見出し画像

お金とその他を切り離して考える

お金持ちはこういう人、みたいなネット記事を見ていて、昔は「そんなものか」と思っていたけど今ははっきりと違うと言い切れるようになった。

お金持ちは意外とケチとか、お金持ちは〇〇みたいなやつは、ほぼ空想の「お金持ち」というなにかでしかない。

お金持ちだってケチもいれば経済観念のない人もいるし、賢い人も馬鹿な人も、才能のある人もそうでない人もいる。
人格者もいれば、卑怯者もいる。

金の有無ではない。

それは貧乏人でも同じことで、才能のある貧乏人もない貧乏人もいるし、心根の優しい貧乏人も、他人に厳しく卑怯な貧乏人もいる。
ただ、全体的にお金に追われているという点が、どうしても貧乏人を追い立てているのは事実で。

それがまたいい方向に振り切れることもあるけど、悪い方に行くケースのほうがどうしても多い。
だからと言って、それが悪い人生というわけでもない。

そういう、「良いわけではないが悪いわけでもない」というふわふわとした認識だと、何がいいのか悪いのかはっきりしなくて不安になるかもしれないが、これはその逆で、ふわふわした認識にも関わらず腰が据わった判断ができるようになるというのが、つまりは強い意志というものだと思う。

簡単に何かに流されず、虚言流布にも惑わされないで、実を取る。

これは本当にむずかしいけど、きちんとやらないといけないし、やらないとあっという間に滅亡するのがお金のない人だ。
じゃないとちょっと見た広告やインフルエンサーの一言でいらないものを欲しがらされたり結婚しようとしたり好きでもない勉強を始めたりしてしまう。そういうのは大体財布から金を抜いていくものです。

意志を持つのは、誰かの支配から逃れることでもあり、それにはお金というツールは大きく関わってくる。
でも、お金が万能ではない。
もちろん意志も万能ではない。
ここらへんも、よいとされていることがすべてよいとは言い切れない、という曖昧なものになる。
それでも確信と確固たる意志を持つ。

それは本当にお金に振り回され人生の初期をめちゃくちゃに破壊されたことと、そこから自力で這い上がってバズからテレビに出て銀座のデパート催事まで持っていったのに催事二日目に東日本大震災、そこからまた別のアイディアで起業してコンスタントに年商1000万はこえるようになって、という、まあまあな展開を乗り越えてきたことも大きな要因だと思うけど、それよりもたぶんもともとの私の持つ資質が発揮されるようになったという方が大きいと思う。

なにがあったか、ではない。
常に自分の持つ資質を発揮し続けられるか、だ。

そうすると、お金とか、環境とかを理由にごねることもないし、そこにどれほど縛られて流されているかもわかるようになるし、また越えられない壁だってよくわかるというものだ。

壁はねぇ、よく観察していけそうなところに火薬を仕込んで爆破すればいいんですよ。壊すことがいい結果につながるならね。
そうでなければ、無駄なことはしないで流すか、それがあるから役に立ついい方法をよく考えることですね。

どっちにせよ、簡単な事なんてこの世にはないです。
がんばろう。

ここから先は

0字

¥ 300

つよく生きていきたい。