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情報を属人化させない。(遊廓資料室所蔵の稀覯本の紹介と、設置意図について)

前回の記事では、カストリ書房に併設されている遊廓資料室について紹介しました。開設した2017年から6年目を数え、所蔵点数も1,000点から3,500点に増加していることもお伝えしましたが、本記事では、具体的な所蔵資料の一部をご紹介したいと思います。

まず前提として、資料室が所蔵対象とする資料は、当然、遊廓を中心としたものですが、現在販売されている書籍は除外しています(各出版社のご商売の邪魔はしたくないので)。Amazonのマーケットプレイスなどで容易に入手できるものも基本的に除外しています。

今回は、戦後関係の資料を3点ほど紹介します。

「座談会・終戦直後の風俗対策と保安課」(『警親』(昭和47年第4号所収)

戦後まもなく進駐する連合軍将兵の性的はけ口となる性的施設を、国や自治体みずから音頭を取って用意したことはよく知られています。遊廓が追認的に許可を与えたものとするならば、戦後の性的施設は公設的な性格を帯びています。

8月28日に先遣隊が到着した厚木基地(現神奈川県綾瀬市、同大和市)と帝都・東京を結ぶ経路上は、警備する神奈川県警にとって、とりわけ高い重要性を占めていました。『神奈川県警警察史 下巻』(昭和49年、神奈川県警察本部)には、当時の関係者による証言が記録されています。典拠になったのが、当『警親』で催された関係者の座談会です。『警親』は神奈川県警のOB会が発行していた雑誌で、当然のことながら書店流通はなく、国会図書館、公共図書館にも所蔵がありません。

成川敏『斯て日本は生(夢の吉原風土の端書)』(昭和28年)

著者・成川敏は、吉原貸座敷組合および全国の貸座敷組合の幹部を務めていた人物で、戦後も重鎮であった人物です。『警親』でも触れた、進駐軍向け性的施設を用意するにあたって、料飲業界を中心に公娼私娼系の関係者も集められ、成川も公娼系の代表者の一人として出席しました。どのように進駐軍将兵の対応に当たろうかと一堂が頭を抱える中、「天麩羅とか、すき焼きとかいう事は、二の次だよ。一番先は女だ。これ一本槍で行け」と発言したことで知られます。

本書は成川の私製本で、どのような趣旨で作られ、どの範囲に頒布されたのか不明です。主に昭和20年3月10日の東京大空襲から戦後までのことが綴られています。私は、新潟市の某楼主だった人物(故人)から入手しました(所蔵は複製版)。その人物に入手経路を伺いましたが、なにぶん昔のことなので記憶にないとのことですが、関係者に頒布されたものとみられます。

昭和21年1月に廃止された公娼制度は、同年12月2日に発せられた通牒「最近の風俗取締対策について」によって再編成され、いわゆる赤線と呼ばれる準公娼制度として延命されました。この1月から12月までの11ヶ月間が、公娼→赤線という再編成の重要なターニングポイントであり、この期間の動向を詳述している書籍(研究)はありません。手前味噌ですが、私は本書を用いて、GHQ、警察、内務省などの折衝の結果至った再編成の経緯を明らかにしました。『赤線 S33/1958』付属のブックレットに記しています。

『売春防止法と共に(婦人相談員の証言)』(昭和51年、全国婦人相談員連絡協議会)、『売春防止法と共に(第二集)』(昭和60年、同)

昭和33年、『売春防止法』(以下、売防法)試行に伴い、〝転落女性〟あるいは〝要保護女子〟と呼ばれた女性の保護更生にあたった婦人相談員たちによる手記で、同法施行から20年目、30年目の節目にまとめた冊子、正続編です。全国各地で活動した相談員の思い出などが綴られており、保護更生の前線ではどのような活動や関係者の思惑があったのか、窺い知ることができます。

一般に、同法は売春問題を解消し得ない〝ザル法〟との不名誉な評価がある一方で、売春女性を救った正法との評価もあります。本書(正編)のはしがきには以下と綴られています。

敗戦という大きな犠牲によって得た日本の民主化、婦人解放の一環として、靴下の上から足を掻くようなものであっても、一応売春を否定し、業とすることを禁じ、人間の尊厳をうたいあげたこの法律は、まさに永年その犠牲者であった女性と、その解放をさけびつづけた先輩の方々の苦しみの積み重ねのたまものでありましょう。

『売春防止法と共に(婦人相談員の証言)』

売防法制定を推し進めた側からの同法の性格と評価を分かりやすく記しています。一方で、成立や施行の過程に批判がないわけではありません。

売防法制定に奔走した人々は、売春という行為への侮蔑のみにつき動かされたために、現実認識をあやまり、やみくもに売春を社会の表面から、まるで消しゴムで消すように、消してしまうことに汲々としてしまったのではないだろうか。私はとりわけ「四千万の主婦の生活を守るために五十万と想定される売春婦の処罰はやむをえない」と言い放った婦人活動家に不信を抱く。これは明らかに、RAAを設立した国家と全く同じ論理である。

深江誠子「性道徳からの解放」(『女・エロス 9』〈1977年、社会評論社〉)

この法律制定時の議論の中に、当時のエリート女性たちの売春婦差別意識がありありと見え、自らの生活をかけて闘った彼女たち(筆者注:赤線の娼婦)に私は深い共感を覚える

角田由紀子『性の法律学』(1991年、有斐閣)

本書は関係者に頒布する私製本だったようで、国会図書館、公共図書館に所蔵はありません。東京ウィメンズプラザ(渋谷区神宮前5-53-67)には禁帯出として所蔵があるだけです。


吉原弁財天に残る「新吉原女史保健組合」の祠。同組合は戦後の吉原に務める女給(娼婦)が結成した労働組合。彼女たちは、実態を無視した売防法や立法経緯に強く反対を唱えた。祠の裏には、組合幹部の名が、源氏名ではなく、実名で彫られている。(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

資料室の目的の一つは「標準化」

遊廓に限らず、特定のジャンルはオーソリティ、権威者、第一人者など呼び方は様々ですが、ジャンルを牽引していく人物がいます。こうした人物がジャンルの地平を押し広げて、知識が蓄積されていく一方で、同時にその存在感から資料批判の精神は後退し、万一誤っていた場合には、その情報もまた蓄積されていきます。

具体例を挙げます。加藤政洋『敗戦と赤線』(2009年、光文社)では、戦後
の吉原や玉の井などの公私娼系の娼街もRAAとされた、と記されています。しかしこれは誤りです。これを参照したと見られる書籍、例えば、三浦展『花街の引力』(2021年、清談社)、三橋順子『新宿 「性なる街」の歴史地図』(2018年、朝日新聞出版)では、同様の間違いが再生産されています。

まずお断りですが、上に挙げた著作や著者を指弾する意図はありません。情報が標準化されず、属人化しているからこそ起きる問題を分かりやすく示している例として挙げました(ただし、発行当時に入手可能だった資料を読み込めば、この誤りは犯し得ず、また研究書と言わずとも文庫本で容易に入手可能なドウス昌代『敗者の贈り物』では、公私娼系の娼街とRAA系の娼家を峻別している事実は指摘します)。加えて、間違いそのものも闇雲にあげつらう意図もありません。知識の蓄積は幾たびもの間違いを克服して成されるものであり、間違いを恐れることが知識の拡大を萎縮させもするからです。何よりも、批判される立場に立つ勇気を否定できる人はいません。(これを安直に否定する人は、批判される立場に立つことから逃げている自分に無自覚なだけです)

もし情報が属人化されず、誰しもが使える有用なアーカイブがあれば、これまでの経歴に左右されず発見を見いだしたり、他の資料を用いて資料批判することが可能になります。先に私が昭和21年における売春制度の再編成を明らかにしたと述べましたが、これは私が多くの資料を使える環境にあったからです。

より多くの人に遊廓について関心を持って欲しい、というのが私の目標の一つですが、興味を持ったらまずカストリ書房へ、興味の次のステップとして資料室へ、との願いから書店と資料室を設計しています。

下は、遊廓資料室の月額会員資格の申し込みです。是非利用してください。

※ヘッダー写真・吉原弁財天に残る水子供養碑(昭和29年築造、撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

※以下は有料ラインですが、以上がすべてなので、その下には何も書いていません。記事を有料化するためのものです。

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