10年後のビジョンはほんとはどうでもいい

「このビジネスで10年後どうなっているつもり?」といわれたけど、私の答えは「そんなのわからんわ」でしかなかった。

いやー、計画を立てるとか、ビジョンとか、大事です。
大事ですよ?
でも、それがすべてではない。

そんな事、けっこうどうでもいい事なんじゃないかなあっていうのが本音です。

だって、東日本大震災とかあの津波とか、原子力発電所のメルトダウンとか、予定に入れてた??

ここで飛ばせっていう段階で、初めて東京のデパ地下のホワイトデー催事に出展した時に、大震災ですよ。
死ぬ気でビジネス立ち上げてしがみついてバズらせてテレビにも出て、やっと来た大チャンスです。
でもあっという間に全部御破算。
初日はフロアで二番目の売上出していたんですよ。

ねえ、誰があの震災を予定してビジネスの計画立ててました?

そもそも事業計画書っていうのも、正直うんざりするんですよ。
だってそうなるかどうかわかんないじゃん!
なので、もう今更作れって言われたら、そういうフォーマットのものはお願いしているマネジメント会社に相談する事にします。

昨年あたり「今年は年商1000万円。どうやるかはわかんないけど」って言ってて、結局1000万円越えたみたいです。
数字的には赤字ですが。

どうやってやるか、なんてそこにはないんです。
でも数字を並べてこいっていうわけです、金を貸すにはそのくらいのあてが欲しいという事で。

でも、そんなの、ほんとにあてになるのかなあ?

いえ、それに意味がない、事業計画書に価値がないというつもりはありません。必要なものだと思いますし、そういうものを作れるのも力のひとつなので、重要なことだと思います。
だけど、それがすべてだと勘違いしちゃあ困ります。
事業計画書で満点をもらうんじゃなく、実際の事業で結果を出せって話なんだもん。

本当に、金回りは書類でできてる。
金だって書類と言い換えられる。あの紙。有価証券。
紙を作ることでお金を得る人たちがいっぱいいる。
そうしなければならないって、作られてる。誰か頭のいい人が、うまい事やったんだね。

だけど、それは物事の一部でしかない。
10年後のビジョンなんて、紙に書いたところで、絵に描いた餅そのもの。
人にその素敵なビジョンを言ったところで、一体何になるっていうの?
相手の助けが必要だからお願いするとか、契約するとかならともかく、そうじゃないんですよ。10年先のビジョンなんか、不要ですよ。

最初から私は無理な理想を掲げていきます。
訳も分からず「年商1000万円」といい、実際にやってみたら「ヤバい足りない、5000万はいる!」と理解したので、そっちに切り替え。
それが10年後どうなるか?
知らねえよそんなこと。目の前の5000万円を、1億円を、10億円を、私は転がしていくのです。

まあ、10年後のビジョンがあるとしたら、「富豪」ですね。
でもそんなの、他人からしたら、どうでもいいことだとおもいませんか?

私はほんとどうでもいいことをしているんです。
別に10年後、ビジネスでこんなことをしたいとか、ないです。ほんとどうでもいいです。人に夢を与えたいとか、励ましたいとか、ないです。そんな金にならないフォロワーなんかよりお金を払ってくれるお客さんを優先します。当たり前です。
あと、人を感動させたいとか、おこがましいにもほどがあるよね。
そんなふうに人を支配しようとする気持ちがある限り、作られた感動を提供するしかないんじゃないかと思います。

人を支配したいという気持ちがあるから、人を感動させたいって思うんです。
自分が思ったように人を動かすというのは、それが立派なこととされることであっても残虐なことであっても、支配したいという気持ちは同じです。
それで他人が自分の思った通りに動くと、本当に自己肯定感というか、ダダ上がりになりますからそうなってほしいって気持ちは誰の心の中にもあります。

だけどねえ。

結局、他人は本当に他人に興味を持たない。
あとは、正義面して攻撃性を発揮したい。
仲良くすることで自分を大きく見せたい。
楽して儲けて人から重要人物だと思われたい。
そういう悪いものでできてるんです。

それに、時代はどんどん変わっていくし、10年後なんてどうなっているかわからないし、ホントどうでもいいんです。今さえ良ければ。

そして、この今さえ良ければというのが、本当に難しい事なんですよ。
この今というのは「未来の心配もあんまりない状態の今」って事でもあるので、ある程度未来の算段が付いている状態でなければならないんです。
つまり、ちゃんと先の事は考えている状態にあるという事。
そういう今さえ良ければそれでいい、なわけです。

未来の混乱を取り除くために、10年後のビジョンを考える事はすごく意味があると思います。
でもそれは単なる妄想と想像でしかない。
そういう事がわかっていないと、全然ダメです。ビジネスは。

願いは呪いの一種です。
願うせいで、本来の生き方に背いた時間を長く費やしてしまう事があるんです。
それをわかっておくっていうのは、酷な話かもしれませんけど、夢見がちの人たちにはそのくらい言っておいた方がいい気がします。
誰も聞かないだろうけど。

計画も呪いの一種なんです。
その通りにいかなかったときの混乱や苦しみを生み出すのは計画したが故です。
よい計画っていうのは、3つの結末を想定されています。
どうやってもこうなるだろっていう結末、最高にミラクルスーパー棚から牡丹餅の玉突き事故みたいなあり得ない夢の結末、その間の頑張れば多分ここまでいけるだろうっていう結末。
この3つの結末を考えておかないと、計画はダメになる。

計画は、立てる事が目的じゃなくて、使っていくことが目的なんですが、多くの場合は立てる事で楽しみの80%くらいになっている。
だから平気で10年後のビジョンとか聞いちゃうんですよ。
どーでもいい事じゃないですか?
大体人のサイクルが10年って、どうしてでしょうね?普通、12年なんですよ。干支だってそうじゃないですか、歴史的には12年で考えるべきです。
サイクルは、半年・一年・3年・6年・12年で考えるものです。あとは18年と29年というのもあるんですが、これは長いスパンなので計画として使うにはちょっと使いにくいので除外します。

計画の正しい立て方は、人によって違います。
そして、どれが正しいというものはないんです。
計画を立てる事が正しいとも限らない。

だから、10年後の事なんて、どうでもいい事です。

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