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多額のお金、少額のお金

今年は、本当にたくさんのお金を使った。
特に、8~10月に支払ったお金をあわせれば、結婚披露宴が二回くらいできそうだった。
「なんだ、ビルが建つほど散財したのかとおもった」という方には申し訳ないが、そんなに金はまだ持ってない。
でも、車は二台くらい買えるし、田舎に家が買えるレベルだ。

なんということだ。借金まみれで家庭内暴力で金がなくて大学にもいけずやせ細って強迫神経症になって震えていた20歳の私に教えてあげたい。
お前は十年、十五年とかかるが、ひと月で200万円以上をひと様にお支払いできるようになるのだよ、と。

最近、サラリーマンばかりの飲み会に誘われていってきた。
アウェイである。
そこで「何千万も自分の口座から出ていくってどんな感じ?」って言われたんだけど、まって、まず何千万じゃなくて、まだ何百万レベルだから。ひとケタ上がるにはもうちょっと頑張らないといけないから。
でも、まあ聞きたいことは分かる。

ただ、一番金を動かす時に緊張したのは、もっと数字が小さい時だった。

8万。12万。
24万。30万。

このくらいの金額が、一番ヒヤヒヤした。
口座の中身が、自分の生活費を入れて残高12万円とかになる事が何度もあった。そういう時の方が、ずっとずっと緊張していた。

その時と比べると、今は月に100万とか、なんなら200万とか払っている。
でも、そこにそこそこの勝算があるからやれている。
ヒヤヒヤ度はあるにせよ、最初の時の断崖絶壁を勘だけで歩いている感じは少しだけ減っている。

勘だけで断崖絶壁を歩きつないできているので、一番大事なのは、自信を持たない事だと思っている。
自信を持つと、勘が鈍るのだ。

もっと正確に言うと自信を持つ部分を非常に限定的にするということに近い。アスリートのように、自分の重心をわずかに変える事でわずかにスピードを上げる、というような。心の中でそういうふうに自分という存在を120%使い切るように、調整するのだ。

だから、本当は8万円も120万円も同じように緊張と覚悟を持って使わなくてはいけない。

ただ、それが額が上がるほど何かが鈍っていくという部分も確かに存在している。

多額になればなるほど怖くなるのではと思うけれど、実はちょっと違うんじゃないかと思う。
1000円の商品が300円値上げすると大騒ぎかもしれない。でも1300万円が1000万円に値下げといってもたいして違いを感じない、という人は結構いる。300円と、300万円。金額が大きくなるほど、1円の重さは軽くなるのだ。心理的に。

外から見たら、「自分の口座から100万円が毎月出ていくなんてビビるわ」って思うかもしれない。私も「今月は200万円支払う」とか言うと「自分の口座でそういうのやると思うとホント怖い」とか言われる。

でも、渦中の人間は、8万円の時の方がきつかった。
100万円は、確かにきついんだけど、まあ回収できる範囲、妥協できる範囲で使っていると自分を納得させる材料も8万円の時よりも多くあったりする。勝てる要素が8万の時よりちょっとだけ多いのだ。ただ、それは絶対確定ではないのだけれど。

真剣に、1円たりとも無駄にしない使い方を追求するのは、お金が少ない時にこそできる事だし、そこできちんとお金について訓練を積むことはとても大切だ。
払う事を躊躇する8万円からのほうが、なんとか払える100万円よりも、学ぶことは大きい。

金がない事は、それだけ少ない金に真剣に向き合えるということだ。
そんなチャンスを逃してはいけない。
だから、ビジネスは立ち上げたばかりのお金を動かすのびくびくヒヤヒヤする時がとても大切だ。その時に自分のお金の感性を筋トレできるのだから。

お金がないということを、逆手にとって、1円も無駄にしない使い方を真剣に真剣に考えてみる時期が人生のどこかであるというのは、役に立つ事じゃないかと個人的には思う。

それがないまま多額のお金を扱うようになると、お金の価値はその人の中でどんどん下がっていく。
たくさんあれば1円の価値は相対的に下がるのが、人の心というものなのだ。

その価値を「下げない」のは、なかなかに鍛錬のいる事である。

ただどん底を通り抜けて1円の重みを知り、5万円の大きさを知って、それを忘れずに100万を動かし、1000万を動かしていけたら、別に億万長者でなくても十分にお金の恩恵を受ける事ができる。

そう思う程度に、お金の事を信じている。

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