに日本だけでなく世界平和に繋がっていくと思う。(その過程で、たとえ戦争のような破壊現象が起こったとしても)


だから、ほんとうにスモールな世界なのだけど、そんな資本主義社会に対して問題提起していくような、そして、少しでもわたしたちが本来のスピリチュアリティを思い出すような、自分に戻れるような、そんな世界、そしてコンテンツを「Unique ME」として、アプローチしていきたいと思っている。

ここに描いたことはまだ一部で、でもできれば心から伝わってほしいと願うのは、「Unique ME」が取り扱いたい世界は、ほんとうにディープで、本質的で、だからこそ、「分かる人には分かる」設計や見せ方にしていくということ。

ダイレクトすぎるとエネルギー的にも良くないので、「分かる人には分かる」というのが、ポイント。それがわたしなりにベストだと感じるSOS手法であり、同じビジョンを描く人たちと引き寄せ合い、繋がれる手段になるということ。

濃いエネルギーは、絶対に同じ想いを持つ人同士を導くから、これからそんな人たちと出会っていくのだと思うし、実際に、潜在的に魂がそう求めている人と、既に出会って、交わっている。

そしてとても希望なことに、これから世界は、というより日本はどんどん「本質的な豊かさ」の方へ向かっていくと言われているから、そしてわたしもその流れやエネルギーをとても感じるから、だから、スピリチュアリティがもっともっと、当たり前に論じられる時代になっていくんじゃないかと思う。

スピリチュアルという世界を「怪しい」と一言で片付ける時代はもう終わっていて、目に見えるものだけを重視していく価値観は、もう古い。

これからは、目に見えない世界で感じられる豊かや、感覚、状態、在り方など、資本主義社会や物質的な価値に縛られない、そこを超えたもっと世界の、地球の、そしてわたしたちひとりひとりの、根源的なところに存在するものに、価値を見出していく、そう、思い出す時代になっていくのだと思う。

だからわたしたちは、何に美しさを見出すか?という、自分の美意識や価値基準、感性をさらに大切にしていく必要があるし、優先度を想像の何百倍も上げていく必要がある。

ホンモノか、そうじゃないか。

それを自分の目でみて確かめて、判断や意思決定できる人こそ、ほんとうの豊かさの中で生きていくんだと思う。

だから、そんな人をひとりでも多く増やしたいから、わたしは今日も、Unique MEという作品を創り続ける。

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