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最近の記事

noteから引越しします

こちらで文章を載せ始めてから数年が経ちました。それまでは詩書きとして詩関連のサイトなり媒体なりに文章を書いていたのですがずっと感じていた「内部にしか向かわないことによる閉塞感」に対する疑問から、広く多くの人に読んでもらえるようなプラットフォームで文章を発表することが目的でした。 それから数年経って、実感として(これまでと比べて)より多くの人からの反応を頂くことができ、さらに言えば、これまでどう足掻いても自分の文章を届けることができなかった方々にも反応をいただけたことが僕にと

    • 夏の火花【小説】

      「ゴム買ってきてよ、コンビニで」 暗い部屋に男の声がそっけなく響いた。女は「え~~~」と気だるげにベッドの上でごろんと綺麗な一回転を決めた。皺にならないようにスカートを脱いだばかりだったから、もう一度履き直すのが面倒くさかった。部屋の薄汚れた白い壁に女がスカート履いているシルエットが上映され、男は眠たい目を擦った。 仮に一年前だったら── 玄関のドアが閉まった時、男はIFの話を考え始めた。もし一年前だったらコンドームを買いに出かけたのは自分だった気がした。それよりも、コン

      • 投げ銭でちょっといい珈琲を飲んだ話

        今年に入って文章をコンスタントに書くことが出来ず、なかなかにグズグズした心持ちになっていたんだけど、そんななかでも僕の文章にお金を払ってくれる人がいて、あまりこういうことを大声で言うのはいやらしい気もするがとても救われている。noteの機能でお礼のメッセージを送ることができるのだけど何も返さずにいるのは済みません。そういうお礼をもっとカジュアルに言うことができればいいんだが結局書き続けることでしか応えることはできないと思っていて、口下手なのはどうかお許しください。今日も今日と

        • ルックバックをサイコホラーだと思ってた話

          今更、藤本タツキ先生の『ルックバック』の感想を書こうと思ったのは、もしかしたら自分がこの漫画に感じている震えるような恐怖って実は言葉にする価値があるのかもしれない、と感じたから。え、ルックバックって創作家特性を持った人に突き刺さってくるサイコホラー漫画だよね? 違うの? そのように感じたきっかけは「ルックバック修正問題」でこの漫画が2回目の脚光を浴びたときだ。色々思うことがあり事実関係を調べているうちに度々こんな意見を見かけた──「この殺人犯は藤野のありえたもう一つの姿であ

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          これからの文芸批評のために

          現代はとても忙しない時代で、近所に散歩に行ったくらいでは穏やかな風にただ葉がこすれ合う音だけが聞こえてくるなんて滅多になくなってしまった。ささやかな小川のほとりであろうと道路である以上そこは車の往来があり、そうでなければかえって健康のために歩く人たちの喧騒に巻き込まれている。誰が悪いわけでもないし、僕もその喧騒のなかの一人である。 最近生きていて、強く感じることがある。これまで生きてきた中で、たくさんの素晴らしい書物に出会ったが、実のところそれら全てが僕を通り過ぎていった喧

          これからの文芸批評のために

          文章装飾の進歩 犯罪/シーラッハ

          もう10年以上も前の話だが、ドイツ文学の教授に前の期のレポートに関して「もう少しザッハリヒに書いたらどうか」と言われたことがある。ザッハリヒというのは、ドイツ語で事とか物とかを意味する名詞Sacheに形容詞化させる働きを持つlichをくっつけたものだ。直訳すれば「事的に」となるだろうが、「物事に即した」と訳すのが正しい。 また、僕はしがない詩書きでもあるのだが、昔、とある詩の投稿掲示板に女性が失恋をする詩を女性の振りをして書いたことがある。そこである方に言われた言葉を未だに

          文章装飾の進歩 犯罪/シーラッハ

          ねこの向こう側【ポエム】

          お昼に食べきれなかったフライドポテトを口へ運んで ページを捲ろうとした右手がぎりぎり停止する ウェットティッシュを何層も重ねたような季節が 空け放たれた窓辺でカーテンをささやかに揺らす 背もたれからだらりと垂れ下がる左手の「夏への扉」は 猫のピートが登場しなくなると、ぐん と読むスピードが落ちてしまって、最後まで読めた試しがない フライドポテトが消滅していくだけの夜 音もなくカーテンが捲りあがる パトロールにサイレンはいらないらしい 雨が降っているのに思ったより濡れていな

          ねこの向こう側【ポエム】

          終末のシルエット

          この町で ジャパニーズヤクザとチャイニーズマフィアの抗争が始まり もう何日経ったのだろうか この橋が塗り替えられるたび 抗争を肌で感じる ──暖色ならばどちらかが優勢だし寒色の時はその逆だった 川沿いのハルジオンが全てヒメジョオンに植えかえられ 次の日には全てがハルジオンになった 鳥たちは暑い陽射しのなかで唄うのをやめ 朝の爽やかな気配を察すると我先に囀りはじめた 随分と昔の新聞に自分の名前を見つけた スポーツ欄の隅っこに名前は記載されており 県内中学生の走り幅跳びの記録を

          終末のシルエット

          巨人が踊っている

          僕たちは幼い子供のように紐靴のかかとを踏みながら、聞き取ることのできない中国語をかき分けていく。煤に覆われたビルディングの2階で、時代遅れのタランティーノの映画が流れているから。朝日が昇るまで終わらないレイトショーの、不愛想な光の中でどこまでも漂流を続けられるような気がしていた。 吸殻を夜に向かって高く弾く。その火が紺青を引っ掻いている間だけ、僕たちはインディアンのように高らかに奇声をあげる。それは夏の花火のように、つまり命の儚さのように、とどめられて、それ故に美しいものだ

          巨人が踊っている

          「夏への扉」の扉を探して

          出会いに一番大事なのは第一印象。とはよく言うけれど、導入とかはじまり方が良い小説を思い出せと言われてもなかなか思い出せない。 印象に残るどんでん返しや、哀愁漂う主人公の後ろ姿、後世に語り継がれる名台詞なんかは大体物語の後半に出てくるし、仮にはじまりにとてつもない感銘を受けていたとしてもその後の展開がより素晴らしかったら、あえてはじまりが素晴らしいことを強調する機会も必要性もなくなってしまう。 けれど文章を書く人にこういう人は多いと思うのだが(実際に僕もそうだ)文章は出だし

          「夏への扉」の扉を探して

          みミから出たサビしい

          自販機から出てきたアサヒスーパードライと ヒールの折れた靴でバランスを取ろうにも 身体はどうにもうまくいかないのでした 年甲斐もなく腰掛けたブランコの むき出しの鉄に触れる 足元に小さな水たまりは気付いたときにはもう遅くて プルタブを引いて少し零れた泡がそのなかの一滴になる ──彼氏の彼女に会ったら、なんと、アタシじゃなかったんだな モエカが笑ってくれるかを想像する──だめだ かわりに私だけでも笑ってやろうと思うけど もう数時間も前から私の口と目には先客がいて 順番はなか

          みミから出たサビしい

          トマトにもカロリーがあると知る春の日

          今日も今日とて体重計に乗る。若木がほっそりとしなやかに枝を四方に伸ばすのとは反対に、年輪の如く蓄積されていく、脂肪が、不摂生が。 エルビス・プレスリーがホットドッグを食べ過ぎて死んだという噂があるけどあれは不正確だとこの歳になって気付く。ホットドッグを食べ過ぎて死んだんじゃない、ホットドッグを食べ過ぎる速度にカラダがついていけなくなったのだ。生きることに速度を出し過ぎたものたちの末路だ。 一方、生きるのに速度を出し過ぎた人たちとは違って、男はベルトの上に乗る腹の肉に慄く。

          トマトにもカロリーがあると知る春の日

          2020年のゲームオブザイヤー(今更)

          いつの間にか2021年も折り返し地点が見えてきそうな今日この頃ですが、前年2020年に僕がプレイしたゲームの中で一番面白かったものを紹介します。 ジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカ…… じゃん!!! ということで僕的2020年のGOTY(ゲームオブザイヤー)はCelesteというインディーズゲームになりました。とはいえ発売されたのは2018年なので、飽くまで僕が去年やったゲームの中でのベストゲームです。家庭用ゲーム機でしかゲームしないのですが、参考までに去

          2020年のゲームオブザイヤー(今更)

          ツイスト・アンド・シャウト

          ジョンレノンが喉を潰しながらツイスト・アンド・シャウトを歌ったその日の残響はまだ鳴りやまない。 この間彼女に「ニルヴァーナって何がいいのかずっとわからなかった。なんであんな声を枯らして歌うのかしら」と言われて衝撃を受けた。これは大袈裟な言い方だけど、世の中には声を枯らして歌う音楽と、声を枯らさないで歌う音楽の2種類しかないと勘違いしてきた。 「ああ、つまり。声を枯らして歌うってのは、ツイスト・アンド・シャウトするってことなんじゃないかな」 と答えたものの自分でもそれが答え

          ツイスト・アンド・シャウト

          ドラクロワ"民衆を導く自由の女神"は何故おっぱい丸出しなのか

          今日は動画紹介で終わってしまいそう。山田五郎さんという方のyoutubeが面白くて最近よく見ているのだけど、僕がずっと疑問に思っていたドラクロワの"民衆を導く自由の女神"がなぜおっぱい丸出しなのか? にずばり答えていたのでご紹介したい。 詳しくは動画を見てもらった方が細部についても知れるし良いと思うんだけど、かいつまんで要点を書くとこうなる。 ・むしろおっぱい丸出しだからこそ、ここにいる。 ヨーロッパの絵画の歴史は女性の裸を題材にすることが多いのだけれども、1830年当

          ドラクロワ"民衆を導く自由の女神"は何故おっぱい丸出しなのか

          象のいる生活

          日本に存在する市町村のうち、象を保有している地方自治体がどれくらいあるのかは知らないけれど、どれだけ多く見積もっても1割は超えないだろうな、という想像がつく。 僕は数奇なことに、玄関まで行き、靴を履き、鍵を忘れたことに気付いて靴を脱ぎ、そしてまた靴を履き、玄関を開けて20分ほど歩くと象がいる街に住んでいる。仮に財布を忘れたとしても入場料はかからないので何の気兼ねもなく象と対面することができる。 なんで突然象のことを書き始めたかと言うと、村上春樹の『象の消滅』を読んだからで

          象のいる生活