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芸術家になりたいなー(猫になりたいと同じ口調で)

あれこれアート鑑賞などをしていて、しみじみ思った。
芸術家になりたいなー。

これは「猫になりたいなー」と同じような話で、何の努力も下調べもなく憧れる感じに似ている。

猫になりたいと言っている女は、大抵なんの努力もしないでかわいいかわいいって言われたいタイプの人が多い気がするって話を聞いた。
魔女になりたい、魔法使いになりたいと言っている女は、こっちも努力をしないでなんでもスーパー素敵に完璧にやり遂げたいと願っているが、チヤホヤされたいわけではなく、どっちかというと「ドヤ!」と相手を見下したい感じがする。
面白いことに、賞賛の形も、人によって求めるものが違うのだ。
「キレイだね、かわいいね」とチヤホヤされ続けたい(子供の時から親に大事に育てられてきた箱入り娘に多い)か、「愚民ども!ひれ伏せ!」という支配欲つよつよの従属者を求めているのか(ずっと虐げられてきた割にプライドを高く保っているタイプ)、賞賛の形も求めるものが違う。

猫より芸術家になりたいなーという人は少ない。
驚いたことに、少ない。
しかし、クリエイターにはなりたいという人がとっても多い。
note社もクリエイターを増産するのが弊社の役目!みたいなことをよく掲げているけど、クリエイターというのも、また日本語においては微妙にフワッとした言葉で、私はいまいち扱いがどうもまずいなと感じることがよくある。
落語で、どうも予定と違うような時に「こいつはどうにもマズいね…どうもうまくねぇよ」とブツブツ言うような感じだ。

なぜクリエイターはマズイのか。
ひとつは、範囲が広すぎるということ。
あと、いつも思うんだけど、「職人との違い」についてはしっかり考えているのだろうか、という事。
手作りアクセサリー作家は、小学生の工作とどう違うのか?あるいは同じものなのか?同じ工程をタイの工場で一気に作ったら、それは確かに「手作り」ではないがずっと安く品質も良く、デザインだっていいものが多いのだから、じゃあ手作りアクセサリー作家の重心は「手作り」な部分なのか「作家」の部分なのか、そこらへんどうお考えですか?と全員に細かくインタビューして歩きたい気持ちをいつもずっと抱えている。

そこへ行くと、芸術家は、一気にステージが変わる。

芸術家になるには、権威が必要だ!
ここは誰もがほんのりと分かっていて、わかっているのに見て見ぬふりをしようとがんばって変なことをしている人もたくさんいるし(美術館で一人で謎の解説をしゃべり倒しているおじいさんとかね!誰も聞いてないよ!!しっかりしてね!!)、わかってて最初から賞レースに全力で行く人もいるし権威あるギャラリーなどにゴリゴリ売り込む人もいるし、SNSのフォロワー数という新しい権威を集めに走ったりもしている。
(フォロワーあつめのために、おじさんが若い女の子のふりをすることも珍しくない)

芸術家は、不思議なことに、自分勝手でなくてはいけないのに、それを他者から、しかもできるだけ権力を持っている他者から褒めてもらわないといけないのだ。

究極の人間関係を構築しないといけない。
権威に愛されなくてはいけないし、愛されつつもそれらを否定することをしなくてはいけない。(権威の否定は、現代のアートの大事なテーマのひとつでもあるからだ)
否定しつつも関係を保ち、しかもできればそれを誰かは高値で売り買いしたいという。

ふつうのひとは、売り買いというやり取りだけでも相当擦り切れるものがある。
「えっ、そんなことある?売れたら嬉しいじゃん?」という人のほうが多いかもしれないが、その先自分が作ったものがどのような扱いを受けるか、まったく考えていない人はそうだろう。
自分から切り離された自分が、踏みつけられ蔑まれ、または愛という名のもとにえげつない事をされるのだ。
繊細な人には向かない仕事だ。

芸術家は、それのもっと濃度の濃い事をすることになる。

(だから、すでに死んだ人間の作品のほうがいいんだよね、なんて思う事もちょっとある)

他人の評価がないと絶対に行けないのに、それは確実に攻撃や罵倒なんかが80%以上を占める。
それに耐えられなくて自殺する人がたくさんいると言われている。

だから、猫になりたいなーみたいな気軽さで「芸術家になりたいなー」なんて言われないんだろうなとも思う。

芸術家になりたいんじゃなくて、よくわかんないけどみんながワーッと盛り上がって褒めてくれる感じを体験したい、という人も多い。
芸術家になりたいんじゃなくて、大金持ちになりたいという人もそれはそれはたくさんいる。
でも、そういう間違った認識を取り除いた後に残る「芸術家になりたいなー」というのは、一体なんなのだろうか。


私はあれこれ美術展や美術館、アートフェアを見て、芸術家がうらやましいなと思うようになった。
言いたいことだけ、表現したいことだけを表現していて、いいなって。
パッケージとか、配送とか、送料とか、内容についてあれこれ説明を求められたり、使い方がわからないとか言われたり、そういう事しなくてもよくて、ただ「これがすべて」と出せるのがすごくいいな、うらやましいなと思った。

それが生まれるまでの過程とか、それがこの権威ある場所(多くは美術館で)に並ぶこと、それにきれいなキャプションを付けてもらえること、たとえギャラリーに並んで売れたとしても、それが1つ20万円でも80万円でも、自分の収入に換算したら年収250万円程度にしかならないとか、いつもべたべたと何か汚れているとか、そういう事があるはずなのに、全部無視してすっ飛ばして、「猫はいいなあ、猫になりたい」というノリで「芸術家になりたいなー」なんて言ってしまう。

しかも悪いことに、絵も描かないし、そういう展示される作品を作るというアプローチ(=行動)はなにもしていないのに。

美術展で作品を見て、ひろーーーい部屋にどかーーんと置いてある絵のようなものや壁のようなものや、何かよくわからない何かを見て、いいなあと思っている。


ビジネスももっと頑張らないといけないんだけど、なんだかなと思う事が多くてやる気が出てこない。
猫になりたいというかんじで「芸術家になりたいなー」とか言ってる。

どうして私の感じていることがまっすぐ伝わらないのか、私はいつも不思議に思っている。

そのくせすぐに共感したとか感動したとか、なに言ってるのかな?大丈夫?自分が言ってることわかる?お名前言える?今日は何日かわかる?
という気持ちになる。
でもそう聞き返すとめんどくさくなるので、「そうですね」か「そうですよねー」あたりをブツブツ言っている。
あと、本当にヤバい人が「感動しました!!」と言ってくる場合は、絶対に反応しないように心がけている。彼らは返事をしてもらうこと、反応があることが嬉しくて仕方ないのだ。接客でちょっと褒めてもらっただけで舞い上がってしまうあれとおなじで。
すごいダサい人を褒めるとか私はいやなので絶対に褒めないし、「あー、そうですねー」くらいしか言わないように心がけている。
ダサい人を褒めるなんて!犬をおだてて木登りさせるくらいの詐欺師だよ。

だから、私は芸術家になりたい。
あれこれ説明するのではなくて、それをそのまま地球上に出現させたい。
それが簡単なことじゃないってわかってるし、やったところでどうにもならないというのもわかってるし、美術館に収蔵される日は、ないのかもしれないけれど。

でも猫になりたいくらいのノリで、私も芸術家になりたいよ。


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