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挫折せずに成功するのは難しいのか

つくづく、人生の失敗はなる早で、前半にやったほうがいいと思う。
とは思うのだけど、失敗しないと成長できないというのも、まあちょっとひどい話だよなとも思う。

本質は、失敗することではなく成功することなんだ。

それも人から与えられた成功ではなく、自分で考えた事・自分でやったことが考えた通りの成果を出したり、それ以上の結果をもたらしたりする体験をする事なんだと思う。

一度、他人から与えられたもので失敗するというのが重要なことで、それがないと本当の自分の感覚とか実力とかは見えない。
だからなる早で挫折して、そういう無駄なものを落とす事が必要なんじゃないかという事だ。

そこそこうまくいくだろう、多くの人は。
日本は安全な国だし、騙したり騙されたりして命を取られることは少ないし、普通に職に就いて普通にお金を得る事ができるチャンスもそれなりにある。

それが結果として、自分のやりたいことなんかやらなくても生きていけるし、波風を立てる事になるならむしろやらない方が得じゃないかという事まで考え付く。

そうやって、自分の力で成功する体験を産まれてこの方一度もやったことがないという人はすごく多いんじゃないかと思う。
そのまま40代になり、50代になり、挫折というものを知らないが成功や成長というものはない、ものすごくいい事もないけど悪い事もないがストレスと焦燥感に削られて自分の人生が残念でならない、そんな人たちが。

「この私のつまらない人生をもっと面白くする簡単な方法を教えてください」

たくさんの人たちは、そういっている。

今まで真面目に悪い事しないで生きていたのに、いい事がひとつもなかったんですがどうしてですか、私がわるかったんですか…
でも悪い事はしてきたつもりはないし、それなりにやってきたと思うんです…

単純に言っていいなら、他人からあまりに評価されずにここまで生きてしまった事。評価されない、否定される経験が多く、そこから逃げる事を続けるうちに感性もセンスも擦り切れてしまった事。
結果として、なにをしたいかもわからない状態になっている事。

つまり、他人からの評価を受けなくてはいけないと思っていることがすべて最初の入り口にあるのだと思う。

それは結局他人の為に何かをする事になるので、自分の力で成功する事とは少しずれている。
だから、そこで一度は大失敗をして、他人の評価の為にやってもうまくいかないんだと思い知る事が本当に大事になると思う。

自分の力で成功すること。自分の力で成長すること。
他人の力で得た成功なんて別に成功でもなんでもない。ご飯にふりかけをかけたらおいしい、みたいな話だ。
我々がやるべきは、米からご飯を炊き上げる事なのに、誰かが炊いたご飯と誰かが作って用意してくれたふりかけで料理を作ったような気になっている。

「そうじゃない」と気づいた時、それがやっと自分の人生のスタートになる。

それに向き合うには、おそらく人生どん底まで落ちる挫折を体験するというのがとっても手っ取り早いのだけど、そのために挫折をするというのは本末転倒だし、そもそも成功の為に挫折を体験してみたいなんて甘っちょろい考えの方が危なっかしくて大変危険。
わざと命の危険にさらされる事をする必要もないし。

ただ。

他人の力で得たものなんてクソみたいなもんだ。
他人からの評価は重要だけど、奴隷として得た他人からの評価と、人間として受けた他人からの評価は全く別物だ。
奴隷をやめて、人間として生きるのだよ。
親や、家族や、学校や教育や社会や、会社や上司や、世の中の常識や好感度や、モテや父として母として正しい姿、とかいうような様々なものの精神的な奴隷をやめるのだ。
なにかの、誰かからの精神的な奴隷をやめて(なにせ尽くしている御主人は奴隷が存在している事さえわかっていないのだから!)、自分というひとりの人間の人生を生きるのだ。

それが、結局、成功した人生というものであり、その結果得られるものなど、単なるおまけに過ぎない。

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つよく生きていきたい。